lucis lacrima - 5-7
夜、一人で過ごすのは、実はあまり得意ではない。
自室待機命令を遵守し、己の規則的な呼吸を聞きながら、シラナギは一人ベッドの傍らで体を鍛えていた。
腕立て伏せ、腹筋、背筋。リズミカルに動く体に合わせて、己の長い真紅の髪が揺れる。
本当は訓練場へ向かうか、寝るかをしてしまえば良いのだが、待機命令が出ている以上外に出るわけにも行かず、睡魔もまだ襲ってくる時間ではない。
仕方なく、体を動かして頭を空にしているのである。
そうしなければ、獣が襲ってきそうだった。
本能という獣が。
人を傷つけ、殺める事に快感を見出し、体の自由を奪われ殺戮を繰り返しそうな気分に陥る。
今以上に争いが耐えなかった数年前、矢継ぎ早に受け続けた増強術の後遺症、と人は言う。
それに甘んじる事は簡単だ。
あの当時、同じように増強術を受けてきた当時の同僚達は、ほぼ全て居なくなった。
狂った断末魔の悲鳴のような雄叫びを上げながら、無数の毒矢の的となって消えた。
シラナギは、唯一、その狂気に勝ち抜いた人間だ。
否、未だ勝利は収めていない。今も耐え続けているのだから。
死ぬまで、絶え続ける。
もう終わりたい、と悲鳴を上げる心を捻じ伏せて、暴れ狂う獣を抑え付けて。
生きる事を選んだ。
生き抜き、最期は正気のまま、力尽きるのだと。
「……、……、……」
無表情のまま、無心に体を動かしているようで、その屈強な男の思考には一人の青年の顔が時折浮かんでは消えている。
常に、生きている事を憂えている顔。
今は、あの夜行性の体を、無理矢理丸めて眠っているのだろうか。
カタン......
突如耳に入った、微かな音。
男は腹筋を鍛える動きで上半身を起こしたまま、ぴたりと動きを止め、音に意識を集中する。
沈黙の中感じる、微かな生命の気配。閉めた窓の向こう。
シラナギは無言で立ち上がると、気配を消したまま月明かりが差し込むそちらに足を向け、静かに、隙間程窓を開けた。
「……ぁ、」
冷たい空気と共に室内へ飛び込んだのは、小さな驚きの声。
見下ろせば、無防備に月明かりへ黒髪を梳かせる一人の青年が、此方を見上げていた。
先程、何度も思考を過ぎった顔。シラナギの顔が、思わず苦いものに変わり、その顔をよく見ようと思わず窓を全開にする。
不快、というよりは、ただ、不思議だった。
自分が知る限り、軍の規律や命令には忠実だったクロエが、自室待機命令を無視して外に出ている事が。
今にも泣きそうな顔で、自分の部屋の窓の下に立っていることが。
月明かりで見辛いが、その顔は白く、長い間外に居たらしい事が伺える。
「いつから立っていた?」
「ちょっと、前、から……。
……その……えっと……ごめん」
問いかければ、彼は怒られた小犬のように怯えてその場に立ち竦む。
落ちる沈黙に、何となく居たたまれなくなって、気が付けば呟いていた。
「来い」
「……ぇ?」
「此処に、来い」
シラナギは、言いながら、この部屋の入り口に一番近い官舎の入り口を指す。
クロエは何度か指された先と男の顔を見比べ、やがて意を決したように小さく頷いて足を踏み出した。
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