ユーリの手料理を散々飲み食いした上、ユーリが懐から取り出したりんごすら一切れ欲しがったレイヴンは、楊枝をくわえたままひどく満足げな面持ちで資料をめくり始めた。
 トレイを足元に置いたユーリは、その様子を物言いたげな顔で黙って見ている。
「証拠って言っても、決定的なものが足りなくてねぇ」
「…………」
「あ、こんな分厚いの読む時間惜しいでしょ。こっちのは、時間短縮で青年にわかりやすいようにまとめてあるからさ。
 まあ、詳しくは綴じてある方を見てもらうのがいいんだけどね」
「…そりゃ、どーも」

 机の上に積まれたものとは別に、ヒラヒラ振りつつ差し出された用紙を受け取る。
 上手く言いつくろってくれたようだが、資料をわざわざ別の用紙にまとめたのはユーリの”体質”が主な理由だろう。
 以前、長い文章類を読むのは苦手だと白状したことを覚えていたレイヴンの気遣いはありがたいが、反面、多少のいたたまれなさもある。
 ごまかすように紙面に目を落としたユーリは、多少の癖はあるものの流れるような文字と整然とした文章に、正直驚いた。
 今まで見たレイヴンの文字はというと、宿屋で記帳する時の垂れ流したとしか表現しようのないサインのみであったから。
 レイヴンの長文肉筆というのは初めて見るな…、と今更にして思うが同時に、そういえば騎士団隊長主席だったとも思い当たる。普段はすっかり忘れている事実だ。当時はデスクワークもさぞ多かったことだろう。
 もっとも、この男がおとなしく机の前に落ち着いているとも思えないが。
「どったの、読みづらかった?
 気をつけたつもりだったけど」
「ん? …いや、おっさんのデスクワークって、どんな感じだったんだろうってな」
「ちょ、ちょっと…なんでそっちの方に頭向いちゃってんのよ」
 この落ち着きなさっぷりからして、どうやらユーリの予想も外れてはいないようだ。
「どうせ、しょっちゅうサボったり抜け出したりサボったり押し付けたりとんずらしたり、ロクなことしてねぇんだろ」
「そ、んなこと、ないわよ?ないない。おっさんのあれは全部仕事、うん」
「ふーん…、まあその話は後でいいか」
「後でって…」

 顔を引きつらせるレイヴンには構わず、手元のまとめに再度目を通す。
 決定的ではないとはいえ、さすがにギルドの首領だけあって概要は掴んでいたようだ。その点では、騎士団の調査より先行していると言ってもいい。
「ヤバい薬に人身売買、暗殺…ね。一通りメニューは揃ってますってか?」
「しかも、お得意様はザーフィアスを中心とした貴族や金持ち連中とくれば、笑いが止まらんだろうねぇ」

 評議会員と結びついての闇カジノを隠れ蓑にした商売のようだが、カジノそのものがギルドの運営している場所であり、そもそもがそのためのギルドであったとのこと。
 他のカジノにないゲームルールで、時には高レートの真剣勝負もあり時にはお遊びでチップ不要な日もあり…と、既存の枠にとらわれない運営で娯楽を提供しつつ多くの人と楽しみたい――それが老首領の目的だったらしい。
 そんなカジノをおおっぴらに運営するのが難しい、という理由で基準がないも同然の会員制、クローズドの立ち位置だったようだが…今となっては正真正銘の「闇」カジノだ。

「ザーフィアスも急に物騒になったもんだ」
 ユーリはふと、ここに来る前、街で瞬間すれちがった男を思い出していた。
 あれは…常に死と隣り合わせにある昏い気配だった。視線を伏せ隠そうとしていたが、常に闇を覗きこむあの目…。
 自分がああなりかけていた可能性を考え、ユーリは苦く笑った。
「ユーリ?」
「…いや、なんでもない」
「ふうん…?」
 顔色を窺うようにするレイヴンの視線を避けるように、ユーリはテーブルの資料を手に取る。
 これだけの量が揃っているのに、決定的な証拠ではないというのが軽く信じられない。
「なあ、この資料フレンに渡すんじゃ駄目なのか」
 ぱらぱらと紙の束をめくるユーリの言葉に、レイヴンは頭の後ろで手を組み天井を見上げる。
「ん〜〜、今のこれだけじゃ無理だわ。
 まず、クスリの現物がないでしょ。伝聞だけで証人がいないでしょ。
 商売の口聞き役っていう評議会員との関わりについても薄いしねぇ。さすがにそこまでは正確に掴めなかったでしょうよ。
 なもんだから、根拠がこれだけで押しかけちゃったりした日には、敵さんにトカゲのしっぽ切りされて終わり、だろうね」

 ――それだけで済めばいいが。
 首領の毒殺を図り、ギルドの乗っ取りをほぼ終わらせようとしている周到な敵だ。
 一度逃げられてしまったら追撃は困難と考えていい。しかも、相手は評議会員が絡んでいる分厄介だ。
「下手ぁ踏むと、逆にフレンがヤバい…か。
 てことは、確実に現場を押さえるしかないってことだな」
 ユーリも腕を組んで唸る。
 有無を言わさぬ証拠、となれば最強なのはやはり現行犯だろう。
 しかし、そう上手くタイミング良く相手が大きな動きを見せるとは思えない。
 となれば、方策は一つ。

「黒幕がギルドの幹部と腹黒評議会員ってことなら、ちょいと大きな餌でも吊るして、向こうが食いついて暴れるのを一気に釣り上げるかなーってとこかしらね。
 そうでもしないと、表も裏もきっちり潰すのは無理かもよ」
「向こうのデカイ利益になる餌…ねぇ。
 どう考えても、今こいつらがセットで食いつくネタっつったら騎士団絡みじゃねえか。
 餌も仕掛けがデカ過ぎると飲み込みにくい…が、あんたがそう言うからには、いいネタでもあるんだろ?」
 オレは政治向きのコトはド素人だからな、と。
 委ねるユーリの視線に、レイヴンはくすぐったそうな顔で頬をかいて顎に手を当てた。
「そうねえ、こういうのはどうよ」
 すいっと指を立てる。
「騎士団のおエライさんで人に言えない悩み抱えてるヤツが、噂に聞くヤバイ薬欲しがってる…とかね」
「おいおい、そんなので食いつくか?」
 眉を寄せたユーリに、レイヴンは親指で自分を指した。
「ほら、おっさん胡散臭いでしょ」
「だな」
「即答って青年ちょっとー?!」
「んで、そのおっさんの胡散臭さがどうしたって?」
「も〜〜〜〜…。
 つまり、胡散臭いおっさんが胡散臭いツテからその話聞いたんで、足のつかない薬でちょいと騎士団の弱み握りたいんだけど…って筋書きよ」
「ふ、ん…」
「欲しがってるのが毒なら即ブラックリストだろうけど、ああいう場所に珍しくもない”あはんうふん”系なら可能性はなくもないでしょ〜」
「おっさん、キモい…」
 提案に腕を組み目を伏せて考え込んでいたユーリが、手をひらめかせしなを作ったレイヴンの声音にソファーごと仰け反った。
 ユーリの反応に、レイヴンがちぇー、と口を尖らせる。
「冗談にノってよユーリちゃん、ノリ悪いわよ〜」
「ノれるかっ」
「…ま、それはともかく。
 俺が『天を射る矢』の人間だってのは、あっちもよく知ってるし、恐喝…ってのはさすがに通じないだろうから、先々のこと考えて個人的に切り札握っておきたいってところで、どう」
 レイヴンは悪戯を仕掛けるような顔でユーリの様子を窺う。
 随分な荒業ではある。綱渡りの部分と賭けの部分がかなり大きいが、これ以外に適当と思しき手がないなら次善策となるだろう。
 だが、全くの勝算なくこの男が策を口にするわけはない、と――ユーリは不思議にレイヴンを信頼している。
 組んでいた腕を解き、ユーリは口端をつり上げた。

「ま、おっさんの演技力と口先三寸がありゃ、なんとかなるんじゃねぇの?」
「…褒められてんのかなんのか、釈然としないんだけどそれ」