lucis lacrima - 5-8
こんなに、廊下が長いものだとは思わなかった。
こんなに、廊下が短いものだとは思わなかった。
長くて短い廊下。
いつもより大きく感じる官舎の入り口を通って、シラナギの部屋の分厚い木の扉を見つめる。それは、自分の部屋のものと同じなはずなのに、とても自分の腕力では開きそうもないように感じた。
聞こえて欲しいのか、欲しくないのか。とても小さくノックをすれば、一言、『開いている』とだけ声が返る。
ゆっくりと、音を立てないように静かに扉を開けると、数刻前目にしたばかりの深紅の髪の大男が扉の近くに立っていた。
「どうした?」
体を鍛えていたのだろうか。微かに汗の匂いが鼻を掠め、赤い髪がいつもより艶めいて見える。
眩しく映るそれから目を逸らして、クロエは、道中何度も反芻した言葉を舌に乗せた。
「…………て、ほしくて」
「……何?」
声が小さすぎて聞き取れなかったのか、言われた言葉が信じられなかったのか。男は、眉を寄せて聞き返してくる。
カラカラに渇いた喉に無理矢理唾液を押し流しながら、クロエはもう一度、小さな声で、だが聞き取りやすいように口を動かした。
「抱いて、欲しくて」
「…………」
無言。
返らない返答に、クロエは顔を上げてシラナギを見た。
自分が本気であると、伝えるために。真っ直ぐに、恐怖を押さえ込んで、真剣な表情で男を見た。
いつも以上に冷たく感じる、まるで知らない人間のような彼の無表情に、青年の芯がすっと冷えていく。
この後に待つであろう劣情を冷静に受け止められそうな自分に、恐怖と安堵を同時に覚えながら、クロエはその無表情に沈黙を返した。
「……少し、待っていろ」
そう呟くと、男はベッドを指差し、シャワールームへと消えていった。
ぼんやりと、指示されたベッドに座りながら、クロエは月明かりが照らす床を見ている。
なんだか、酷く疲れてしまった。
初めて入るシラナギの部屋が随分と殺風景で、『無』を連想させたからかもしれない。
酷く疲れていたが、酷く落ち着いた気分だった。
その部屋の雰囲気に、何も考えなくていい。そういわれた気がして。
それは、長い時間だったのか、短い時間だったのか。
正直、良く覚えていない。
ただ、気が付いたら月明かりが遮られ、目の前にしっとりと濡れた赤が広がった。
「……本当に、いいんだな」
雫を落とす赤の中で、二つの小さな闇が自分を見ている。
静かで、穏やかな夜の海のような瞳が、問いかけてくる。
クロエは、頷いた。ゆっくりと、しっかりと。
「……抱いて」
両手を差し出せば、逞しい体が降りてくる。視界を夜の海が塞ぎ、絶望にたゆたう青年は静かに目を閉じた。
彼を抱き締めてくる、シャワーを浴びた直後の大きな体は、酷く冷えきっているように感じた。
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