lucis lacrima - 3-1

 めんどくさい。

 今のハクビの心情を表すのに、これ以上合う言葉はないだろう。

 上下真っ黒なインナーに、力を増幅するための宝石を煌びやかに散りばめた紐を首と手首、足首にそれぞれつける。そして白いゆったりとした上着を羽織って襟を重ね、文様の描かれた腰紐で括る。

 自分より上位の神官に会うときの、最低限……本当に最低限必要な儀礼的衣装に着替えて、ハクビは自室を後にした。向かうは自分の直属の上官の執務室だ。

 別に上官は嫌いなわけじゃない。なんだかんだで自分に良くしてくれているし、ハクビだけでなくクロエにも気を配ってくれている。話がわかると言う点では、これ以上良い上司もいないだろう。

 ただ、今ハクビの機嫌を損ねているのは、呼び出された理由……護衛の正式な任命だ。

 勿論、上官の言うことも判るし逆らえない。心底信頼しているクロエだって、護衛の存在は推奨している。

 けれど、唯でさえ、周りは面倒で鬱陶しい人間ばかりなのだ。新しく来る人間だって、期待できたものではない。

 自分の気に入る人間が早々いるものではないことは彼も自覚しているが、余計なものが回りに増えて、これ以上自分の生活や精神が窮屈になるのは勘弁して欲しかった。

「失礼します」

 扉の前で礼をし、許可の声を聞いてから扉をゆっくりと開ける。顔を伏せたまま中に入り、扉を閉めて、改めて顔を上げる。

 完璧な作法に頷いた上官の隣、神宮では珍しい体格の良い見知らぬ男を認識し、ハクビは内心の毒を隠して柔和な笑みを浮かべた。

 大抵は、この笑顔で警戒心を解いてくれる事を知っていて、だ。

 あらかじめ上官から、ハクビがこの話に乗り気でいないことを聞いていたのだろうか。見知らぬ男は、驚いたように一瞬片眉を上げたが、直ぐに人の良い笑みを浮かべて見せた。

 いかにも荒くれた傭兵と言った雰囲気が滲む割に、随分愛想がいいな、と何となく思う。

「ハクビ、彼が今日から君の護衛に付く、フェイだ」

「よろしく」

 上官の紹介に近づいてきて握手を求める男に、ハクビは笑顔で握り返す。

「ハクビです。よろしくお願いします」

 挨拶を返せば、男はコクリと頷いた。

「彼にはこれから、君と生活を共にしてもらうことになる。寝室も隣に用意した」

 つまりは、監視されているようなものだ。

 表情に出さないハクビの苦い内心が読めたのだろう。彼より二倍以上も年季の入った上官は、笑って少し離れた場所に立つ壮年の護衛をチラリと見る。

 その視線は親しげで、どこか慈愛に満ちているような気がした。

 そうして視線を戻すと、諭すようにハクビに言う。

「窮屈かもしれんが、慣れだよ。まぁ、早めに仲良くなっておくことだな」

「努力します」

 慣れるとは到底思えないが。彼はぼやく内心を隠して、小さくそれだけ返した。

「神宮の案内は済ませてある。後は、君の自室だけだ」

「判りました」

 用は済んだ、と退室の礼をしたハクビの頭上に笑みを含んだ声が掛けられる。

「くれぐれも、早々に追い出そうなどと考えるんじゃないぞ」

 バレている。

 さすが、神宮にきてから親替わりに面倒を見てきただけの事はある。ハクビの性格は、きちんと把握しているようだ。

「失礼いたします」

 しかしその言葉には敢えて答えず、ハクビは入室した時と同じように、頭を下げたまま扉を開けて部屋を後にする。

 護衛には上官も何もないから、軽く頭を下げるだけで男も執務室から出てきた。

 扉が完全に閉じたのを確認して、頭を上げたハクビは、チラリと自分の護衛に配属された男を一瞥した後、無言で自室に向かって歩き出す。

 その後についてくる、静かだが妙に威圧感のある男の気配を感じながら。


  
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