魔王と救世主 - 4-9

 魔王の魔法があれば、徒歩で数ヶ月かかる森も、一瞬で抜けられる。

 金髪の青年は、人間に扮して一人、街を歩いていた。元は人間だ。魔王の姿を見たことの無い人間達は、愛想と見目が良いこの青年がまさか魔王であるとは、欠片も疑わない。

 賑やかな市場。さまざまな食材や、装飾品、民芸品が所狭しと道を埋め尽くしている。

 人間の声が行き交い、魔王城の直近くだというのに、その声は明るく活気に満ちていた。

 誰もが、自分が標的になるとは思っていない……そんな感じだった。

 実際は、誰もが標的になる可能性があるというのに……要は、運。ただ、それだけだというのに。

「お兄ちゃん、これ美味いよ!」

 声を掛けられ、魔王は笑って恰幅の良い店主から焼きたての肉串を買う。

 歩きながら行儀悪く一口齧れば、肉は柔らかく口の中に美味い汁が広がって、幸せな気分になる。美味いものを食べて幸せになれるのは、人間も魔物も同じだ。

 彼は、朔月が終わると、いつもこうして街に下りた。

 魔王が君臨した直後は何も無かったこの土地に、小さな村ができ、街になり、活気に溢れ、此処まで発展するそのさまを、ずっと彼は見てきた。

 魔物に怯えていない訳ではない。だが、その存在すら商売材料にして逞しく育ってきたこの街を、彼はとても気に入っていた。

 いや、人間の活気に溢れる場所なら、彼は何処でも好んだ。多分、魔王の城にいるよりも、ずっと。

 こうして、時折人間に戻りたい時に、ふらっと足を踏み入れるくらいに。

 だが、街に住まおうとは思わない。

 決定的に、彼らと魔王の時間の流れは違いすぎる。老いていく彼らは、決して老いることのない魔王を受け入れてはくれない。

 そして、朔月の宴は、決して絶やす事の出来ない魔王の義務と言っても過言ではない。

 一時だけとはいえ、捕食者に成り変わる彼を、非捕食者が受け入れてくれるわけがないのだ。肉食動物と草食動物が群れて生きられないのと同じように。

 300年間生きてきた彼には、十分それがわかっていた。


  
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