lucis lacrima - 5-11
疲弊しきった心と体は、もう動く事を完全に拒否していた。
部屋に戻らなければ、そう思うのに、体は指一本動かせない。
穢れを洗い流され、ベッドに横にされる間も、ずっと。
まるで、心と体が別離してしまったように、クロエはただ力なくシラナギに身を任せるだけだった。
「大丈夫か?」
「…………うん」
部屋主が心配して顔を覗き込んでも、小さく呟きを返すのが精一杯。
濡れていない瞼の見えない涙を拭うような、武骨で優しい指の動き。
暖かいその指に、クロエは何かがこみ上げてくるのを感じる。
「……好きなだけ、居ればいい」
「……でも……」
「まだ、夜は明けない。気が済むまで、此処にいろ」
そう残すと、シラナギはクロエの裸体にシーツを掛け、静かにベッドを離れていく。
遠くで、微かに何かが軋む音を聞く。多分、ソファに横になったのだろう。
「…………」
残されたのは、ただ、沈黙と闇。
「……ッ、……」
部屋の主のように深く大きく優しいそれは、クロエの中の何かを崩壊させた。
溢れる。涙。涙。涙。
「……ぅ……」
止め処ないそれを、クロエはシーツに押し付けながら、声を押し殺して泣き続ける。
呼吸が、心が、苦しい。
瞼が、喉が、熱い。
脳が、胸が、痛い。
どんな泣いても、泣いても、声が出ない。まるで、大きな塊が塞いでいるかのように、喉が痞えて言葉が出ない。
泣くのは、初めてじゃない。
人を殺した時、無理矢理『召集』された時、意味もなく恐怖した時、いつだって『彼』を呼んで泣いた、のに。
今はもう、誰を呼んでいたのか、どんな風に泣いていたのか判らなくなっていた。
今はもう、誰を呼べばいいのか、わからなくなっていた。
クロエは、生まれて初めて、広い世界の中で一人だと感じていた。
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