魔王と救世主 - 10-4
「……すまない」
小さな、だがはっきりとした声で、セナは勇者に謝罪する。
「それでも、俺は、彼が居ないと生きていけない」
懺悔するように、言葉を紡ぐ。
それは、己の仲間だった勇者だけでなく、己が置いていくありとあらゆる物に対する言葉にも聞こえる。
言葉を発せない勇者は、一連の流れを、言葉を聴いて、ある程度覚悟はしたのだろう。
一言も漏らすまいと、己が敬愛する救世主の言葉に耳を傾けていた。
「今まで、ありがとう……レオナート・モヴァティ」
突然、己の名を呼ばれて、勇者が救世主を仰ぐ。
その動きは緩やかだったが、よほど驚いたのだろう。掛けられた魔法を物ともせず、滑らかな動きで己を見下ろす銀髪の麗人と視線を合わせ、そのまま動きを止める。
鳩が豆鉄砲を食らったような男の顔に、セナは自嘲気味に笑みを浮かべた。
「覚えていた。お前の名前も……愛称も。ただ、今まで必要ないと思っていた。名前など」
ただの、固体識別の為にあるものだと思っていたから。
名前よりも、職業で呼び合うほうが、情報量の多さから見ても効率がよいと思っていた。
「だが、そうじゃなかった。名前は、こんなにも大切なものだったんだな」
初めて、名前を呼んで欲しいと願った時に、わかったのだ。
名前は、幸せになるために必要なのだと。
大切な人と繋がり会う為に、必要不可欠な要素の一つなのだと。
「今、俺は、『救世主』じゃない。『セナ』という一人の人間だ」
使命に縛られず、愛する人と幸せになることを選んだ、一人の愚かな人間。
だが、生まれて初めて、生きているという実感を覚えた、幸福な人間。
── セナ、様……。
男は体を小刻みに震わせながら、唇を動かす。だが、そこにはやはり、空気を震わす音はない。
しかし、その声は、はっきりとセナの耳に届いた。それを証明するかのように、しっかりと頷いて、茶色い瞳を見返す。
「生きてくれ、レオン。救世主を守る勇者としてではなく、お前の好きなことをするために」
感謝している。そう残して、セナは後ろで己を支えていたセナドールに背を預ける。
彼は心得たと言わんばかりに、改めて細い体を横抱きに持ち上げ、今度こそ、地下牢を後にする。
やがて、足音の消えた暗い牢内には、静かな男の声無き嗚咽が響いては消えていった。
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