lucis lacrima - 6-11

 暗い暗い闇の中に居た。

 何も見えなくて、何も聞こえなくて、何も感じなくて。

 ただ、あるのは闇。

 自分の存在さえあやふやで、宙に浮かんでいるようで、空気と自分の境界が曖昧で。

 だが、それがとてつもなく心地よいと感じる。



 何も、見たくない。
 何も、聞きたくない。
 何も、感じたくない。
 何も、知りたくない。



 ただ、静かな闇の中で過ごしたい。

 ただ、静かな平穏の中で過ごしたい。

 ただ、静かな安らぎに身を任せていたい。



 自分の半分が消えてしまった悲しみに溺れた。

 もう、何も自分には無いのだと、絶望した。

 ならば、自分の過ごしやすい世界を作りたいと、切望した。



 何かが自分を包む。

「……ッ」

 全ての感覚を遮断した彼にとって、その温もりは刺すような熱さに変わり、全ての感覚を呼び覚ました。

 風が肌を撫で、背中から腰にかけて力強い温もりを感じる。

 鼓膜が震え、無数の音が鮮やかに脳内を駆け巡る。

「クロエ」

 最初に聞こえたのは、心地よい低音。

「クロエ!」

 次に聞こえたのは、聞き覚えのある若い青年の声。

 視界が開け、眩しい光が目を焼く。

 光の向こうに見たのは、白い衣装を着た自分の姿。

 一回り以上大きな体躯の男に支えられて、こちらを必至に見ている。



 あぁ、無事だった。



 唇に安堵の笑みが浮かぶ。

 振り返って、己を抱く人物を見ようとする。

 勿論、判っていた。

 この腕が、『彼』の腕だと。

 幾度この腕に抱かれたのだろう。

 熱くて、力強くて、優しい。

「クロエ」

 もう一度、耳に響く低音。

 赤い豊かな髪が視界を横切る。



 あぁ、瞼が重い。



 振り返る動作がおろそかになり、膝が折れて体が重力に従う。

 閉じる寸前の視界の隙間に、慌てたシラナギの顔が映る。

 それがとても楽しくて、小さな笑みを浮かべた。



 そうして、クロエの体は完全にシラナギの腕の中に納まった。


  
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