魔王と救世主 - 8-1

 魔王が倒れて、5日。

 たった、5日。

 だが、セナにとっては、永遠のように感じるほど、長く苦しい5日。


 最後に分かれた日以来、夢ですら、大切な人に会うことはなくなった。

 夢に出てくるのは、冷酷で残虐な魔王。

 冷たい瞳で、嗤いながら見下してくる、自分の知らない相手。

 顔は、愛した人と同じなのに。


 何度も殺した。

 次の夢でこそ、『彼』に出会えると信じて。

 まるで、夢で魔王を倒せば、現実の『彼』と出会えるような、そんな錯覚を覚えるほど。


 毎日、毎日、白い剣をその厚い胸に突きたてて、流れ出る鮮血を、動かなくなる冷たい体を見下ろし続けた。


 なのに、目覚めると待っているのは孤独な現実。

 たった一人、広いベッドに横たわって。

 頬を濡らす滴で、シーツに染みを作り続ける。


 眩しくなる世界と一緒に入ってくる魔物の報告は、『まだ、目覚めない』。


 一命は取り留めたらしく、容態は安定したらしい。

 けれど、その報告に、セナは安心することはなかった。

 体が無事だからといって、心が無事なわけではない。


 確かめたい。

 その鼓動を、その温もりを。

 確かめたい。

 彼の心が、まだその体に存在しているのか。


 だが、寵愛を受けているとはいえ、捕虜である救世主が、負傷して無防備な魔王に面会できるはずも無く。


 いつになったら、会えるのだろう。

 いつになったら、あの笑顔が見られるのだろう。


 セナを包む悪夢は、未だ晴れる兆しが見えない。


 会いたい。


「……セナドール……」


 今日も訪れる闇夜の中で、彼は、とうとう、その名を呟いた。魔王が倒れてから、一度として口にしなかった名前を。

 心の中でなら、何度も呼んだ。想いが届くようにと、願いを込めて。

 だが、口にすることはできなかった。口にした瞬間、何かが崩れてしまいそうで怖かった。


 もう、耐え切れない。


 セナはベッドの上、横になることも出来ず、上半身を起こして呟く。


「……会いたい……」


 5日も会っていない。

 この城に捕らわれてから、初めての事。

 こんなにも触れ合わないなんて。

 こんなにも、顔を見ないなんて。


「……会いたい……セナドール……」


 セナは、たった一人、糸が切れたように嗚咽を殺して涙を溢れさせる。

 シーツを握り締めて、その上に重いシミを作って。


 あれほど貪ったはずの温もりは、とうに肌の記憶から零れ落ちてしまった。

 もう、覚えているのは、彼の笑顔だけ。

 もう一度だけ、見たい。

 その願望だけが、心の支え。


 救世主の剣よ。

 どうか、どうか、もう一度だけ。

 『彼』の笑顔を見せてください。

 子供のようにキラキラした瞳で自分の名前を呼んでくれる、幸せを運ぶ笑顔を。


 それだけでいい。それ以上は望まない。望めない。

 それ以上されたら、きっと、使命を果たせなくなる。


 彼の笑顔を胸に、残りの人生を生きていくから。


 だから、どうか。

 絶対に、使命を果たすから。


 愛しい魔王に、会わせて下さい。


 切なる願いが、涙に溶けて落ちた。


  
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