lucis lacrima - 8-8
人気が無いのを見計らって適当な部屋に滑り込んだフェイは、窓際までたどり着くと力尽きたように座り込んだ。
ハクビは落とされるように下ろされると、バランスを取って床に足をつけ、素早く周囲を確認する。
初めて入る倉庫部屋だ。見習いの時は、自分も雑用で倉庫部屋へ入ったことはあるが、此処は担当していた場所ではなく、見覚えもない。
周囲には、箒等の掃除道具や梯子や椅子等が乱雑に置かれており、窓から日差しは入ってくるが、どこか埃っぽく空気が淀んでいるように感じた。
それだけ確認すると、ハクビは座り込んだ男の傷ついた足を確認しようと、傍らに膝を着く。しかし、傷口を確認する前に、手が伸びてきて手首を掴まれた。
嫌な予感と共に、青年は大きく体を震わせる。
「ハクビ」
真剣な声。今まで聞いたことが無いほど、それは緊張を孕んでいて、ハクビに不気味な不安を抱かせる。
男の琥珀色の宝石のような瞳が、何処か遠く見えて、彼は堪らず視線を逸らした。
「このまま、表へ出て王国軍と合流しろ」
「……お前……馬鹿じゃないのか? そんなことしたら……」
男の言葉に、青年は驚いて顔を上げて眉を寄せる。
しかし、そんな彼の言葉を遮るように、握られた手首に力が込められた。
「今は、生き延びる事を、考えろ」
そして、男は戸惑う青年を見ながら笑みを浮かべる。
かつて、夢の中で見せた、あの優しい笑みを。
「大丈夫だ。必ず、迎えに、行く」
自分より一回り以上大きな手は、妙に冷たく、微かに震えていた。今にも、力尽きそうに。
「信じられるわけ、ないだろ」
ハクビは、フェイを睨みつけて言うが、彼の声も震えて儚く、凄みの欠片も無い。
妙に冷たい男の手とは裏腹に、冷たい石の床に着いたはずの青年の膝に、足に、生暖かい何かが染み込んでくる。
それは、目の前から零れ落ちた男の体温。
窓からの日差しが届かない男の顔は、酷く白く見える。
恐怖を振り払うように男の手を振りほどき、ハクビは傍らに落ちた男の長剣を拾い上げると、手近にあったカーテンと思われる布を引き裂いて、傷ついた足をきつく、きつく縛り上げた。
「一生、俺の護衛なんだろう? こんなところで、放りだすな」
強がってみても、声の震えは止まらない。
自分が使った増強術のせいで、この男は傷を負いながらも激しい動きが出来てしまった。
それが、出血を酷くした。
激しい後悔の念に駆られながら、ハクビは残った布を傷口に当てて、圧迫することで止血を試みる。
無駄だと、判っていても。
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