魔王と救世主 - 9-9
「流石に、3度目になると薄いな」
白い腹に散った滴を指で伸ばしながら、魔王が嗤う。
放心状態の救世主は、虚ろに天井を映す赤い眼から一滴の涙を零す。それは後から後から溢れて、ぽろぽろと頬を伝い、湿った布団に染みを作った。
そして彼は、止め処なく涙を流す目元を隠すようにユルユルと両腕を上げ、瞼の前で交差させた。
「ひ、どい……」
掠れたせいで普段より高く感じる声が、己を弄ぶ男を詰る。
こんなに、こんなに、自分は苦しんでいるのに。
抱き締めて欲しくて、キスして欲しくて、……一つに、なりたくて。
殺さなきゃいけないのに、いずれ居なくなるのに、……一人に、なってしまうのに。
傷つきたくなくて、必死に自分を守ろうとしているのに、その防壁を粉々に砕こうとする。
心に刃を突き立て、痛めつけてくるのに……傷つけられているのはセナのはずなのに、自分が傷つけられたような顔をする。
「ひ、どい…………、っ……ッ」
口にしたい単語は、喉のすぐそこまでこみ上げていて、でも最後の理性が蓋をして、そこだけが不自然に喘ぐような呼吸へと変わる。
苦しい。くるしい。クルシイ。
「たすけ、て……たすけて、くれ……」
片腕で目元を覆ったまま、もう片方の腕を動かし、己を組み敷く男の袖を掴む。
頼りない力で、躊躇いがちに、だが縋るように。
魔王は、その今にも壊れそうな様子に戸惑い、不安を感じて動けずに居る。
「セナ……」
ただ、静かに、名前を呼ぶことしか。
だが、それすら苦しむセナの心を上辺を掠めるだけで、悲鳴を上げる中心部には遠く届かない。
「……も……いや、だ……。
……たく、ない……殺し、たく、ない……ッ」
泣いて、泣いて、髪を左右に振り乱して。荒い呼吸の合間に、言葉を乗せて。
呻くように胸の内を吐き出す愛しい青年に耐え切れず、魔王はそっと目元を隠す腕に触れた。
促されるまま、ゆっくりと、床へと落ちる腕。
露わになった赤い瞳は、涙を零しながらも今までに無い激情を孕んで、己を愛し傷つける男の瞳を真っ直ぐに射抜く。
「……出会わなければ、よかった。
お前に、会わなければ、よかった……んだ……」
どうして、捕らわれてしまったのだろう。
どうして、最初に、抵抗しなかったのだろう。
どうして、相打ちになったとしても、彼を殺しておかなかったのだろう。
そうすれば、苦しまずにすんだ。
『救世主』という役を踊る道化となって、一生を終えていた。
こんなに苦しむこともなく、幸せを知ることも無く。
色の無い世界で、一人、ただ、踊り続けていただろう。
その不幸に、気付くこと無く。
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