魔王と救世主 - 4-3

 愛情を知らない救世主は、人を愛することも、世界が美しいことも知らずに育った。

 流石は救世主様だ。素晴らしい。

 魔物を仕留める度に、街の人々は自分を賞賛した。

 だが、それだけだった。魔物の返り血で穢れた子供を、誰も抱きしめようとはしなかった。

 皆、笑顔を向けるだけで、自分に手を差し伸べる人間はいなかった。

 差し伸べた手が、握られることはなかった。

 救世主は、試すように、自分の手を握る男の手を握る。すると直に、暖かい手が握り返してくれた。

 力強く……此処にいる、と教えるように。此処に居てもいいのだと、教えてくれるように。

 それに勇気付けられて、セナはそっと微笑んで隣に立つ魔王を見上げた。

「俺は今、世界を美しいと思った。
 俺は、初めて、自分が救世主で良かったと、思えた」

 差し伸べた手を握り返してくれたのは、守るべき人間ではなく、倒すべき魔王だった。

 そして、魔王もまた、今は世界の中の一部だった。

「お前に会えて、良かった」

「……セナ……」

 感動に言葉を詰まらせる魔王に、救世主は急に居た堪れなくなって、視線を逸らすと再び世界へと目を向ける。

 太陽の沈みきった世界は、山の奥をうっすらと照らし、暗くなる空に大きな星が瞬き始めている。

 それをまた、美しいと感じながら、セナは隣に立つ男に向かって呟いた。

「……お前の名前……教えて、欲しい」

 俺は教えた、と要求する救世主に、魔王は嗤う。

「……セナ、だ」

「ふざけるな。俺は真面目に応えた」

 予想外の答えに振り返り、声を低くする銀髪の美しい青年に、今度は声を上げて魔王が嗤う。

「俺は、魔王だ。それで、いい」

 それで、いいんだ。景色に目を向け、二度呟いた彼の顔が何処か憂いを帯びているようで、結局、セナはそれ以上答えを求めることを止めた。

 いつか、教えてもらえばいい。今日教えられた世界のように。

「冷えてきたな。戻るか」

 すっかり暗くなった世界は、点在する村や街の明かりが浮かび上がって見えて、それはそれで美しい。

 もう少し見ていたい気もしたが、吹き抜ける風の冷たさにローブだけの体は耐え切れないようで、セナは小さく身を震わせると魔王の後に従って大人しくその場を後にする。

「……また、連れてきてほしい」

 手を引かれながら部屋に戻る途中、そう呟いた救世主に、魔王は勿論、と優しい笑顔で呟き返してくれた。


 その時、二人は錯覚していた。

 いつまでも、こんな風に穏やかに時間は続くものなのだと。

 世界は、二人にとって優しいものなのだと。

 お互いの手を、握り合って歩いていけるものなのだと、信じて疑わなかった。


  
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