魔王と救世主 - 3-9


「……ッ、!」

 背中から胸へと突き抜ける衝撃に、息が詰まる。

 何が起きたのかわからず呆然と前を見ると、無表情の救世主の顔が映る。その後ろに天井が見えて、漸くキーズは自分が床に押し倒されたことを認識した。

 しかし、起きたことが信じられずに、言葉を発するどころか……身動き一つ取れない。

「…………」

 そんな彼の額を、救世主の長く華奢な手が鷲掴みにした。

 直後、魔物を襲う、脳髄を締め付けられるような痛み。

「……が、は……ぐ、……ッあ、ぁァぁぁッ!!!!」

 殺される。本気で、そう思った。

 死に直面する中、キーズは激痛に絶叫を上げ涙を零しながら、必死に逃げようと手足をバタつかせる。

 死にたくない。こんなところで、死ぬなんて真っ平だ。

 諦めず抵抗を続けていると、不意に激痛がやんだ。その代わり、体にグッと重みが圧し掛かる。
 救世主が倒れこんできたのだ。

 死に近い激痛を与えられ続けた脳は未だ痛みを訴えてきて、本気で抵抗した体は酷い疲労と筋肉の苦痛でまともに動けない。

 それでも何とか倒れこんできた体を横にずらし、己の身の自由を確保した。

 暫く横になったまま、呼吸を整える。同時に、横目で倒れこんだ救世主を確認する。

 生きてはいるようだ。が、気絶している。

 その美しい顔は苦痛に歪み、両手は頭に添えられている……どうも、頭痛に苦しんでいるようだ。

 彼を倒すなら今だが、既にキーズはこの青年に対して敵意を……少なくとも、害意を持ってはいなかった。

 元々、今日はこの銀髪の青年をどうこうしようとは思っていなかった。

 魔王の側近には始末を命じられていたが、本来の主である魔王の熱が冷めるまでは、己の身の安全の為にも、まだ手を出すことは出来ない。
 ただ、ちょっとからかうつもりで手を出しただけなのだ。

 だが、側近の命令は、永遠に遂行できないかもしれない。

 本当に彼が救世主ならば、下手に手を出せば自分の命が危ないからだ。

「……マジ、かよ……」

 今日が宴の日で本当に良かった。

 未遂とはいえ、こんなところを魔王に見られたら、やはり自分の命はなかっただろう。それくらい、城の主はこの青年に熱を上げている。

 魔王は、明日の昼を過ぎるまでは、この部屋に来ない筈だ。

 その事実に安堵しながら、同時にキーズは、己の無謀さを、背筋の凍る思いで身に染みて感じていた。

 なんと言う恐ろしい化け物に戦いを挑んだだろう、と。

 頭に添えられた救世主の手は華奢で、大して力は入っていなかった。そう、力は入っていなかったのだ。

 それならば、キーズの感じたあの激痛は魔法によるものに間違いない。

 だが、この目の前の青年は、呪文を一切唱えていなかった。

 ありえない。人間は魔法を発動する時、必ず呪文を唱えなければならない筈だ。

 少なくとも、この世界に生を受けた200年近くもの間、キーズは呪文なしで魔法を発動した人間などお目にかかったことがない。

 まさか、本当にこの人間は救世主なのか?

 そもそも、こいつは本当に人間なのか? 感情の希薄さといい、この魔法といい、人の顔をした魔物ではないのか?

 ぐるぐる考えたところで、答えが出るはずもない。

 横になったまま窓の外を見、まだ日が高いことを確認すると、キーズは再び隣で倒れたままの青年を見た。

 とにかく、今はこの青年をベッドに寝かした方が良い。

 そう思うのだが、自分の体さえ満足に動かすことが出来ないのに、他人など運ぶ余裕があるわけもなく。

 結局、キーズの体が回復する夕刻過ぎまで、二人は仲良く床の上に横になっていたのだった。


  
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