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 それは、己の内の異変を意識するようになってから、更に何度目かの任務を終えた頃だった。
 異変は着実にティオリアの思考を侵食し、もう、見ないふりをして居られないほどに膨れ上がっている。地上だけでなく、気を抜けば天界に居る時でさえ、白昼夢のような妄想が彼を襲う。その制御できない思考が、彼の情緒を不安定にし、無意識の苛立ちを覚えさせていた。
「ティオ、なんか変だよ?」
 いつもの木陰で本を読んでいると、傍らで横になっていたフィリタスが、本を押しのけるように顔を近づけてくる。
 スキンシップが好きなこの無邪気な天使は、昔から、よくこうして顔を近づけてくる。今更、どうと思うことは無い……はずだった。
 幾度と無く妄想で掻き抱いた天使を目の前に、ティオリアの体は、不自然に強張っていた。
 ほんの少し顔を寄せれば、唇が触れそうな距離。
 真っ直ぐに見てくるその純粋な瞳を直視できず、彼はスッと顔を逸らして本に視線を落とした。
「別に、何も変わってない」
「そんなことないよ! 凄く素っ気無いし、何か怒ってるみたい……」
 僕、何かした?と不安げに問いかけてくる、無垢な天使。
 欲望など微塵も知らない、純粋で綺麗な、天使の中の天使。
 そもそも、天使が欲望など覚えるはずも無い。
 とすれば、自分はもう、天使ではない、別の何かになってしまったのかもしれない。まるで、人間のような……。
「お前が気にすることじゃない」
 身震いするような恐ろしい思考を無理矢理隅に追いやって、ティオリアは肩を落とすフィリタスの頭をそっと撫でる。
 だが、彼はそれが気に入らなかったようだ。
「ティオ。何かあったなら話してよ……僕、頭は全然よくないけど……力なら貸せるよ?」
「だからお前が気にするようなことは……」
「気にするよ!だって、僕はティオが大事だもん!ずっと一緒に居たいんだもん!」
 ずっと、一緒に。
 叫んで抱きついてくる体の柔らかさに、再び脳裏にあの妄想が過ぎる。
 このまま地面に押し倒して、あの夢を現実に出来たなら。
 自分は、きっと。
「……ッ」
 気がつけば、ティオリアはフィリタスを地面に突き飛ばしていた。
 突然の衝撃で、花びらが飛ばされ、風に遊ばれ舞い踊る。
 その向こうで、驚愕した空色の瞳が自分を映す。
 苦悩に醜く歪んだ、まるで人間のような顔をした一人の天使を。
 どれくらい、そうして向かい合っていただろう。
 不意に、フィリタスの表情が動いた。
 困惑と、心配と、不安の色を浮かべながら、ティオリアを見上げる。
 それだけで、彼の中に起こった事を悟った。
「行けよ。役目をもらったんだろう?」
「でも……」
 顔を逸らして促せば、フィリタスは立ち上がりながらティオリアの顔を覗き込もうとする。心配の色を、深くして。
「行け!」
 これ以上、その美しい瞳に映る醜い自分を見たくなくて、ティオリアは厳しい口調で吐き捨てる。その拒絶の声に美しい天使は悲しげな顔を浮かべ、仕方なく翼を開いた。
「……帰ってきたら……教えてね? ティオ……」
 きっと、その顔は、悲しげに微笑んでいるのだろう。天使の慈愛と呼ぶべき、優しさに満ちている。
 どんなに拒絶しようとも己を慕う天使の純粋さに、余計惨めな気持ちになって、ティオリアは唇を噛み締め拳を握りこむ。
 ばさりと羽ばたきと共に、風に髪が煽られる。その一瞬で、もうフィリタスは天界から姿を消していた。

 苛立つのは、自分に対して。
 自分の感情一つ、うまく制御できない、惨めで憐れな己に対してだ。

「……フィリ……」
 謝罪のように呟いた名前は、何故か酷く苦く感じた。



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