lucis lacrima - 7-8

 ハクビはただの神官で、しかも見習いから漸く抜け出したばかりの下っ端で、周囲から見ればそれだけの存在。

 判っていた。判っていたけれど。



「……クロエ」

「…………」

 会議の後、部屋から出て行く隊長達を他所に椅子に座ったまま立ち上がらない特殊隊の若い隊長を案じ、前衛隊長が声を掛ける。

 だが、青年は悔しげに唇を噛んだまま反応を返さなかった。



 悔しい。無力な自分が。

 優先すべきは国。

 そして、国を導く事実上の権力者、神官長。

 判っている。判っているけれど。


 自分には、国よりも、国王よりも、神官長なんかよりも、何よりも自分の片割れが大切なのに。



 総隊長が下した判断は、『待機』だった。

 下手に動いて反乱軍を刺激しないよう、神官長を危険な状態に晒さないようにすることが最大の優先事項とされた。

 そして、事態を解決するために状況を確認するよう、密偵を送ることが決定された。

 勿論、密偵はそれに長けた部隊が動く。

 自分は、『待機』側の人間だ。

「クロエ」

「判ってる……けど……」

 退室を促すシラナギに、クロエは俯いて小さく呟く。

 手遅れになる前に、ハクビを救い出したいのに。

 男は、判っているというように、動かない青年の頭を優しく叩いた。

「大丈夫だ。今は、そう信じろ」

「……でも……」

「軍に属する以上、命令は絶対だ。
 お前も、判っているだろう」

「…………」

 男の言う事はもっともだ。

 だが、クロエにとっての『絶対』は、ハクビの命を守るという上での絶対だ。

 命令違反時の処分は、自分とハクビの連帯責任だと言われてきたから。

 それが崩れた今、命令を守ることに意義を見出せないで居る自分がいるのも確かで。

「クロエ」

「…………」

 シラナギの言葉が頭上を通り過ぎる。

「大丈夫だ。そう簡単に神官が殺されはしないだろう。
 利用価値が高いからな。恐らく、神官長以上に、助かる可能性は高い」

 神官の増強術は、上手く利用できれば王国を手に入れるだけではなく、大陸全てが武力的に制圧できる力となる。

 かつてこの王国が統一した時のように。

「……うん……」

 シラナギの言葉はあくまで可能性であったし、神官達がそう簡単に反乱軍に協力するとは思えない。今この瞬間にも、必至に抵抗している可能性はある。

 だが、それでも、今のクロエにはその言葉に縋りつくより、できることはなかった。

 下手に動いて神官長の身を危うく出来ないのと同様に、片割れの身を不用意に危険に晒すわけにはいかない。

 ゆっくりと立ち上がった若い隊長を確認し、シラナギは部屋を出る。

 重い会議室の扉を閉めて、二人はそれぞれの隊員のもとへと足を向けた。


 今はまだ、これから何が起こるのか、この反乱が何処へ収束するのか、誰にも分からなかった。


  
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