lucis lacrima - 6-8

「クロエ……クロエ!」

 地面に四つん這いになり、ハクビは手を伸ばして叫ぶ。大切な片割れの名を。

 だが、自ら世界を隔離した青年には聞こえていない。

 彼を取り巻く闇が少しずつ力を増し、逆にハクビの体からは力がどんどん抜けていく。

「クロエ! 俺は大丈夫だから……落ち着いて、クロエ!」

 叫びながら、絶望を感じた。

 自分の声が届かない事に。大切な、双子の片割れなのに、自分の声が届かない。

 急にその存在が遠くなったような気がして、恐怖を覚える。

「どうなってんだよ、あいつは」

 フェイが見かねてハクビを支え起こし、問う。

 その顔は、過去のトラウマを思い出したのか蒼白で、体は微かに震え、苦悶に満ちていた。

「多分……俺が、刺されたと思ったんだ」

「それで暴走したって言うのか?」

「判らないよ……俺だって、こんな事初めてだから」

 少し冷静に考えれば、軍でしっかりと訓練を受けているクロエのことだ。こんな簡単に混乱するはずがない。

 だが、今は真昼……彼が最も苦手とする時間で、しかも今日は陽が燦々と輝いている。きっと、正常な判断力が鈍っていたに違いない。

「で、どうするんだ。早く止めねぇと、こっちまで巻き添え食うぞ」

 護衛に言われるまでも無いが、ハクビにはどうしたら良いかわからない。

 体にはマトモに力が入らず、思考も、まるで夜のように鈍り始めている。

 だが、クロエを取り巻く闇は確実に深くなり、徐々に広がっている。闇の端に触れた中庭の芝が、少しずつ飲まれて霞と化しつつある。

「しっかし、襲撃してきた奴は真っ先に消してるだけ、判断力はそれなりに残ってるって事か」

「感心してる場合じゃないだろ。第一、最初に消されたのは、只単に俺を傷つけたっていう復讐心からだと思うんだけど!」

 自分を落ち着けようとしているのだろうか、的外れな分析を漏らす護衛に、ハクビは呆れて突っ込みを入れてしまう。

 そんな場合ではないと判っているのに。

「クロエ!」

 効果がないと思いながらも再度叫ぶ。

 今のハクビには、それしかなす術がない。

 生み出された歪な闇は、確実に世界を侵食し始めていた。


  
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