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 決して乗り心地が良いとはいえない揺れる車中で仮眠を取り、時折乗ってきた乗客に請われるまま教えを説きながら、王都へと戻ったのは休暇の最終日の夕方。乗車中も、天使は珍しくずっと背後に付いて来ていた。
 長旅で疲れた体を自室の寝台に預ければ、もう朝のミサの時間だ。
「おはようございます、ジュレクティオ」
 天使の声で、深い眠りから意識が浮上する。なんと心地よい朝だろう。
「もしお望みなら、麗しの姫に熱い王子の口付けを差し上げましょう。なんなら、そのまま二人で愛を確かめ合っても……」
 これがなければ、だが。
「誰が姫だ」
 虚しいと思いながら思わず呟き、ジュレクティオは司祭服を身につけ、自室を後にする。
 道すがら、人が居ないことを確かめて、ふと気になった疑問を口に出してみた。
「ずっと傍にいたのか」
 眠っている間も。
「えぇ」
 短い返事。
 廊下を歩きながら問うので、後ろをついてくる天使の顔は見えない。だが、決して晴れ晴れとした笑顔ではないだろう。
 悪夢に魘され、夢と現を行き来する間、時折天使の歌声を聞いた気がする。
 全ての罪を許す聖なる言葉と、穏やかに頭を撫でる優しい手の感触。
 素直に感謝の言葉を口にするには、その記憶はあまりにも曖昧で、ジュレクティオの心はひねくれすぎていたが。
「本当についてくる気か?」
「勿論。相手を知っていなければ、対策は練られませんから。
 大丈夫です、一戦交える気はありません」
 それならいいが。中級天使と上級悪魔が本気でぶつかろうものなら、教会どころか王都が半壊しかねない。
 不安を抱えたままミサを終え、同僚の司祭たちと僅かながらの会話を交わし、執務室へと向かう。
 相変わらずミサには件の司教の姿がなかった。どうせ、惰眠を貪っていたのだろうが、故に聖堂で天使と悪魔の初対面にはならなかった。
 だが、仕事の拠点である執務室に居れば、必ず顔を合わせることになる。よほどお気に入りなのか、あの司教は毎日悪魔を引き連れて執務に当たるからだ。
「……いますね」
 見慣れた執務室の扉を前に、天使が声を低くして呟く。その声は、いつもの朗らかな感じとは違い、仕事をするときの……役目に従事するときの、緊張した雰囲気が滲んでいる。
「開けるぞ」
 はっきりと出した声は、天使に対してか、はたまた中に居るであろう存在に対してか。
 ジュレクティオは緊張した面持ちでドアノブを回す。
「おはよう、レッティ。休暇は楽しんだかい?」
 顔を合わせるなり、気が抜けるほどの明るい挨拶が飛んでくる。
 コンスタンス司教。ジュレクティオの上司であり、学院時代からの友人……親友と言っても良いほどの、腐れ縁の仲。
 そんな彼は今、悪魔をその膝に乗せた状態で……否、無理矢理引き摺り下ろして座らせた、といった雰囲気で、朗らかに微笑んでいた。
 よほど抵抗したのだろうか。膝の上に座らされた悪魔の褐色の肌が、ほんのり赤く色づきいているような気がする。気のせいでなければ、瞳は若干潤んでいるようで、同時に眉を寄せ荒く長く息を吐いている様子は、どこか気だるげで。
「おや珍しい。天使様も一緒かい?」
 ジュレクティオの後ろに立つ天使の姿を見つけたのだろう、コンスタンスは眉を軽く上げつつも笑みを崩さず問いかける。さすが、若くして司教になるだけのことはある、というべきか。まぁ、悪魔と対等な契約を交わすぐらいだ。天使を視ることぐらい、造作もない。当然、ジュレクティオもそれは承知している。というより、その能力がなければ、腐れ縁がここまで続くことも無かっただろう。
 そして、目の前の腐れ司教……もとい、腐れ縁の友人は、自分と懇意にしているこの天使の主な役目も知っている。警戒して当然といえよう。
 だが、司祭の心情はそれどころではなかった。
「……朝っぱらから、お前は、ここで、何をしている」
「何って……プラリネと遊んでた?」
 問われた側は、悪びれもせず、ことん、っと首を傾けて笑顔で言い放つ。
 神聖な、教会の一室で。
 大事な朝の儀式……いわば聖職者の義務ともいえる、ミサをほったらかして。
 悪魔と、戯れていた?
 人の苦労も、苦心も、知らないで?
「じゅ、ジュレクティオ……落ち着いて……」
 怒り狂う内心を読み取ったのだろう。天使が背後から宥めるように声を掛けてくる。
 聞きなれない声に反応したのか、悪魔が気だるげに扉に……司祭が立つ方向に目を向ける
「……新顔か?……ん?天使?」
 白い翼を視界に入れた悪魔が、黄金の瞳を眇めて眉を寄せる。暫く凝視した後、興味をなくしたように視線を逸らしてあくびを漏らした。ついでに、といった具合に、拘束されていた膝から浮き上がり、さりげなく司教から距離を取る。
「……なんだ、まだひよっこじゃねーか」



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