lucis lacrima - 3-8

 白亜の壁に目立つ、真っ黒なコート。目深にフードを被り、やや急ぎ足でクロエは神宮の廊下を歩いていた。

 神官長に会うために。

 燦々と照りつける太陽とそれを反射する壁に、正直足元が覚束無くなりつつある。気を抜けば、今にも倒れてしまいそうだ。まして、昨夜の暴動鎮圧の疲れも残っている身体には辛すぎた。

 早く宿舎の真っ暗な自室に帰るか、ハクビの元に行きたい。面倒な報告など手短に、さっさと済ませて、身体を休ませたかった。

 途中、神官達とすれ違い、足を止めると顔を隠すかのように深く会釈をしてやり過ごす。

 神官側も、わざわざクロエと会話しようとする者はいない。ただ、忌々しげなものを見るように早足にその場を立ち去っていく。

 神官の気配が完全になくなったのを確認し、クロエは疲れた溜息と共に、緑生い茂る庭を横目に見た。

 太陽に向かって手を伸ばす青々とした植物たち。命を謳歌する喜びの歌を歌っているような美しさ。……自分とは正反対だ。

 昨日、拠点を抑えた反乱兵達はどうなったのだろう。結局、昨日は力を使わなくてすんだ。

 ルグスと共に先陣切って拠点に乗り込み、主要人物を手早く処断した後、騒ぎが大きくなる前に直ぐに撤退してしまった。

 トップを失い動揺する兵達は、他の部隊……シラナギの隊もいた……が鎮圧、拘束していたのを視界の端に捕らえたきりで、その後どうなったのかは聞いていない。ルグスの言い様を真に受けるなら、彼らもまた、自分達が処断した者達と同じように、極刑に処されているか……あるいは、拷問にかけられているのかもしれない。

 何気なく見下ろした手は、酷く血で汚れているように見えて、忌々しい物に見えて、思わず険しい表情になる。

 昨日、主要人物の寝室に夜襲をかけた時の、相手の驚いた顔が過ぎる。それが絶命する瞬間の、断末魔の悲鳴と表情。手に残る感覚が、新たに加わった罪の錘を更に意識させた。

 今更だ。今更どうこういったところで、自分の罪が軽くなるわけが無い。

 分かっていても、それは悪夢としてクロエを脅かし、苦しめる。

 当分、また悪夢に魘されるのだろう。

 彼は再び溜息と共に正面に視線を移す。とりあえず、昨日の報告をしなければ。

 そうして歩き出した彼の手に、誰かの手が背後から触れた。

「……!?」

 驚いて手を振り払おうとしたクロエは、背後を見て動きを止め、呆れた笑みを浮かべた。

 向けられた相手は、瓜二つの顔で、にっこりと邪気の無い笑顔を浮かべる。

「ハクビ……驚かせるな」

「ごめん。見かけたら、つい捕まえたくなって」

「俺は小動物じゃない」

「そういうつもりは無いけど」

 ハクビは笑いながら、その手をそっとクロエの頬に当てた。

 ひんやりとした手。自分は、少し熱っぽいのかもしれない。気持ちよさに目を細めた。

 同時に、触れられた場所から力が湧いてくるような、疲れが軽くなってくるような感覚を感じる。

「お疲れ様。神官長のところに行くんだろう?
 終わったら、俺の所に顔出してよ」

「……仕事は?」

「大丈夫。下っ端に来る仕事なんて、大したものは無いんだから。クロエの方が大事」

 穏やかに笑うハクビは、来るよね? と再度クロエに確認する。それに頷き、クロエも穏やかな微笑みを浮かべる。

 しかし、直ぐにそれは硬直した。

 ハクビの背後から、彼らに向かって歩いてくる一人の男を見て。

「こんな所に居たのか、ハクビ」

 その男の顔は、嘗て自分がとある小さな村で見た、忘れられない男のものと同じだった。


  
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