用心には用心を…といつもの宿屋ではなく別の宿を選んだものだから、取れた部屋は二人部屋が三つという状況で。
 話し合いの結果、リタとエステル、カロルとジュディス、ユーリとレイヴン、という部屋割りになった。
 ここぞとばかりにレイヴンがジュディスにアピールするのを、ユーリが問答無用でカロルをジュディスに預けてのことだ。

「えっ、…ボボ、ボクがジュディスと二人?!」
 おそらく緊張だろう、上ずった声でギクシャクと動くカロルの顔は赤くなるやら青くなるやら忙しい。
「リタはエステルのことでちょっと調べたいことがある、つってるし、となるとカロルしかいないだろ?
 ていうか、別にオレでも良かったんだけど」
「私も別に良かったのだけど」
「ダ、ダメですっ!ユーリとジュディスが二人部屋なんて…!!!」
「――って、エステルが言うしな。ラピードもいれば二人きりってわけじゃないだろ」
 真っ赤になったエステルをちらっと見て、カロルは観念したように溜息を一つ。
「ジュディスとレイヴンを二人部屋にしたら、明日の朝が大変そうだしね…。うん」
 大変なのは、おそらく主にジュディスに伸されたレイヴンの後始末で。
 誰も口にはしなかったが、似たような光景を思い浮かべたのだろう。視線が集中する中でレイヴンが「ああん酷いっ」と身を捩っていた。
「うっざ…。いっそ、おっさんが役に立たないくらい伸されても良かったわね」
「リタっちの鬼〜〜っ!」


 ユーリとレイヴンが入った部屋が一番狭くシャワーもなかったため、男連中はカロルの部屋のものを使うことになった。
 女性陣は、エステルたちの部屋で女の会話に花を咲かせている様子。
 どこかホッとした顔色のカロルを一人置いておくわけにもいかず、レイヴンはカロルの睡魔が気配を見せるまで話し相手になってやる。
 今日のユーリと二人きりという否応なく待ち受ける状況に、気持ちを整理する時間が欲しかったのもあった。
 まだ幼いといっていいカロルは、ジュディスが戻る前に早々と舟をこぎ始めて……部屋に戻らない理由がなくなってしまったレイヴンはようやく腰をあげる。
 どんな顔でなにを話せばいいのか心が定まらないまま、廊下を挟んで向かいのドアに指をかける。
 ひとつ息を吸い、覚悟を決めてえいやっとばかりに開いた扉の向こうには――。

「……あーあーあー、ちょっと青年、どんだけ持ち込みしてんのよ!」
「あん? そんな言うほどのことじゃねぇだろ」
 いったいもうどのくらい飲んだのか、寝台に腰掛けたまま据わった目でこちらを睥睨したかと思うと、次の瞬間にはおかしそうにくつくつ笑い始めたユーリの足元には…葡萄酒やら蒸留酒やら各種取り混ぜて10本近くが乱立し、その中に空になり転がったボトルが既に二本。
 自分がいない時間というのも言うほど長い時間ではなかったと思うのだが、手に持った三本目の中身も既に半分くらいになっている。
 それを目の前でラッパ飲みされ、レイヴンの顔が引きつる。
「ペース速くない?!」
「別に? 飲むとなったらいつもこんなもんだぜ」
 いつもは年少組がいるので遠慮しているらしい。
「おっさんと二人なら、どんなに暴れても大丈夫だろ」
「ああそうねおっさんなら大丈夫、ってちょっとぉ!…それよりどうしたのよ、これ」
「宿の亭主に頼んで出してもらった。金はもう払ってあるから心配すんな」
「いや、心配してんのはお金じゃないから!」
 無茶飲みしないでよ〜〜〜っ、と頭を抱えると、呆れた声が降ってくる。
「何言ってんだ。さすがにこんだけ、オレ一人で飲むつもりはねぇっつの」
「それって、おっさんにも飲めってこと?」
「他に誰がいんだよ」
「あー、…そうねぇ」

 レイヴンは言葉を濁して天井を見上げる。
 今日のこの心理状態で深酒はどうだろう、と不安を覚えどうやって逃げようかと思案を巡らす。と同時に、日中のユーリを思い出して、ユーリ自身の状態により大きな不安を覚えた。
 この酒は、気紛らわせ程度なのかそれとも…?
 胸の重しがまた重みを増してのしかかる。
 気付かれぬよう溜息を喉で殺して、さあどう返答しようかと目を上げた時、
「レイヴン」
 いつの間にか至近距離にいるユーリにぎょっとする。
 いつになく真剣な声音に無意識に半歩引くと一歩詰め寄られた。
「な、なになに?どしたの」
 俯きがちの面差しに月明かりが影を作り、表情がうまく読み取れない。
 まがい物のくせに心臓が妙な動悸を刻んでいる。
 無理にでも笑って会話の突破口を…と思ったところで、白い掌がつと左頬に伸びてきた。
 長い指がそっと頬に触れ、指先がレイヴンの唇に触れる。
 ユーリの意図を測り損ねて、口にするはずだった言葉が声にならないまま宙を飛んで消えていく。
 暴れ始める心臓を意識しながら、何か行動しなければ…と思考が一点に向いたところで。

「ごふ?!!」
 ユーリの指が、レイヴンの口に突っ込まれた。
 そのまま、歯を割り進入口を確保すると――、
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」
「はっはっはー、まあ遠慮すんな」
「ぼがほぼぶーーー?!!!」

 今度は、左手に握られたままの酒瓶が勢い良く突っ込まれた。
 鋭角に傾けられた酒瓶から、問答無用でどっぽどっぽと酒が流し込まれる。
 直接喉を焼く液体に噎せるやら、胃に流れ込む濃い酒精に眩暈を覚えるやらでもうなにがなんだか。度数どんだけあるんだこの酒。
 とりあえず、バシバシと加害者の肩をやたらと叩きギブアップを訴えるも通じていない。
 不幸中の幸いは、口に突っ込まれた瓶の中身がある程度以上消費されていたことか…。

「ゲホガホゴフ?!」
「あんだって?」
「……っは、おっさん窒息死するところだったわよ?!」
「へっ、んなヘマ誰がするかよ」

 空になった瓶を足元に落とし、レイヴンの訴えを鼻で笑う青年のなんとも男前なこと。
 嗚呼、それだけで終わらせて欲しくはなかったのだが……いや何も言うまい。
 気付くのが遅れたとはいえ、この状態のユーリに逆らった自分が悪かったのだ。
「わかったわよぉ…まったくもうっ! 付き合えばいいんでしょ付き合えばっ」
「最初っからそう言っとけよ。んじゃ」
 言うなり、新しい瓶の中身をあおったユーリに今度はガッと顎を捉えられた。
 驚きに目を丸くしたところで、ぐいっと柔らかいものが自分の唇に重なる。
 わけもわからず一瞬棒立ちになったところで、熱い液体がぬめったものとともに口の中に押し入ってきた。

「―――――っ!!!」
 目を見開いたレイヴンが間違いなく液体を嚥下するのを確認して、ユーリの顔がすぐに離れた。
「これ、ペナルティな」
 どこか勝ち誇った響きを伴うユーリの声が――レイヴンの耳を右から左へと高速で通り抜けていく。
 実際のところ、青ざめて床にしゃがみこむレイヴンはそれどころではなく、

「あ……あっまぁ………」

 クローブやシナモンの強い香りと、強烈な蜂蜜の甘さに頭がくらんくらんする。
 ユーリの手にある酒瓶を確認するまでもなく、これは北方で作られていると聞くリキュールの一種だ。
「初めて飲むけど美味いなコレ」
 確かにユーリの好きそうな酒ではあるが、レイヴンにとっては限りなく毒に近い。むしろ、一般でもストレートで飲む類の酒ではないはずだ。
 地獄のようなこの甘さをなんとかしなければ。
 こうなったらもう口直しだ、とばかりに、レイヴンは呻きながらも一番手近にあった蒸留酒の封を切るなり直接口を付けた。
 もちろん、見慣れたラベルであることは確認しながら。

 自分に飲ませるための計算ずくだとしたら大したもんだ…と苦笑したのは、後日のことである。
 酔った後のことまで、今は考えてなどいられなかった。