lucis lacrima - 6-10

 尋常でないクロエの様子に、シラナギは重い空気を掻き分けるように彼のもとへ向かう。

 気を抜けば、潰されてしまいそうだ。

 近づけば近づくほど、重力が増しているように足が重くなる。普段なら数秒で縮まる距離が、妙に遠く感じる。

「クロエ!」

 叫び声に顔を僅かに横にずらせば、前方の中庭に体躯の良い男に支えられたもう一人のクロエの姿があった。

 違う。彼の片割れだ。一度だけ戦場で遠目に見ただけだが、あれだけ良く似ているのならば直ぐに判る。

 それを確認すると、もう一度、シラナギはクロエを真っ直ぐに見やった。

 何があったかはわからないが、彼にとってショックな事が起こったのだろう。



 かつて、彼が無意識に発動する闇を恐れた事があったのを思い出す。

 周りを傷つけるのが怖いと漏らしていた青年。

 彼が、獣を抱えた男を恐れず、彼自身の方が怖いと漏らした理由がわかった。

 今、シラナギは青年に対して、恐れを抱いてはいない。ただ、闇に埋もれる彼が悲しく、堪らなく愛おしいと感じている。

 だが、同時に内に恐怖を覚えていた。

 己の中の凶暴な獣が、目の前の闇を恐れて唸り声を上げようとしているのを感じ取って。

 防衛本能に飲まれれば、最後。

 自分は目の前の青年のように、我を失って周りを屠るだろう。

 喰われてはいけない。

 自分の内なる闇には、絶対に。



 シラナギは世界を拒絶する青年に手を伸ばす。

 怯える自分に、彼がそうしたように。

 その悲しみと絶望を包み込むように、男は青年の細い体に腕を回し、力強く抱きしめた。


  
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