魔王と救世主 - 5-9

「救世主が酷い奴だったら、俺はどうなるんだ」

 自嘲気味に笑って、魔王はその大きな手で今にも脆く崩れそうな青年の白い頬を撫でた。

 そして、そのまま顔を近づけ、触れるだけの口付けを落とす。

「俺は、今、幸せだ」

 吐息が触れ合う距離で、魔王が囁く。

 しかし、囁かれた側の返答は冷たい。

「……俺は、笑っていない」

「関係ない。ガキにはああ言ったが……大切な奴の傍にいられるだけで、幸せな奴もいる」

「……俺は、救世主だ」

 それでも、この魔王は、大切だと言うのか。自分を、殺すであろう男を。

 こんな、人を愛することさえ知らない、人形のような、哀れな救世主を。

 銀髪の青年の言葉を、金髪の青年は鼻で笑い飛ばした。

「俺が大切なのは、救世主じゃない。お前だ、セナ」

 真っ直ぐに、見つめる赤い瞳。迷いのない、子供のようにキラキラした瞳。

 夕日が差し込むように真っ直ぐなその視線に捕らわれて、青年は目が離せなくなる。

「お前は知らないだろうが……俺は、今まで、何人もの捕虜を囲ってきた。
 だが、此処まで長く一緒にいた奴は……此処に連れてきたのも、朔月に殺したくないと思ったのも、お前が初めてだ」

「それは……私が救世主だから……世界が、そうなるように動いているんだ」

 魔王を倒すまで、死ねない、この救世主の定めが。

 魔王ですら飲み込んで、世界を動かしている。

「だとしたら、感謝しないとな」

「……?」

「俺を、幸せにしてくれた、その救世主の世界とやらに」

 笑いながら、そっと、腰に回される腕。密着する体。

 銀髪の青年は、触れ合う場所から、自分にはない温もりが滲んでくるような錯覚を覚える。
 それは、氷のような己の心を融かして、空っぽの空間に羊水のような暖かな水を満たしてくれる気がした。

 考えもしなかった。

 己の定めに、感謝するなんて。そんな考え方が、あるなんて。

 何度も定めに命を救われているのに、あまりに当たり前すぎて、そんな事を考えたこともなかった。

 本当に、この魔王には色々なことを教えられている。


  
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