lucis lacrima - 3-10
部屋に戻るなり、ハクビはフェイに腕をきつく掴まれた。指が食い込む程強いそれは、フェイの憤りを表し、ハクビの眉を痛みに歪ませる。
「痛い」
「知っていたんだな、俺の仇が、アイツだってことを」
殺気の篭った眼差しに、掴まれた手が緩められない事を悟り、ハクビは溜息を吐いて瞼を伏せた。
「当たり前だろ。クロエが軍で何をしているのか、俺は全部知ってる」
「だったら、何故黙っていた」
あまりに馬鹿げた質問。
ハクビはその問いかけに自分を見下ろす鋭い琥珀色の目を睨みあげる。
「喋るわけが無いだろ。言えばお前はクロエを狙う」
「当たり前だ。アイツは俺の家族を皆殺しにしたんだぞ」
「クロエは俺の唯一の肉親だ。守って何が悪い」
返された言葉にハッとしたフェイは、しかし直ぐに負けじと自分より小柄な青年の眼差しを睨み返す。しかしその視線は先程の怒りに我を失ったものではなく、幾分和らいでいるような気がした。
暫しのにらみ合い。両者一言も発しないそれは、広い部屋にピンと張り詰めた緊張を作る。
「…………」
「…………」
不意に、ハクビの視線が逸らされる。軽く瞼を伏せるように俯いた彼の行動は、その緊張した空気を揺らがせた。
「……泣いたんだ」
泣き言のように、弱々しい声でポツリと、呟く。
「あいつは、泣いたんだ。自分は、人殺しだって。穢れているって」
「…………」
フェイは何も言わない。ただ、零される言葉を一つも漏らすまいと意識を集中して。
「フラフラの身体で、コートも着ないで俺の所に来て……皆、殺したって。罪もない人を、殺したんだって泣いたんだ」
伏せた顔が上げられる。その顔は、今にも泣きそうで、しかしその唇は歪に歪んだ笑みを模っていた。
「あいつは、俺の手を振り払ったんだ。そして、怯えた目をして泣いたんだ。俺まで傷つけるんじゃないかって。
お前に分かるか? たった一人の肉親に、怯えた目を向けられる辛さが。同じ顔をした、唯一心を許した相手に、手を振り払われた痛みがッ」
必至に溢れそうになるものを堪えて。それでも抑えきれない感情のままに言葉を吐くハクビに、フェイは何も言えなくなる。
「クロエは死にたがってる。自分の力に怯えて、解放されたがってる。
多分、お前が剣を向ければ、喜んでその命を差し出すだろう」
その言葉に眉を寄せたフェイを、ハクビは今までで一番、力の篭った眼差しで睨んだ。
「絶対に、そんなことはさせない。お前に、クロエを殺させない。クロエが望んでも、絶対に」
「…………」
「お前が護衛で居る限り、お前は俺から離れる事は出来ない。クロエを狙う隙なんてなくなるはずだ」
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