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その異変に気付いたのは、いつだっただろう。
何度目か判らない、権天使としての任務。
監視しているのは、少し大きめの都市の、大きめの教会を統治する司教。
神に仕える身にありながら、情婦を寝所に連れ込み、姦淫に耽っている。
権天使は基本的に、監視が役目で神から命令がない限り、人間に姿を見せることも、声を放つこともない。
また、監視している間は、主に都市の統治者を中心に監視する。なぜなら、都市に何かあった場合、真っ先に情報が入るのは統治者の元だからである。
そして、天使は睡眠を必要としない故に、四六時中……たとえ情事の最中でさえも、統治者の元に居なければならない。
堕落する人間の姿を、否が応でも、見続けなければならない。
「…………」
ティオリアは、無表情のまま、乱れる男女を凍てついた目で見つめる。
神に仕える司教といえども、所詮は人間。真面目に勤める者もいれば、こうして権力を笠に堕落していく者もいる。
そして、女を前に服を脱げば、ただの哀れな男でしかないのだと、改めて思う。
卑猥な声を上げる情婦の、金髪の髪が寝台で乱れ揺れる。
それが、柔らかな愛らしい天使の髪を連想させた。同列に並べるには、その美しさはあまりにも段違いだったが。
そうして、連想されるまま脳裏に浮かぶのは、天使の微笑み。花畑に無防備に横たわり、髪を地に散らせて見上げる、純粋で信頼に満ちた笑顔。
その微笑みが、不意に歪んだ。
彩るは、快楽と、愉悦。
甘やかな声を、形の良い唇から漏らし、青い綺麗な瞳にティオリアの姿だけを映して。
しがみ付くように抱きしめてくれる、細い腕。指に吸い付く、手触りの良い肌。
その柔腰を抱き上げ、ティオリアは目をそらしたくなるような、醜い欲望を天使に押し付ける。
怯えて強張る体をあやしながらも、容赦なくその体を引き寄せた。
繋がる体……天使は精神だけの存在故に、その衝撃は計り知れない。
悲鳴のように名前を呼ばれた気がして、求められる喜びに唇が歪んだ。
愛しい、愛しい、自分だけの天使。
高く昇りつめる、目も眩むような快感の中、その柔らかい唇に、深く、深く唇を重ねて。
「…………ッ!」
一瞬で我に返ったティオリアは、青ざめた顔で己の顔を片手で覆った。
まただ。また、あの夢。
いや、天使は夢など見ない。あれはただの思考……妄想、だ。
だが、己の思考を反芻するのも恐ろしい程、先ほどの妄想は罪深く天使に有るまじき行為で。
「フィリ……」
この空間で、その呟きに反応するものは誰も居ない。
今頃、彼も役目についているのだろうか。それとも、天界で、お気に入りの春の丘で花や木と戯れているのだろうか。
恐る恐る思い返した笑顔は、今度は歪むことなく純粋に彼を見返してくれる。
だが、それが先ほどの妄想の罪を咎めるようで。罪の意識に胸が痛む。
本当に、それは罪の意識?
「…………」
記憶の中のフィリタスが、問いかけてくる。
罪の意識でなければ、一体なんだというのだ。
僕は、ティオが、一番好きだよ!
「……ッ……」
解っている。聞き飽きた言葉だ。
言われるたびに、居たたまれない不安に襲われるから、聞きたくない。
それでも、時々問いかけるのは、どうして?
僕が、ティオを一番すきなのは、知ってるでしょ?
違う。あいつが一番愛しているのは、神だ。
天使が、神以外を愛し、一番に思うことはありえない。
自分は、神じゃない。ただの、下級天使だ。
何の力もない、下級天使。知識ばかりを集めても、上級に上がることなど夢のまた夢。
だが知識は、地上で役目を全うすれば、いずれ、身についていく。
覆すことの出来ない力の差が、俺とアイツを引き裂いていくのだ。
離れ離れになってしまう。
あの笑顔が、遠く、遠く、手の届かないものに。
「……やめろ……やめろ!」
これ以上は考えられない。考えてはいけない。
強引に、ティオリアは思考を中断し、先ほど自分を支配した不安や焦燥を胸の奥深い扉の向こうに押し込む。そして、今の役目に集中するために前を向く。
その青い瞳は何処か虚ろで、全てを拒否する従順な人形のように見えた。
ティオリアの前には、未だ情事に耽る司教と情婦。
さほど長い時間、思考に囚われていたわけではないようだ。
人間の悪行を眺めながら、ティオリアは監視の役目に集中する。
暗い深夜の窓の外で、鳥が静か飛び立つ音を、耳にした気がした。
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