lucis lacrima - 3-2

 自室に入る直前、後ろから付いてくる男の目の前で扉を閉めてやろうか。という意地の悪い考えが頭を過ぎる。

 が、後々のことを考えるのが面倒で、仕方なく部屋の中に入れてやった。

「適当に座れよ」

 ハクビはソファを指差し、上司の部屋で取ったのとは一変、ぞんざいな口調で命令する。

 首と手首の飾りを外し、上着を脱いで適当に部屋の隅にあるベッドに放ると、執務机に行儀悪く身体を預けて改めて護衛となった男を見た。

 対するフェイは言われるままにソファに座りつつ、苦いような、からかうような、楽しんでいるような、何とも言えない複雑な色を含んだ笑みで此方を見ていた。

 寛いだ、上品さの一切ないその様子は、初対面で向けられた愛想笑いとは違い、随分としっくりと来る……これが本来の彼の笑い方なのだろうと根拠もなく思わせるものだ。

「何?」

 視線の意図を問いかければ、フェイは笑みを深くする。

「いや、話には聞いていたが、相当人嫌いだな、お前」

「人嫌いなんじゃない。気に入った人間以外興味がないだけ」

「神官ってのは皆そうなのか?」

 問いかけに、ハクビは肩を竦める。そんなもの、判るはずが無い、と。

「知るわけないだろ。他人のプライベートに興味なんてないし。
 まぁ、護衛を自分の召使かなんかだと思ってる奴らは多いみたいだけど」

「なるほど」

 思い当たる節があるのだろう。神妙に頷くフェイに、今度はハクビが首を傾げる。

「媚びないんだな」

「あ?」

「俺の機嫌一つでお前の解雇なんて簡単に出来るんだよ?」

 退室時、上司はあんなことを言ったが、ハクビの評価一つでこの男の身の置き場は変わる。このまま護衛を続けるか、神宮を追い出されるか。

 だが、掛けられた言葉にフェイはそんなことか、と言いたげに眉を上げた。

「媚びて欲しいのか?」

 軽蔑さえ含んだ口調で返って来た返事に、ハクビは微かに笑みを作って首を左右に振る。

「いいや。なんだか、アンタが俺に媚びても裏がありそうで怖い」

「酷い言い草だな」

「褒めてるんだよ」

 心にもないことを言って、ハクビは笑う。吊られた様に、フェイも口端を緩める。

「下らない奴だったら、さっさと追い出そうと思ってたけど、いいや。気に入ったよ」

「それはどーも。光栄だな」

 棒読みで、人を小馬鹿にしたような笑みで礼を述べるフェイに、しかしハクビは益々気分を良くして笑みを深くした。

「せいぜい、しっかりと俺の盾になってよ。護衛らしく、さ」

「給料分はな。ところで、俺の部屋は隣なわけだが、添い寝は要るのか?」

 フェイの言葉に、ハクビは心底嫌そうに顔を歪める。冗談ではない。

「要るわけないだろ。基本的に、昼以外は俺が呼ぶまでこの部屋に入るな」

 若い神官の命令に、フェイは苦い笑いを浮かべる。しかしその表情は、命令が不満と言うよりは、駄々を捏ねる子供に対する諦めにも似た肯定のものだ。

 傍にいなければ、咄嗟の時に行動がし辛い。それを、この若い神官は判っているのだろうか、と。

「楽なんだか、面倒なんだか判らんな」

「心配しなくても、俺に嫌がらせする奴はいても、夜襲をかける奴なんていないさ」

「どうだかな。ま、とりあえず命令に従いますかね」

 伸びをしてダルそうに首を回すフェイを横目に、ハクビは執務机に着き、やりかけの仕事を始める。

 後はただ、何もない空白の時間が過ぎるだけ。

 自室に自分以外の人間がいて、会話も何もないこの状態。しかし、これが予想していたより苦ではない事に、ハクビは夕飯の時間になるまで気付かなかった。


  
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