ルイはアニムのことや、神のことを調べに奔走した。
王立図書館なども、ジプシーを煙たがる司書を尻目に探しまわったし、詳しそうな者に聞き回ったりもした。
「最近、どうしちまったんだよ」
別についてこいとも言っていないが、ゼルバルトも付き合ってくれる。
「やあ、ちょっと気になることが出来てね」
「秘宝のことか?」
「うん、それも。そうだ、ラハト王に謁見って出来ねえかな」
「はあ? ジプシーのお前がか。いや、差別してるってんじゃなくてだな」
「わかってるわかってる。そうじゃなくてさ」
ルイは埃立つ古い本を閉じ、口元を歪めるようにして、笑った。
「―――アチェンラの神の子が会いたいと言ったら、ラハト王は会ってくれるかな」
ゼルバルトは信じられないものを見るように、目を丸くした。
Mr.ガオガイガー(ルイ命名・ラハト王)は、どうにも言葉を濁す。
敵対しているという風でもないが、立場柄色々あるようだ。
それはユナディロのクレナノルクも同じで、思うように情報が集まらない。
いや――――
秘宝だのアニム化だの、そのあたりのことはどうでも良いのだ。大体、ユナ・アニムから事情は聞いている。
問題はその先だ。
ユナ・アニムに感情を取り戻してやりたい。その前がどうだったかは知らないが、ルイにはこうして痛いとも苦しいとも、ゼルバルトを愛しいと思う心もある。彼にだって、きっとあったはずなのだ。
決して愛しては貰えない相手に恋をする、この痛みを。
そして、嬉しいことを嬉しいと感じる心を。
「なあ、ユナ・ルー。何か悩みがあるなら、言ってくれよ。力になりたいんだ」
ゼルバルトは優しい男だった。
心の底から助けになりたいと言う気持ちが伝わってくる。
「ありがとうよ。そう言ってくれるだけで、だいぶ助かる」
「俺じゃ役に立てねえのか」
「そんなことはないさ。お前さんがお前さんのままいてくれるだけで、俺は救われるのさ……」
ゼルバルトがルイを大事にしてくれるだけで、十分だ。
勝手に懸想をしたのは此方のほうで、彼は何も関係ない。
神々ゆかりの地とやらへも赴いたが、はかばかしい成果は得られなかった。
チェルデなるアチェンラの愛人は殺した。ミカエという美人を救えなかったのが心残りだ。
とうとうアチェンラ国でアチェンラ神とも対峙したが、あの胸糞の悪い屑野郎はルイの努力を嗤うばかりで、何も齎さなかった。
「お前にあの子は救えないよ、ユウナルイ」
殺してやったのに満足そうに逝きやがったのが、腹が立つ。
アチェンラは自分が創ろうとした神、ユナ・アニムの存在を確認出来たので、失敗作のルイなど眼中になかったのだ。
時間だけが無為に経ち、秘宝の亀裂はいよいよ深くなった。
ルイは体調を崩すことが多くなり、兵団の任務からは外れた。
慈悲と癒しのイニア教にも連れていって貰ったが、一向に回復はしない。
そういえばあの癒し手のかわいこちゃん、セシェンテルと言ったか。
見るからにゼルバルト好みの娘だったが、何を間違ったかルイに惚れてしまって、高所で却って体を悪くしたルイがイニア教を去る時は残念そうにしていた。
全く相手にされなかったゼルバルトは、別の意味で残念そうだったが。
それでもゼルバルトは、兵団を放り出してまでもルイを救おうとしてくれる。
「悪ぃな、相棒」
「水臭いこと言ってんじゃねえよ。言ったろ、お前の助けになりたいんだ」
ルイには身寄りがない。日本からこちらへ来たので、当然だが。
自分が見捨ててしまえば、もうまともに戦う事の出来ないルイが後は衰弱して死ぬだけだということを、ゼルバルトはよく分かっているのだ。
イニア教の麓の村に居着いて療養し、やがてゼルバルトは村娘の一人と恋に落ちた。
気立ての良い女で、しっかりした強い瞳を持っている。あれならゼルバルトを幸せにしてくれるだろう。
村をあげての結婚式の日、ルイはやはり出席は出来なかった。
「ま、ゆっくりしてこいよ。俺のことは気にしないでさ」
「お前に祝って欲しかったんだ、ユナ・ルー」
「誰より祝福しているさ。だから、お前の嫁さんのところへ行ってやんな」
誰の目にも、ルイが長くないことは明らかだった。
ルイは、これがアニム化の一端だと分かっていたけれど、傍目からはただの病だ。セシェンテルにも口止めをしておいたから、ゼルバルトは真実を知らない。
思えば、これが後の世界でゼルバルトが「真実」に執着するようになる原因だったかもしれない。
賑やかな歌声、焚かれる大きな祝いの炎を窓から眺め、ルイは病床から静かに微笑んだ。
「さよならだ、ゼルバルト」
お前に出会ったこと、俺は後悔しない。
たくさんの幸せを貰った。お前は、幸せになれ。
俺には俺の、すべきことがある。
「ユナ・ルー!」
ルイの様子がおかしいと、村人に聞いたらしいゼルバルトが式を抜けだして、飛び込んできた。
ルイは静かに彼へ首を向ける。
「問題ない。式に戻れ、ゼルバルト」
「……ユナ・ルー?」
「早く」
ルイはこのとき、小屋の中に佇んでいた。
この頃は寝たきりで、ときおり発作に苦しんでいたから、急に一人で起きだしたのが不可解に見えたかもしれない。
戸惑うゼルバルトに、ルイはどう返して良いか分からなかった。
こんな時、どうしたら良いんだっけ?
思い出せない。少し前のことなのに、不鮮明で。
自分が既にユウナルイと呼べるものでなくなってしまったことは、分かっていた。
体は多次元構造体アニムで構成されていて、物質よりそれ以外の何かに近い。数多の三次元にない要素が手に取るように理解でき、人間と異なる何者かに成り果てていることも。
その代わりに、人らしい感情は失ってしまっていた。
さりとて、ルイは人間らしく生きたから、突然失ってしまった感情に戸惑い、思い出そうとして混乱する。
お嬢ちゃんたちは――――ユナ・アニムたちは人間であったころから感情が薄かったから、ルイのように悩んだりしなかったようだけれど。
「………」
ルイはなんとか、生前のことを思い出そうと、口端を無理に上げる。
「はっはっはー。なぁんか突然、体の調子がよくなってさあ。見てみ、秘宝割れてる」
「あ、ほ……本当だ」
「そうそう、多分、そのせい。さ、行こうぜ。嫁さん待たせちゃいけねえよ」
ばんと相棒の背を叩き、先に小屋を出た。
小走りに戻るゼルバルトの背を眺め、小屋の壁に背をつけて立つルイの顔から、再び表情が失われた。
ルイの不調問題も片付いたことで、ゼルバルトは嫁を貰い、国に帰るつもりのようだ。ここに留まっても仕方がない。
兵団はラハト騎士団として認められ、ゼルバルトは実質上の将軍と認められるようになる。
ルイは影から日向から兵団とゼルバルトを助け、ゼルバルトは人から成功者と羨まれた。
ルイからすれば、いや傍から見れば順風満帆、とも思えるのだが、ゼルバルトは日に日に思い悩むようになってゆく。嫁のコルノともうまくいっていないようだ。
「なあ、ユナ・ルー。正直に言ってくれ。お前、俺に隠してることがあるよな」
ルイは凪いだ目でゼルバルトを眺めていたが、ぱっと笑顔を作って「何言ってんだよ」と茶化す。
「誤魔化さないでくれ。
秘宝が割れたあの日からだ。俺が結婚したあの日から、お前の様子がおかしい。コルノはお前が俺を好きだったからだなんて言いやがるし、変な嫉妬しやがるし……」
そうか。やはり女は鋭いものだ。
「それは事実だけど、今はもう違うから」
「じっ……事実ってどういうことだよ。俺のことを好きだったって?」
「うん。けど安心していいよ。俺はもうゼルに懸想なんてしないし……それどころか感情自体ないし」
言ってはまずいことを、うっかり漏らしてしまった。
かつてのルイなら絶対に言わなかったようなことだ。
人の心の機微が分からぬから、言って良いことと悪いことの区別をつけるのが、難しい。
ゼルバルトは何があったかをルイに問い詰めた。
ルイは……ユナ・アニムは、ゼルバルトの望みを叶えるための存在であるから、彼の問いには全て答えなければならない。
とうとう真実を知ってしまったゼルバルトは膝をつき、懊悩した。
「なんだよ、ゼル? なにを悩む。俺はこれからだってお前さんの相棒さ。嫁のことは何とかしておく。何の心配もいらない」
「俺の、じゃなくてお前のことだろう!?」
「大げさな奴だなあ」
おどけて見せてもゼルバルトが落ち着く様子はなく、ルイは表情をひっこめた。
なるほど、お嬢ちゃんたちが『試験』したくなるわけだ。
ユナ・アニムはどんな願いだって叶えられる存在だが、自分の願いは叶えることができない―――自分のために笑うことさえも。
ゼルバルトの願いとはまさに「それ」で。
「こんなこと、言ったら……呆れられるかもしれねえけど」
ゼルバルトは青い顔で震えながら、ルイを抱きしめた。
「コルノに詰られたのは、お前との関係じゃないんだ。
コルノよりお前が大事だってことを見ぬかれちまったから……コルノを愛してるのは嘘じゃない。でもお前が大事なんだ。
違う国にまでコルノを連れて来ちまったのに、最低な男だよ。
俺にもどうしようもないんだ。憧れなんだか、恋愛なんだか、友情なんだか分からないけど、お前が死ぬほど大事なんだ……」
そりゃコルノも災難な。
ゼルバルトの愛は恐ろしいほど情欲の絡まないプラトニックなもので、だからルイへの思いと、異性として愛するコルノへの思いは両立するのだが、ルイのほうが比重が高いとなると。
「どうしたらいい? お前のために、俺はどうすればいい? 全てを失ったっていい。何もいらない。ユナ・ルー、お前に笑って欲しいんだ」
見せかけの笑顔で誤魔化せるものではなかろう。
見破られてしまったから、今この状況に陥っているのだし。
その方法は、残念ながら一つしかない。
「本当に、全てを失ってもいいと?」
「構わない」
「コルノと離れ離れになるけど」
「あいつは、俺みたいな最低男より良い奴と結婚したほうがいい」
そこまで言うのであれば。
この世界は、これでおしまい。
ルイの役目も、これでおしまい。
本当にさよならだ、ゼルバルト。
お前の大事なユナ・ルーに会いにゆけ。
だが、ルイは諦めない。
この繰り返しは無駄じゃない。ルイの生きた道も決して無駄ではない。
絶対にその時は来る。
お嬢ちゃんは救う。ゼルバルトも救う。
ルイという存在は、その為だけに生きた。
それからまた、何千回と同じことが繰り返され、ルイは何処か暗い場所で眠っていた。
どうして自分が目覚めてしまったのか、その理由は判然としない。
だが、ルイはこの時をずっと待っていた。永遠にも近い無為の時を、秘宝が割れる「前」に再び目覚めるその時を。
久方ぶりに現世に降り立ち、ラハトの市場を冷やかしながら、静かに笑った。
このとき、確かにルイは笑っていた。
「お前は、誰」
ゼルバルトが宿にしている部屋で佇んでいた、「最新の」ユナ・アニム。
何千何万いるユナ・アニムの中で、最も碌でもないことを考えた奴、と言い換えてもいい。
「何って」
ルイは艶然と微笑み、煙管を彼に向けた。
「邪魔になりそうだから、お嬢ちゃんをぶちのめしに」
さあ、はじめようぜお嬢ちゃん。
約束を、果たしに来たんだ。
これで本当の終わりさ。
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