『市民街の幽霊屋敷』で通じるその建物は、市民街と下町の境に近い場所にあった。



「もう、あれから10年近くは経ってるな…。ここも変わったのか変わってねぇのか」
 見上げるほど大きな門扉の奥に、闇の中、白茶けた屋敷が変わらぬ姿を見せる。
 さすがに荒れ方は当時より進んでいる…とは思うのだが、当時の記憶は建物そのものより中での出来事の方により印象が強く、今も昔も古びた建物だとしか思えない。

「中に入っちまえばいいのか…?
 ま、いいさ。久々にお化け退治と洒落込むか」

 悪戯っぽく笑うと、しなやかな指が錆くれた鉄枠を掴む。
 格子を足がかりにして、ユーリは楽々敷地内へと身を躍らせた。普段からアクロバティッシュなユーリには、越えるのが身長以上の高さだとてどうということはない。
 飛び降りた足の裏で、枯れ草が小さな音を立てて折れた。手を叩いて錆を払うと剣を下げ直し…改めて屋敷を眺める。
「玄関からお邪魔するのが、筋、だろうなやっぱり」

 月明かりに照らされた正面玄関へのアプローチ。
 小さい頃は、門を越えたところから既に探検が始まっていて…そう、あの時は下町の子供たちを従えたフレンとユーリが先頭を歩いて。子供らは蹴った小石がカツと跳ねる音にもドキドキしたものだった。
「子供ってのは、他愛もねぇもんだよな…」
 進むたびに当時のことが思い出されて、ユーリは小さく微笑んだ。
 扉のノブは片側が錆びた針金で固定されていた。埃をかぶったもう一方に手をかけ捻る。
 固い手ごたえと共に、きしみを立てて扉が開く…ものの、何かに引っかかったように一点で止まってしまう。
「あ、…そういや、滑り込むみたいにして通ったっけ。しょうがねぇな」
 犬猫は頭が通る場所なら通り抜けられるというが、人間には肩というものがあって…かなり苦労はしたものの、なんとか中へと入り込んだ。
「10年分の成長ってやつか」
 白い頬にできた引っかき傷を指の背でこすり、当時にはないヒリヒリした痛みに、今と昔、昔と今の記憶の対比がユーリの笑みを誘った。
 それからしばらくの間、尋ね人を探しがてら月明かりを頼りに、建物内部を散策する。
 階段のきしみも、古びた鏡のシミも、どれも記憶を掘り起こす鍵で…とはいえ、大の大人が十数分も歩き回れば屋敷の中は行きつくしてしまう。
 それでも肝心なレイヴンの姿はない。



「ったく…呼びつけておいて、当の本人はどこにいやがるんだか…」
 正確には呼びつけられたわけではないのだが、ついそんな文句がこぼれる。
 1階の居間と思しき一番奥の部屋でぼやき、暖炉上の蝋燭立ての前でいったん足を止めた。懐かしむように小さく微笑んで、そのまま比較的埃の薄そうな壁にもたれたユーリの背が――不思議な角度で傾いだ。



「うっ、わあぁああ?!」



 壁が突然支える力をなくしたように傾き、後頭部から斜めに滑るように落ちて…暗闇の中、なにかふわふわしたものを下敷きに、足を上に転がったまましばし呆然とする。

「――いやー、青年のそんな顔って珍しいねぇ。
 そういや、敵さんの絡まないアクシデントには固まる体質だったかねえ?」
「……お…、おっさ、ん…?」
「はあ〜〜い、お・ひ・さー」

 視界がふわっと明るくなったところで、愉快がる声が響く。
 にんまり、してやったりと言いたげに笑う翡翠の瞳に天地逆から至近距離で覗き込まれ、ユーリは溜息を一つ。
 そして、
「あだ…っ!」
 右フックを軽く一発。
 頭上で顔を押さえて呻くのを押しのけ、大きなクッションの上に起き直る。
 数週間ぶりに会った挨拶はすっとばしても悪くないはずだ、と。
「おひさー、じゃねぇだろレイヴン。
 呼びつけておいて、どういうつもりだ。あと、なんなんだよこれは」
「えー、そりゃ〜ビックリさせようかと思ってねえ」
「帰んぞ」
「そんなー。まだまだおもてなしの準備、してんのよ?」
「殴るぞ」
「青年冷たいーぃい」
「よし、いい覚悟だ歯ぁ食いしばれ」
 どんどん低くなるユーリの声に、レイヴンの上半身が軽く逃げて
「冗ー談冗談」
 若干引きつった顔に無理やり笑みを乗せた。

「ま、改めて。
 よーこそ、俺様の隠れ家へ」
「かくれ、が…ここが?」
「そそ。
 で、早速だけどこのままってのもなんだから、場所変えない?
 どのみち、長話になりそうだからね」
「…そうだな」
 頷いたユーリはなめらかに立ち上がり、大振りのランプを手にしたレイヴンの後を追う。
 屋敷の中とはまるで違う硬い闇に、ユーリは面白そうに辺りを見回した。
「へえ…幽霊屋敷の裏が、こんな風になってたとはな」
 荒れ具合と埃は表のほうが酷かったが、こちらはこちらで石壁と鉄枠の閉塞感と重苦しさがいささか。
 それでも、隠れ家といわれれば納得もするし…ユーリが多少なりとも高揚感を覚えるのは、秘密基地という浪漫への男の憧れだろうか。

 揺らめく灯りに先導されたまま黙って歩き続け、二つほど角を曲がったところで大きな部屋に行き当たる。
 闇が薄いのはどこかに明かり取りがあるからだろうか。今までより天井がずっと高く、通気口があるのか空気の流れも問題ない。
 レイヴンが壁際に下がった紐のひとつを引き、降りてきたカットクリスタルの箱にランプを収める。箱がある程度の高さに吊るされると、何か仕掛けに工夫があるのか部屋の広範囲がかなり明るく見通せるようになった。

 部屋の中央に長椅子2脚とセットのテーブル。
 右手の奥にベッドと古風なライティングデスク、左壁には棚が二つ配置されている。矢筒が立てかけられているところを見ると、ひとつには武器でもしまいこんであるのだろうか?
 一隅には暖炉まである部屋を眺め、隠れ家にしちゃ贅沢だなぁ?と呟いた。
「オレの部屋より、物が多いぞ」
「青年の部屋は、むしろなさすぎでしょうが」
「必要最低限しか置いてないからな。そこまで欲しいもんもねぇし」
 オットコマエー、と笑うレイヴンはなぜか嬉しそうに見える。
 なぜそんなことが嬉しいのだろう。
 そういえば、レイヴンは時々、自分にとって理解外の部分で嬉しそうにしたり慌てたりすることがあったな、とユーリは一緒に旅をしていた頃のことを思い出していた。

「まあ、適当に座ってちょーだいよ」
 勧めに応じて、ユーリはソファーのひとつに腰を下ろす。
 棚から大きな水差しとグラスを二つ抱えて戻ったレイブンは、無造作に水を注ぎひとつをユーリに手渡した。
「それで?」
「で、って、何に対しての?」
「全部だよ。ここはなんなんだ?
 いつからなんでおっさんの隠れ家なんだ?
 あんたはここで何してんだ? 何をするつもりなんだ?」
 矢継ぎ早に質問を投げるユーリに、レイヴンがあわてて両手を上げた。
「ちょっとちょっと。
 そんなに一度に質問しないでよ。おっさん内容忘れちゃうから!」
 もー、と口を尖らせるところは、相変わらず年甲斐もない。
 その点を指摘すると、
「あらぁ、いいじゃないのよう。可愛げって大事でしょ?」
 とこれまた口を捻り上げたくなる答えが返る。ひねるではなく、もうギリギリとねじってしまいたい。
 目を眇めたユーリの心境を気配で察したのか、レイヴンは「ええとなんだっけ?」と顎をなでつつ、慌てて向かいのソファーへ腰を下ろした。