= 9 =

 ユーデクスに指示されてホーリィは冷凍庫の扉を開ける。大きめのボールに氷と水を入れ、その上に生クリームと砂糖を入れた一回り小さいサイズのボールを乗せる。
 最後に、動かした電動ミキサーを、液状の生クリームに当てた。
「っ!?」
 途端、ぴぴっと雫を飛ばしてボールの中で踊る生クリームの粋の良さに、彼は驚いて固まる。
「生クリームに入れてからスイッチを入れた方が跳ねないよ、ホーリィ」
「そういうことは早く言ってくれ!」
「あはは、悪かったね」
 驚いた友の姿がよほど楽しかったのだろう。珍しくユーデクスは声を上げて笑う。
 それに一瞬ムッとした顔をしたものの、なんだか自分もおかしくなって、気がつけばホーリィも笑ってしまう。
 そうこうしながら、勢いのある生クリームに悪戦苦闘しつつ、彼はそれを泡立てていった。
 その間にユーデクスは、数種類のフルーツを包丁で手際よく捌いていく。
「随分と、包丁の扱いに馴れているようだね」
 その手腕を、ホーリィ感心しながら覗きこむ。
「そうかい? ふふ、練習した甲斐があったよ」
「練習?」
「どうせなら、店に並んでいるようなケーキを食べてもらいたいと思ってね」
 さらりと何でもないように口にする、その志のなんと高いことか!
 今まで全く料理をしたことのない者が持つには、あまりに大それた、野望とも言うべき目標ではないだろうか。だが、出来そうな気がしてしまうのが、この目の前の智天使の不思議なところだ。
 ホーリィは苦笑しながら、大分と形になった生クリームを確認して泡だて器を止めた。
「これくらいでいいかい?」
「ありがとう。次は飾付け用に、固めに泡立てた生クリームをお願いしていいかな?」
 わかった、ともう一つボールを出して、ホーリィは生クリームを泡立て始める。
 その横で、ユーデクスは二つに割ったスポンジにラム酒を軽く振ると断面に生クリームを塗り、カットしたフルーツをふんだんに、丁寧に並べていく。
 二つのスポンジを重ねて、周囲を生クリームで包めば、見事なケーキの出来上がりだ。
「すごい」
 滑らかな曲線を描く真っ白な円柱に、ホーリィは思わず感嘆の声が漏れる。これにフルーツや生クリームを飾るのだ。失敗しないようにしないと……と妙な緊張感を覚えてしまう。
 その時だった。
 ホーリィが手にしていた、大分と固くなって角が立った生クリームの表面を、高速で回転する泡だて器が撫でる……いや、弾いてしまう。
「うわぁわっ!!?」
「ホーリィ!?」
 周囲に、生クリームの甘い雪が降る。
 ユーデクスはミキサーを掴むホーリィの腕を掴んで、ミキサーの先をボールに戻し、スイッチを切った。
「大丈夫かい?」
「わ、私は大丈夫だけれど……すまない、部屋を汚してしまった」
「大丈夫だよ、このくらい。拭けば綺麗になる」
「でも……ケーキが……」
 白い面に一辺の歪みのない綺麗な円柱だったケーキに、ポツポツと飛び散ったクリームが付いてしまった。
 自分の失敗に肩を落とすホーリィにユーデクスは朗らかに微笑んで言った。
「問題ないよ。この方が、まるで地上の雪景色のようだと思わないかい?」
「ユーデクス?」
「天界の冬の高原のようになだらかな銀世界も綺麗だけれど、地上の銀世界のように、所々こうしてアクセントがあった方が、私は美しいと思うよ」
 そこに、時間の、命の営みが垣間見えるから。『降る』雪を連想させるから。
「それに、この方が二人で作った気がするだろう?」
 ね?とニコニコ笑う友に、ホッとしたようにホーリィは笑みを作る。
 その頬に付いた白い飾りを見て、ユーデクスは笑顔のままそっと唇を寄せた。
 ぺろり。
「……っ!?」
「うん、美味しい。それに、いい硬さだね」
 頬のクリームを舐め取った彼は、満面の笑みでそう言って頷く。
 だが、突然された方は堪らない。
 真っ赤になって呆然と立ちすくむ。だが、突然彼はニヤリと性質の良くない笑みを浮かべると、僅かに背伸びをしてユーデクスの頬に舌を伸ばした。
「貴方も、付いていたよ」
 本当は、何もついていなかったのだけれど。
 そう何度もされてばかりでは面白くない。
 お返しと言わんばかりに頬を舐める仕草をし、友の顔を覗き込んだホーリィは、己の思惑が外れたことを知る。
 なぜなら、そこには……嬉しそうに満面の笑みを見せるユーデクスが居たから。
「ありがとう、ホーリィ」
 世の中には、どうやっても敵わない相手が居るのだと、ホーリィは身に沁みて学習したのだった。



<< back || Story || next >>