lucis lacrima - 9-2

 漸く見つけた。

 ルグスは、中庭の向こうに見なれた黒い髪を見つけ、走るスピードを上げる。

 グルリと、廊下を一周するように駆けた彼の目に飛び込んだのは、血しぶきを上げて倒れる味方の兵の姿と、此方に背を向けて佇む探し人の影だった。

 小柄な背の向こうにある恐怖に歪む兵達の顔と、青年の足元に横たわる3人の王国軍の兵の屍に、この惨事が探していた青年のした事だと知れる。

 何より、彼の利き手は、その手に持つスティレットだけでなく、肘の半ばまでが赤黒い液体でぐっしょりと濡れ、良く見れば黒い髪もその軍服も、ねっとりとした死臭を放つ液体で彩られていた。

「ちょ……っと……何してるの!?」

 ルグスが声を荒げると、背を向けた人影が振り返り、黒い瞳がにっこりと微笑む。

 その艶やかな黒い髪も、整った顔立ちも、華奢な体も、つい先刻別れた者と相違ないはずなのに。

「やっと追いついたな、ルグス」

「…………」

 まるで、見知らぬ誰かを……いや、人ではない『何か』を前にしているような違和感。

 追いついたじゃないよ。

 普段なら、笑ってそう言っていたに違いない。だが、今のルグスは声一つ漏らす事が出来ないほど、身に覚えのない緊張が全身を包んでいた。

 青年の気を損ねれば最期、存在そのものを喰われてしまいそうな、恐怖と畏怖の念が体を駆け巡る。

「其処を、どけ」

 それは、お願いではなく、命令。

 有無を言わさぬそれに、従わなければという想いとは裏腹に、ルグスは動けない。

 動かない彼を確認すると、青年が、動いた。

 ゆらりと、残像だけを残して、気が付いたら目の前一杯に広がる、黒い瞳。

 どす、と嫌な音が、遠いような近いような、妙な距離で聞こえる。

 じわりと、腹部に熱を感じた。それはどんどん広がって、体を駆け巡る脈を早めていくようで。

「……隊、ちょう……」

 一歩引いた青年の体を追うように、膝が折れ、体が前のめりに倒れていく。

 必至に、己の慕った隊長の姿を探そうと、ルグスは己を刺した相手を見上げた。

 眩しい太陽の下、黒い髪が眩く輝き、風に揺れている。

 微笑みに彩られた唇は、今までの隊長からは想像もつかないほど穏やかで、優しい。



 あぁ、やっぱり、隊長は綺麗だ。



 初めて見た、太陽の下に晒された姿は、まるで天からの遣いの様に見えた。

 たとえ、それが血塗られた、闇に愛された天使だとしても。

「……たい、ちょう……」

 倒れ行く部下には、穢れない存在に見えた。

 霞む視線の先、自分を見下ろす、縋るような視線に気付く。



 黒く滲んだ瞳は酷く傷ついて、泣いているように見えた。


  
 戻る