魔王と救世主 - 1-3

「ここが、魔王の城に一番近い街のようです」

 地図を確認しながら、体格の良い大男が言う。
 身に着けている旅用の古びたマントが歩くのに合わせてヒラヒラと踊り、その腰に装備された大きな剣が見え隠れする。
 幼い子供の背ほどありそうなその剣は、しかし男の腰に納まると、何処にでもある普通のサイズに見えるから不思議だ。

 この、一見すると山賊か何かに見える大男は、しかし、いつも茶色の優しい目をにこにこさせていて、道行く先々で色々な人に好かれていた。
 困った人を見過ごせない、勇者と言う通り名に相応しい人柄が、言わずとも伝わるのかもしれない。

「そこで補給だな」

 大男の言葉を頭一つ分下で聞きながら、銀髪の華奢な青年が表情を変えずに言った。

「はい。最後の人里のようですし、とりあえずゆっくり体を休めましょう」

 己の言葉に頷く男をチラリとも見ず、青年は足を進める。

 いつもながら愛想のない態度に苦笑を浮かべて、男は散切り頭の赤い髪を太い指でかき混ぜ、地図を懐にしまう。そして、前を歩く青年を慈愛の眼差しで見た。

 美しい。そう形容するしかないほど、綺麗な青年。
 しかし、つややかな長い銀髪は無造作に束ねられ、宝石のような赤い目は無感情に前だけを真っ直ぐに見ている。表情も乏しく、まるで人形のように見えた。
 黒い神父服の上に羽織っている旅用の古びたマントが、長い旅の苦労を忍ばせる。が、元々彼は表情が乏しいため、疲れているかどうか、ぱっと判断するのは難しい。

 長い付き合いとはいえ、男もそれを判断するのは難しく、仕方なく自分を基準にして青年の疲労の有無を図るようにしていた。

「……此処まで長かったですね……もう、村を出て5年ですか」

「そうだな」

 まだ最後の敵が残っているが、最終目的地を前にして、男は感慨に耽っている様だ。

「これで、最後だ」

 対する青年は無表情に、大分と近く見えるようになった、それでもまだ徒歩で数ヶ月はかかるであろう距離にある黒い城を見やった。

 同時に、傍らに下げた白く細い剣の柄を指先で触れる。



 魔王が住む、城。

 何百年も人間の血を吸ったため、黒く変色したと言われている、魔王城。



 御伽噺ではない。

 今も、世界中で魔物が人間を襲っている。

 何百年も昔には、人間は世界の王者として、大きな国を幾つも維持していたという。

 しかし、魔王が出現してからは、魔物が世界の王者となり、殆どの地域で、人間は小さな村を幾つも形成して、必死に生活を守っている状態だ。

 特に新月の夜……魔王の宴の夜は、被害が酷い。小さな村など、一瞬で家畜の檻と化し、住人は全て魔王に献上されるのだと言われていた。

 捕食者と非捕食者……それが、今の魔物と人間の関係だった。



「馬が要りますかね」

 青年と同じように城を見上げて、男が呟く。

 手前の黒い森を見て、青年は返した。

「森を馬で抜けるのは大変だ」

「ですが、城までの食料や物資を考えると、俺と救世主様だけで運ぶのは大変だと思います」

 男の言うことは尤もだ。

 街を出て、城まで辿り着くには3ヶ月は裕に掛かるだろう。森の中で食料を見つけることが出来ればよいが、確証はなく、用心に多く補給しておくのは当然の事だ。

 此処までの道のりでの経験を思い出し、青年はゆっくり瞬きをすると、同意した。

「……そうだな。体格の良い馬を一頭、用意しよう」

「はい」

 自分の言葉に同意を得た男は、ホッとしたように目元を緩ませ青年を見て頷く。

 そうして、街を囲む壁を抜けるため、訪問者を歓迎する着飾った門をゆっくり潜った。


  
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