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「……ッ……」
ビクリ、と肩を震わせ、ホーリィは体を緊張に強張らせる。
その様子に苦い笑みを零し、ユーデクスは友のまだ仄かに暖かい髪にそっと指を絡ませる。
その仕草は、友の緊張を解すと言うより、彼の存在を確認するような、切ない雰囲気を匂わせていた。
「アイゼイヤと私は、同時に創られた。とはいえ、生まれて直ぐに智天使の役目を与えられたからね。存在は勿論知っていたけれど、お互い忙しくて、実際に逢ったと言えるのは100年程経ってからだったよ」
静かな声。その瞳は目の前の友を映していたが、視線はその向こうにいる別の友を見ているようで。
ホーリィは、居た堪れない思いとは裏腹に、穏やかな微笑の中の縋るような視線に囚われ目が逸らせなくなる。
「彼は、とても温和で綺麗な笑顔と共に、私の目の前に現れた。気がつけば、彼の微笑みを真似るように、私も笑みを浮かべていたよ。
生まれたばかりの頃、私は本当に役目以外は何も出来ない天使でね。笑うことは愚か、思考も曖昧で感情すらなかった」
神から与えられる役目を、忠実に、確実に実行するだけの人形。役目がなければ、何も出来ない……ただ立ち尽くしているだけの存在。
「『ユーデクス』という名前は、何の価値も持たない、ただの個体識別記号だった。それが、彼に名前を呼ばれた瞬間、『私』の世界が生まれたんだ」
色がつき、動き出した世界。それは、まさに『ユーデクス』という自我が誕生した瞬間といえるだろう。
そして、生まれたばかりの新世界の中心に、『アイゼイヤ』がいた。
その存在のなんと美しいことか!
今思い出すだけでも、心が歓喜に震えだす。
知識ではなく、心が知っていた、求めていた、唯一無二の存在。
ユーデクスは感極まったように、月色の髪を梳いていた手の動きを止めると、頭部を引き寄せ髪に頬を摺り寄せる。その存在を確かめるように、神に感謝するように、瞼を閉じて、そっと。
そうして、僅かな時間、その感触を堪能した後、再び語りだした。
「彼は創られた当初からとても知識が豊富で、感受性も私より遥かに高かった。多くの天使を統括するような役目をしていたから、当然といえば当然だろうね。
とても真面目で真っ直ぐで……役目にも熱心に従事していたよ。
そして、言葉を知らず、思考も碌になく、話すことも侭ならない私相手に、よく色々な事を語ってくれた」
地上の事。役目の事。愚痴や、彼の興味を引く様々な事。
客観的な知識から、彼の主観が大いに混じる世間話まで。
「何千年もかけて、私は彼から色んなことを学んだよ。時折偏りすぎた可笑しな知識もあったけれど、ね。
とても楽しい、貴重な時間だった」
その時間を思い出すように、ユーデクスは朗らかに笑う。だが、その笑みも直ぐに控えめな苦笑に変わってしまう。
楽しい時間は、唐突に終りを告げた。彼が、天界を去ることで。
「彼が抱えていた疑問も、知っていたよ。問われたこともあるし、真面目な彼がその答えを得られないことに苦慮していたことも、理解しているつもりだった」
だが、ユーデクスは友の疑問に答える術を持たず、共有することも出来なかった。
なぜなら、彼の役目は天使を裁くことであり、罪を犯した天使を酌量するような権限は与えられていなかったからだ。
「もし、あの問いに違う答えを示していれば、彼は堕ちることはなかったかもしれない」
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