lucis lacrima - 8-9

「泣くな」

 パタパタと、赤い池溜まりに透明な雫が落ちる。

 圧迫した筈の布は、みるみるうちに赤く重く濡れていき、溢れ出る液体は青年の白く華奢な手をも染めていく。

 全身で押さえ続ける手に、冷たい大きな手が重なった。

 その瞬間、必死に堪えていたハクビの中の、何かが決壊する。

「や……だ……」

 もう、止血などしていられない。

 ただ、添えられた手を、縋るように握りしめた。

 首を振り、男に抱きついて肩に顔を埋め、子供のように泣きじゃくって。

 いつものように笑うことなど出来なかった。余裕など、何処にも無かった。

「フェイ……いやだ……やだ……ッ!!」

 目の前の男を失いたくなくて、ただただ無力を嘆いて泣き喚く。

 フェイは、穏やかな笑みを浮かべて、縋りつく愛しい青年の黒い髪を、空いた手で撫でる。

 何度も、何度も。その感触をその身に刻み込むように。

「何もかも失くして……復讐だけで、生き伸びて」

 ポツリ、ポツリ、と呟きが泣きじゃくる青年の耳に届く。

 顔を上げたハクビの目には、夢と同じ、優しい笑みを浮かべた愛しい男の顔だけが、映っている。

 それを認識して、フェイの笑みが深くなった。

「……碌でもない、人生かと……思ってたけどよ」

 とても穏やかで、優しい声が青年を包み込む。

「最期に泣いてくれる奴が、いただけ……いい人生、だったかもな」

「……ばか……」

 徐々に遠くなる目の光を見ていられなくて、ハクビは再びフェイの肩に顔を埋めた。同時に、きつく男の手を握り締める。

 それに応える様に、緩やかな動きで、手が握り返された。

 痛いほどに、きつく。まるで最期の力を振り絞るように。

「…………ハクビ……」

 震える青年の耳に、名前と共に小さな囁きが届く。

 それを受け取ったハクビは、一瞬目を見開き、そして瞳を滲ませ微笑んだ。

「……ばか……」

 そして、もう一度、ハクビは小さく呟く。

 それっきり、フェイは目を閉じて何も喋らなかった。



 触れる首筋から聞こえる男の鼓動に、ハクビは耳を澄ます。

 弱く、遠くなっていくそれを、彼は身動ぎ一つせず追い続けた。


  
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