魔族新法

 

「!!」

 突然僕の前に、車が一台止まった。おかしい。自動車なんて、権力側しか使っていないはずだ。新法施行後は、どの道路もガラガラだったんだ。

 中から数人の女性が降りてくる。なにか……異様な感じだ。僕は戦慄を覚えた。

「君は矯正施設を出てから、一回も射精していませんね。」
「くっ……」
「何か理由があるのですか。」
「お話を伺いますので、ご同行願います。」

 まずい!

 僕は一目散に逃げ出した。丁寧な言い方ではあったが、完全に僕を捕らえようとする者たちの目線だった。捕まれば、あの矯正施設以上の快楽拷問が待ち受けているのは目に見えていた。

 魔族のかなり近くにいる連中に決まっているんだ。

 自動車は執拗に追いかけてきた。僕は裏路地のまたその裏に逃れ、自動車が入ってこられない場所を見つけてはそこに逃げ込んだ。

 だが、どうしても車や女たちが先回りしていて、どこまででも追いかけてくるのだった。

 施設に追いやられた時点で、完全にマークされていたらしい。上の側からすれば、当然の感覚だろう。

「こっちだ!」
「!」

 見知らぬ男性が横から現れ、僕の手を引いて、すぐ近くのマンホールに入っていく。僕は地下に潜った。

 一瞬の出来事だったが、マンホールの下はもともと下水道になっていて、現在は使われていないようで、ニオイもない。そこに僕は連れられたのだった。

「危ないところだった。」
「はい……ありがとうございます。」

 その場所は、周囲を隔絶された地下室のような所だった。下水道だったところを改造して、明かりもつけられ、生活の用具もすべて揃っていた。

 全裸の男性は、30近い年齢だった。あるいは、若返ってこの状態なのか、そこは判別しがたい。

 その男性の他に、数人の男や少年が、地下室にいた。

「奴らに捕まったら一巻の終わりだ。特別施設に閉じ込められ、洗脳が完全に認められるまで女たちに絞られ続けることになる。」
「あの……ここは……」

 聞いても、誰も答えなかった。が、すぐに察知することができた。

 魔族の支配に抵抗するレジスタンス組織なんだ。

 男性は少しずつ、状況や組織のことを教えてくれた。

 まず、魔族新法は、人類が一瞬にして、ほぼ全員洗脳状態に陥ったからこそ、成立し得たということ。魔族の支配下では、人間は学ぶことも働くことも忘れ、ただ肉体の快楽だけに没頭する”エサ”になりはててしまうこと。

 それに違和感を持つ男性もわずかではあるが存在した。魔族の瞬時にしての洗脳は、絶対完全というわけでもなさそうなのだった。

 そこに必ず、魔族側の隙があるはずだ。突破口があるはずだ。ほぼ完璧で、隙がないものなどありはしない。完全無欠ではない。女たちの洗脳を解き、気絶するほどの快楽への依存症を治癒すれば、この法律は効力を失う。誰も従わなくなるからだ。

「そして……洗脳を解く手段を、我々はすでに見いだしている。難しいものではなかったよ。」
「えっ……たった一日足らずでですか?」
「ああ。要するに、男性が射精することにより、魔族によって強烈な快楽が女性に与えられ、それによって彼女たちは魔族の支配を受ける構造なのだ。だから、その支配から彼女たちを解放してやれば、洗脳を解くことができる。洗脳が解ければ、彼女たちは積極的に男を射精させようとはしなくなるので、少しずつ依存症を克服できるはずだってこと。」

 そんな方法が本当にあるのだろうか。

「魔族からの支配を脱するには、男の手で絶頂を与えればいい。射精することなく、彼女たちをイかせれば、魔族からの褒美はなく、純粋に人間同士で紡ぎ出された快感を味わう。それは気を失うほど強烈ではないが、一度でもそうした快楽を与えれば、彼女たちは自分の洗脳に気づくんだ。」
「それは我々自身、この目でしっかり確かめている。絶頂した女たちは、気絶できず、きょとんとしていたよ。そして、この法律に動かされていた自分自身と、裸でいることへの抵抗感が、一気に増したんだ。」
「こっちがイッてしまったら、洗脳解除は失敗になる。が、一度でもいい、相手をイかせれば、洗脳は解ける。以後、積極的に男に迫ることはない。」
「奴らの洗脳は一瞬で行われた。しかし、それだからこそ、解くのも早い。即席で作られた短時間の洗脳なんて、実はとても脆い構造をしていたんだ。」
「他の国でも、このことに気づいて少しずつ抵抗組織ができはじめている。でも、まだ大規模化する段階じゃないんだ。」

 連携を取り合った方が有利ではないかとも思ったが、相手がどれだけの力を持っているか分からない以上、慎重を期した方が良いとのことだった。

 想定以上のとてつもない力を相手側が持っていた場合、こっちが幾ら団結しても、一網打尽にされてしまう可能性があったからだ。魔族という得体の知れない敵だからこそ、地下潜伏をしながら、ゆっくりと女性たちの洗脳を解いて回るしかないのだという。

 解決方法は見つかったが、世界中の女性を相手に、1人1人洗脳を解き続けるなんて、本当に気の遠くなる取り組みだ。他に手段はないのだろうか。いったい何百年かかるのか、皆目見当もつかぬ。

「おそらく、もっと合理的かつ効率的な方法が見つかるだろう。女性を絶頂させるだけで洗脳が解けるほど、魔族の支配が実は単純で脆い構造をしているというのは、別の手段でも一気に解決する可能性があるってことなんだ。」
「だが、その方法まではまだ見つかっていない。」
「たぶん、一斉に洗脳を解く電波が見つかるとか、ワクチンが開発されるとか、そういう方向で、一気に魔族新法をひっくり返す可能性が残っているんだ。」
「それを見いだすには、今しばらくは地下潜伏による、地道な活動をするしかない。」
「奴らも我々の組織に気づいている。のこのこ女たちの前に出て、1人1人洗脳を解いて回るなんて、大々的なことはできない。」
「……。」

 解決方法は見いだされ始めた。

 しかし、その実行には長い時間がかかる上、魔族側の人間に付け狙われてしまって、表だった活動はできないというわけか。

 問題は、これからどう活動するか、だ。

 思ったよりも早く、反逆の徒党を組む動きに参画することができた。これは幸いでもある。少なくとも孤独じゃない。

 僕も組織の一員として、何か手伝えることがあるはずだ。しかし、何をどうしていけばいいんだ。

 彼らも、当局に追われている男性を助けるなどの活動はしているが、女性の洗脳を解く方は遅々として進んでいない。

 盛り場に行けば返り討ちに遭うし、家にいれば捕まってしまう。偶然発見した女性グループと戦い、彼女たちを絶頂させることはあるが、失敗する可能性も少なからずあり、なかなか前に進むことができない状態だ。

 表だって歩くことができない以上、人目を忍んで移動しながら、仲間を集め続けるしかなさそうだ。文字どおりの地下潜伏である。

「僕にできることは……」
「悪いけれど、ないね。君は若返ってその年になっているのでもなさそうだし、セックスに関しては完全に経験不足だ。戦力にはならない。」
「……。」

 間違いなく、その通りだった。

「そこの少年も、数時間前に保護したんだ。」
男性は、小学生くらいの少年を指さす。彼も薬ではない。少年は無言で、自分の性欲をどうしたらいいのか分からず、ただうずくまっていた。

「君は、彼と一緒に逃げて欲しい。」
「いったいどこへ……」
「郊外だ。人口密度は今、相当に偏っている。繁華街はこれからますます、人が増えるだろう。それに対して、都会から離れてしまえば、人はまばらになる。そこには、我々と同じような組織があり、同じように保護された男たちもいる。」
「……分かりました。」

 僕たちは時間の経過を待ち、数人で行動することになった。ここにいる人たち全員が、ひとかたまりになって移動するわけでもなさそうだった。

 30前後の男性と、僕と、少年の3人がひとつのグループになって行動。別動の4人グループとはここで別れる。さらに数人がこの地下室に残り、引き続き逃げている男性を保護するのだという。

「……そろそろ頃合いだな。」
男性が腕時計を見た。しばらく時間が経ち、追っ手も僕たちを見つけることがなかった。すでに外は夜中のようだった。

 まずは別働隊が、僕たちより先に出発することになった。

 さらに1時間後、僕たちが出発する番だ。

 外は薄暗い。かろうじて電灯の明かりが、僕たちの位置を示していた。

 女たちに見つからないよう、音を立てずに駅に向かう。人もまばらで、僕たちは襲われることもなく、停まっていた電車に乗り込んだ。

「あと数日もすれば、もっと郊外から人が押し寄せてくるだろう。そうなれば、電車での脱出も困難になる。真夜中でもこの近辺、多くの女が徘徊するはずだ。」
「そう、ですね。」
「それからしばらくすれば、今度は都会から田舎に向けて、人があふれてくるようになる。田舎に逃げ込んだ我々を目当てにな。それまでに、当地で潜伏を果たしていく必要がある。」
「はい。」
「もし、女たちのグループに遭遇して逃げられないようなら、闘うしかない。」
「……!」
「こちらが射精せず、相手のグループを全員イかせて洗脳を解くんだ。君たちは積極的にイかせようとは考えず、ひたすら射精を堪えて持ちこたえてくれ。その間に私が、全員を何とかしよう。」
「分かりました。」

 僕と少年は、目を見合わせた。

 電車が自動的に動き出す。乗っているのは、僕たちだけのようだった。

 本来こんな時間に電車は運行しないのだが、魔族による自動運転の元では、24時間、電車は動き続けている。都会の盛り場へと、遠くからでも男女を運搬するのが目的だ。現にすれ違う反対方向の電車には、かなりの人数の若い男女が乗り合わせているようだった。

 しばらく電車に揺られる。下り方向の電車に乗ってくる人はなかった。自動運転で、そのまま終点まで向かっている。

 ついに電車は、終点の駅に着いた。もっと奥地に逃げ込む必要があるため、ここでさらに乗り換えをしなければならない。

 どどどどどっ!

「ああっ!」

 突然僕たちは、女たちの襲撃を受けた! 電車のドアが開いたとたんに、数人の大人女性がなだれ込んできたのである。

 まるで僕たちがここに来ることが、あらかじめ分かっているかのような行動だった。

「しまった! 逃げろ!」
男性は僕たちを後ろに追いやり、自らが前に立ちはだかる。

 実際問題として、僕や少年では、大人の美女たち、それも相当セックス慣れした女たちを相手にして、まったく戦力にならないのだった。

 僕と少年は、男性の背後からさらに進み、別のドアから脱出することにした。

 ぷしゅ~

「なっ!?」
突然、電車の扉が閉まってしまった!

 完全に閉じ込められてしまい、僕たちは退路を断たれてしまった。

「ぅ!」
その直後、何か注射のようなものを打たれてしまう。一瞬の出来事で、首に軽い痛みが走ったあと、前後不覚に陥る。

 まずい……意識が遠のいていく。自分が自分でなくなってしまうように、脳天が痺れ、夢とも現実ともつかない意識に陥った。

 彼女たちは、僕らをここで射精させるために乗り込んできたわけではない。捕まえて、どこかに運び去ろうという目的のようだった。

 レジスタンスに対する、魔族の対抗策は、それは容赦ないものなのだった。完全に行動を察知されてしまい、先回りされ、待ち構えられてしまっていた。

 見ると、少年も男性も同じように、フラフラしながら、女たちに捕まっている。……僕が気を失う前に見た絶望的な光景だった。



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