さらっと流れていった台詞に、ユーリは目を見開いた。
「……お、い、なんだよそれ」
 絶句した後、紡がれたユーリの声がかすれる。
 首領にとって、ギルドとはなにを置いても守るべきものではないのか。
 自らの意志の表れ。
 自身の生き様。
 首領であるからには、ギルドという存在は自分の根幹であり人生の一部…いやそれを超えたものであるはずだ。ドンがその身で、その命でまざまざと見せ付けたように。
 だというのに、潰して欲しいと。
 しかも、部外者であるはずのレイヴンに頼むだって?
「なんで、首領がギルド潰してくれって…?」
「そりゃあ、自分の毒殺確定だわ、ほぼの面子にギルドが乗っ取られて怪しい商売始めてるわとなれば、ギルドの誓いも誇りもあったもんじゃないわな」
 ユーリは今度こそ言葉を失う。

「…本当は自分の手で潰したかったらしいけど、先手打たれちゃったらしいんだわ。
 『天を射る矢』の方のツテ頼って切羽詰った連絡来たからこっそり会いに行ったんだけど、…ありゃ明らかにもう手遅れだった。
 結構いい爺さん、だったんだけどねぇ……」
 しんみりした口調と語る内容から察するに、その老首領はレイヴンの目から見て魅力的、かつ出来た人物だったのだろう。
 身の上に起きた出来事にどれほど口惜しく無念なことか。それこそ、自身の手で決着を付けたかっただろうに…、とユーリは会った事のない、おそらく会うことのない老人を悼む。

「ちょいとヤボ用で…って船下りたのは、もしかしてそれか?」
「ん…まぁね」

 レイヴンが言葉を濁し、苦笑交じりで耳の後ろを掻く。
 歯切れの悪さにユーリが疑問を抱くより早く、レイヴンは話題をさらに展開した。
「んでその時に、爺さんが自分で集めてた証拠やら手がかりやら色々くれたのはいいけど、それでも俺一人で動くのは限界ありすぎるでしょ。
 聞かされたその話ってのが、どうも今流行りの噂に関係してたんで、リタっち捕まえがてら城で何か話を拾えないかな〜と思ったのよね」
 流行りの噂ねぇ、とユーリは苦笑する。
 そんなものに流行られても、こっちとしては迷惑なだけなのだが。
「そしたら、あっちから話が飛び込んできたってか…?」
「そうそう」
 ホントに皆には内緒よ?、と。
 念を押すレイヴンに、わかってるとユーリは頷く。
 ほっとけない病末期の患者たちに、こんな話を聞かせたが最後…どうなるかなどあえて考えるまでもない。
 特にカロル。
 ギルドの有り様についてが関わるだろうこの件、成長期真っ只中のカロルに余計な悩みを抱えさせたくはない。
 過保護なわけではない。自慢の首領には、このまま真っ直ぐに育っていってほしいのだ。
 この一件はできる限り自分達だけで解決してしまおう、とユーリは心に決める。

「で?」
「…へ?」
「資料だよ。もらったんだろ?」
「ああ、そりゃここにあるけど…」
 差し出された手を眺めた後、レイヴンはちらと上目遣いでユーリの顔色を窺う。
「けど、どうしたんだよ」
「おっさん、腹減っちゃって」
「…はあ?」
 唐突な一言に、ユーリは唖然とした。
「さっきからずっと長話でしょ〜。
 資料持ち出すと、ますます話が長くなっちゃうじゃない」
「まあ…かもな」
「ねえねえ青年、おっさんに何か作ってちょーだいよ」
 眉を下げ、一体何を言い出すのかと思えば。
 別に嫌なわけではないが、今日は続けて野郎のメシの面倒ばっかかよ、なんて考えると眉間にしわのひとつも寄ろうというものだ。

「なんでオレが」
「おっさん、腹減りすぎてそんなに動けないぃ」
「動きたくない、の間違いじゃねぇのか?」
「青年がおいしいもの作ってくれてる間に、おっさんは資料出しておくからさ〜。
 あ、キッチンは出て右を真っ直ぐ二つ目の部屋ね。今日買ってきた物が机の上にあるから、テキトーに使っちゃってよ」
 笑顔で滔々と垂れ流しながら、棚から予備のランプを引っ張り出し火を移す。
 はいよ、とランプを差し出されるに至って、
「ったく…」
 本日何度目かの深いため息をつき、ユーリはやれやれと腰を上げた。

「今度、クレープをその口にねじ込んでやる」

 覚えておけよ、と言い捨てて踵を返す。
 ぎゃーやめてえぇぇ!と酷く情けない声が上がっていたような気がするが、あれは空耳だと断じて、ユーリはランプの灯を頼りに石畳の廊下をそ知らぬ顔で厨房へと歩き去っていった。


  ****


 隠れ家付属の厨房は広すぎず狭すぎず、なかなか使い勝手の良い作りだった。

「おっ、すげぇな。オーブンまであるじゃねぇか」
 ユーリは短く口笛を吹き、重い蓋を開けて中を覗く。
「コレ使うのは、今度キッチリ掃除してからだな。
 使ってねぇってことは、今のところ煙突までそんなに気を遣わなくていいのがありがたいけど…な」

 あまりの寂れっぷりに引き返し軽く聞いたところでは、井戸と湯沸し目的でかまどの周辺しか使っていないとのこと。
 こんなアレコレが全くの放置だなど、文字通り宝の持ち腐れではないか。
「ったく、あのタコが…」
 手に提げたランプの灯がジジ…と燻る音だけを聞きながら、ユーリは憮然として厨房を眺め渡した。

 ここを作ったのが貴族だというのが、いたる所で妙に設備の整っている理由だろう。
 権力闘争の最中、自身の地位に不安を抱いたその貴族が逃亡もしくは潜伏先として作った――はいいものの、結局逃亡する間もなく計略にかかって身を滅ぼした…らしい。
 それが起きたのは、レイヴンすら生まれる前とのこと。
 時代がどう流れようと、人間のやることなすこと何一つ変わらないということか。

 ランプから種火を採りかまどに火を熾すと、飲用の井戸から水を汲み分捕ってきたタオルを濡らして使う部分だけをざっと拭く。食器や道具類も一通り水をくぐらせた。
 どういう理由があったかは知らないが、ここの主になるつもりだった老人の偏屈さが皮肉なことに今となっては非常にありがたい。
「魔導器嫌い、ねえ。…もうちっと後に産まれてりゃよかったのにな」
 ほろ苦い呟きをもらしつつ、レイヴンが買ってきたというテーブル上の包みを漁る。
 真新しい刻み台を取り出し良い位置に据えると、今度は包みの中身をランプの傍にばら撒いた。
 葉物根菜を取り混ぜ3〜4種類の野菜と卵、塩漬肉の塊、そしてパンと果物少々。油の小瓶とバターの欠片、多少の調味料。
 それらを眺めながら素早くメニューを組み立て、ユーリは支度にとりかかる。
 足元の棚を開くと、そこに下がったナイフを引き抜き刃を確かめた。
 ほぼ使った形跡のない調理施設の中で、そのキッチンナイフだけはきっちりと研いである。
 何かのときの武器になるからという理由がとっさに思いつくあたり、自分も平穏とはほど遠いな、とユーリは苦笑しながら水洗いした野菜を軽やかに刻む。
 刻んだ野菜は塩抜きした肉と共に鍋で炒め、水を張り煮立てた。
 その間、フライパンにバターを落とし、溶いた卵と根菜、調味料を混ぜ流し込んで焼く。

 元より自炊は苦ではなかったが、仲間達とともに旅をしている間に世話焼きの性分がフルに発揮されて…今となっては「庶民派シェフ」の称号が付くほどに料理慣れしてしまった。
 称号がどうの料理対決がどうのというのは酷くどうでもいいが、親しい人間がおいしいと笑顔を見せてくれるのはなかなかに嬉しいものだ。
 鼻歌を歌いながら手早く数品完成させると、あぶったパン、皿とカトラリーをトレイに載せ――りんごを懐に失敬した後、ユーリは最初の部屋へと戻った。

 部屋の入り口付近で、ふと目を上げたユーリの足が止まる。
 ソファーへ沈むように身を預け、机の上へ投げ出された紙の束をじっと見つめるレイヴンの横顔が…やけに思いつめているような気がした。
 ひどく暗い瞳。
 表情の絶えた口元。
 脇にだらりと落ちた腕が、まるで手荒く投げ出された荷物のように見えた。
 また、何か自分達に黙っていることがあるのだろう。
 それを、問い詰めるかどうか…どうする――。

 ためらった時間はほんの数瞬だったろう。
 ジジ…、とランプの芯が燃えるごくかすかな音に、ユーリははっと我にかえる。
 思い切るように息を吸い、
「おい、おっさん」
 舌打ちしそうな勢いでレイヴンを呼んだ。
「っうお?!」
 ソファーからずり落ちかけたレイヴンに、なにやってんだよ、と呆れた声を投げ机の上を顎でしゃくる。
「ぼーっとしてんじゃねぇよ。そこ片付けないと置けねぇだろ」
「あっ、ああそうね。ゴメンね〜」
 レイヴンが慌ててテーブルの上から物を取り除けたところへ、ユーリはそこへトレイごと乗せてしまう。
 湯気の立つ料理を前に、レイヴンの顔が幸せそうに緩んだ。
「手作りのあったかい料理って久しぶりだわ〜」
「…あんた、オレたちと別れてから何食ってたんだよ…」
「まあ、色々?」
「ったく…」
 こうしてへら〜っと笑っている顔を見ているに限っては、先程の沈みようが嘘のようだ。
 この様子なら、今の今で問い詰めなくても大丈夫か…とユーリはレイヴンの向かいに黙って座りなおし、暖めたパンに手を伸ばした――。