lucis lacrima - 6-12
目を開けたら、其処は見慣れた天井だった。
自室と同じような天井。だが、鼻腔を擽る部屋主の香りは、自分のものではない。
それでも体に馴染みきった安心できる香りを認識しながら、クロエは首を動かして赤い髪の男を探した。
薄暗い部屋。多分、夜なのだろう。微かな明かりが照らしているだけの其処は、人探しをするには暗すぎる。
それでも漸く探し当てた男は、ソファに腰掛けているようだった。暫く眺めていたが身動ぎ一つせず、まるで眠っているように見える。
「…………」
クロエは無言で体を起こすと、ベッドから降りる。
体が重い。夜だというのに、まるで日光の下にいるようだ。
自分の体に違和感を覚えながら、彼は静かに足音を殺してソファへと近づいた。
男の赤い豊かな長い髪が、背もたれに撓んで滝のように見える。静かに閉じられた瞼は、精悍な顔つきこそ変わらないものの、普段よりほんの少しだけ穏やかに見えて笑みを誘う。
不意に悪戯心が湧いて、クロエは男の横に並んで座った。
ほんの少し沈む体。思いの外ソファが揺れて、クロエの心臓が跳ねた。
「…………」
案の定、横を見れば男は瞼を開き、静かな眼差しで伺うようにこちらを見てくる。
「……おはよ……といっても、夜だけど」
とりあえず言葉を掛ければ、男は明らかに肩の力を抜いて安堵の様子を見せた。
そして、優しい闇色の瞳を向けて問いかける。
「体の調子はどうだ」
「大丈夫。ちょっとダルいけど」
言って、クロエは黙り込む。
聞きたいことはある。どうして自分がこの部屋にいるのか、とか、会議はどうなったのか、とか。
だが、それ以上に確かめたい事が頭の中で渦巻いていて、しかし聞けば取り乱してしまいそうで怖くて口を利けなかった。
男は何も言わない。まるで、彼の言葉を待っているように。
ただ、暗闇の中、時間だけが過ぎていく。
普段なら心地よい沈黙が、今はとてつもなく重くて息苦しいものに感じる。
責められている訳ではないはずなのに。
「……俺、力を使ったんだ」
それは、問いかけではなく告白だった。
そして、それが一番自分が確認したいことだった。
「そうだな」
肯定の言葉に、クロエは安堵と絶望を同時に感じる。
この男が、自分を否定しなかった安堵と、恐れていた事が現実になった絶望と。
耐え切れなくなって、華奢な青年は己の顔を両手で覆い隠した。
「ハクビが襲われて、何も出来なくて、何も考えられなかったんだ」
声が震える。己に恐怖して。
「覚えてないんだ。力を使ってる間のこと。何も……」
いつもなら、ちゃんと覚えているのに、と肩を震わせ呟く青年に、シラナギは静かに状況説明を零した。
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