lucis lacrima - 春祭2

 世界はこんなに春に満ち溢れているのに、どうしてこの体はこんなにも重いのだろう。

 クロエは黒いフードの中、浮かれ足で歩く人々を遠く眺めながら思う。

 街の中の警備の詰め所で待機していたが、どうにも人混みに慣れずに詰め所を出た。

 交代時間までに戻る事、何かあったら直ぐに連絡をすることと、ルグスにきつく言われたのを右から左に流して、ふらりと街のはずれまで足が進む。

 気がつけば城壁の傍、あまり人の居ない春の木の下に座り込んでいた。

「ここは、いいな」

 少し高台になっているそこは、街の様子を見下ろす事ができて見晴らしがいい。何より、城壁が上手い具合に日陰を作って心地よく、春の花を存分に独り占めできた。

 冷たい木の幹に背を預け、クロエは唇を歪める。

 こんな場所で、ハクビと昼寝したら気持ちが良さそうだ。

「どうした、こんなところで」

 突然、木の陰とは別に人影が体に係り、クロエは顔を上げる。

 白い清楚な春の花とは対照的な情熱的な赤い髪が視界に入り、その中心にある闇色の目が穏やかに笑っているのを見て、彼は何となく罰の悪い感じを覚えて目を逸らす。

 自分の警備番は夜からで日もまだ高く、待機中は自由に祭を見学してよいと言われているが、実際に仕事中の相手を見ると何となく悪い気がしてしまう。

「なんか、人混みに酔って」

 視線を外したまま答えると、直ぐに頭上から問いが返る。

「避難してきたのか」

「うん」

 隣に腰掛けるシラナギを目の端で追いながら、クロエは頷いた。

 シラナギも自分と同じ軍の簡易服で、剣を下げていないところを見ると、休憩中のように取れる。

 彼も待機中だとわかって何となく仲間意識が芽生えたのか、詰め所を離れた罪悪感は薄れ、漸く視線を向けることができた。

「警備は?」

「夜からだ」

「俺も。夜から」

 勿論、相手はクロエが夜の警備だという事は知っているだろうが。

 ふあ、と小さく欠伸を漏らした青年に気付いて、シラナギは小さく笑う。

「眠いのか」

「…………」

 誰のせいだと思っているのか。

 口にしようと思って、辞めた。

 もともと、求めたのは自分の方だ。変に言い返されると困る。

「……眠い」

 だから、余計なことは避けてそれだけを答えた。

「寝れば良い。時間になったら起こしてやる」

「いいよ。大丈夫」

 同じように睡眠時間を削っているはずの男が、平然と起きているのに、自分だけ寝るのは癪だ。

 シラナギは面白がった視線をクロエに向けて、それ以上睡眠を勧めようとはしなかった。

 暫く、何をするでも話すでもなく、のんびりとした時間を過ごす。

 街の喧騒が遠く聞こえ、鳥の囀りと木の葉擦れの音、春の花が舞い散る光景に酔いしれる。

 このまま、交代時間まで過ぎていくのだろう。

 そう考えた時、街の方から二つの人影が歩いてくるのが見えた。

 背の高い人影と、低い人影。

 低い方が、こちらが気付いた事に反応して駆けてくる。

「クロエ!」

「ハクビ!?」

 白いローブをはためかせて駆けてくるのは、見まごうことなく自分の顔。

 もう一人の片割れだ。

「なんで……?」

 自分の知る限り、神宮に入ってからは一度も祭に彼が現れたことはない。


  
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