lucis lacrima - 8-4
上がる怒号を遠くに聞きながら、ハクビを抱えたフェイは走っていた。
「何処に、向かってるんだ?」
「下手に喋るな。舌噛むぞ」
問いかけに、忠告が返り、尋ねた青年は抱えあげられた男の肩元で口をへの字に曲げる。
暫くの沈黙の後、ポツリと男の呟きが聞こえた。
「どっから出られるかねぇ」
「…………」
それだけで、この男が何も考えなしであった事が判る。
今更ながらに男の浅はかさを呆れつつ、しかしハクビは己の選択に呆れた溜息を吐く事はあっても後悔は覚えなかった。
「正直、現状がわかんねーんだよな」
「一度、何処かに身を隠して策を練ったら?」
「そうだな……」
とりあえず足を止めて、近くに手ごろな部屋が無いかどうか見渡したその時、フェイのハクビを抱えていない側の腕を、何か熱いものが掠めた。
「フェイ!」
「お出ましだな」
フェイを掠めた矢が床に硬い音を立てて落ちる。背後を振り向けば、長剣を振りかざした若い兵が2人、こちらへ走ってきた。
その奥には、1人の弓兵。
制服から見て、王国軍の兵士に間違いない。
「しっかり捕まってろ」
フェイの言葉に、ハクビは彼の背に回した腕に力を込め、白いシャツを握り締める。
それを感触で確認して、男は腰に下げた長剣を器用に引き抜くと、片手で構えた。
「神官様を離せ」
兵の言葉に、フェイは不敵に笑う。
「わりぃな。コイツは俺のなんでね」
「誰がお前のだ!」
思わず顔を赤らめて青年は突っ込みを入れるが、急に視界がぶれて慌てて歯をかみ締めた。
直後切り込んできた兵に、彼を抱える男が応戦したのだ。
青年を庇うように剣を構え、片手で兵の重い剣を受け止める。
耳を塞ぎたくなるような甲高い金属音に、ハクビは思わず眉を寄せた。
こんな間近で音を聞いたのは初めてだ。戦場に出たときは、後衛の医療部隊にいた。その際、遠くで音を聞くことはあったが、ここまで耳障りだとは思わなかった。
重い剣が引いたかと思えば、直ぐに別の兵の剣が振ってくる。
幸い、弓兵は味方に流れ矢が当たるのを危惧して、矢を撃ってくる様子は無い。
チラリとみた男の顔には笑みが浮かんでいたものの、表情は硬い。
ずっと青年を抱えて走っていたのだ。体力も消耗しているに違いない。
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