■domine-domine seil:10 艦長の悪夢(と俺の初夢) 03

 いつだったか。風呂屋に行くと言って出掛けた艦長が青い顔をして戻って来たときは驚いた。思い出して副長は肩をすくめた。
 指揮官席には帽子とマントが置いてある。恐らく、サーベルと拳銃も机の裏にテープででも留めてあるだろう。今日くらいは大目にみよう。サーベルは兎も角、あのあたらない銃で当てるのは難しい。ナニカの弾みで奪われたとしてもまあ、人が死ぬことはない。
 提督には1時間は戻って来るなと言った。2時間までなら緊急時以外コールしないとも。年下の上司――最近の提督は大抵そうなるが――で、階級は向こうが追い付いたばかりだ。艦長の話だと最初に辞令を受けたときは中尉だったらしい。ボロブネ艦隊とはよく言ったものだ。そんな関係だから気は遣ってしまう。向こうも同じ事だろう。
 提督付きの副官はいるので、世話を焼いてやる必要はないが、そこそこ苦楽を共にしてきた仲間だ。正月くらいゆっくりしろよと言うわけにいかない――直属の若い奴らには艦長が言った――が、ブリッジから追い出すくらいは可能だ。
 じゃあ食堂に行ってきます、と嬉しそうな顔をしたのでこちらが恥ずかしくなった。まあ、どこかの血気に逸る若者が、変な気分になるのもわからなくはない。神掛かった天才で、浮き世離れした感のある青年だが、他人の感情の機微は理解しているようだ。魔人と悪名も高いが、若き英雄の一人である。もう少しお高くてもいいんじゃないかと苦笑した。初々しくありがたがられるとこそばゆい。お気遣い感謝します、とか具体的に言ってこないだけマシか。それはそれは恥ずかしい。
 服の小物をあちこち外していたので、大好きなコンビニにでも行くつもりだろう。ああすると大抵の奴は彼が誰だかわからなくなる。
 饅頭でも食って、壁の隅で昼寝でもするといい。猫みたいにな。


 ココまでなら、神と謳われる英雄も普通の若い子で、そのささやかな休息にホロリとくるイイ話だ。


「彼はほら、フレンチロリータだな」
 昔あった国の、若い女の映画。若い頃のソフィー=マルソー。ショートカットの何とも言えないポスターがあった。顔の作りでなくて雰囲気が。暗い色の髪に淡い瞳、オリエンタルな匂いとか。
 M.E.クラインのM≠ヘ『Mimori』のM、漢字表記は御守。彼は日系だからオリエンタルは当たり前だが。
 雑談混じりで口にした印象だったが、今では提督のやや中性的な外見の代名詞になっている。
 そんなフレンチロリータな好青年? だが時折みせる微笑ましさだけで終わってくれないのが困る。
 どこぞの研究機関――東亞某という固有名詞はあえて伏せる――で純粋培養された戦うことしかしらない箱入り、というと何やらドラマチックであるが、そういった環境で娯楽と言えば限られてしまう。悪く言うと引きこもりのネットオタクなのだ。暗号のような若者チャット言葉――ネットスラングというやつだ――を操り延々と高度な戦術を組んだり、生真面目な副官をブラックジョークでからかったりする。そういう事を、自分は顔色一つ変えない優等生然とした態度でやらかすのだ。基本的にふざけるのが好きなのだろうが、ふざけているつもりでないときの方が重症だ。


 確か、まだあの馬鹿正直な男がいなかった頃だ。
「聞いてくれるかね」
 と空き時間にコーヒーを飲んでいると艦長が側へ寄ってきた。青い顔が気になっていたが、あのときはすぐ問うタイミングがなかった。
 ちょうど、レストスペースに人がいない。深夜光量を絞った廊下に、椅子がぼんやりと浮いてみえる。


 最初は心温まる話だと思ったそうだ。


 風呂屋とは言うが各自に割り当てられた時間を越さなければ料金は発生しない。都合で閉鎖することもあるが、共用の浴場は24時間解放されている。スーパー銭湯のように立派ではないが、シャワーや自室の狭いバスタブでは気分が滅入ってしまう。たまに体をのばして風呂らしい風呂に入ると気晴らしになる。艦長は銭湯という習慣のない地域で育ったが、軍に就職してから風呂屋通いが楽しみの一つになった。
 こういった設備は水を半永久的にリサイクルし続けられるシステムの恩恵だ。東亞工廠のテクノロジーは魔法のように宇宙に生きるものを支えている。
 次のミッションを受け取る移動中で、戦闘宙域からも離れた航路だった。夜間は人の少ない配置になっていた。
 廊下は薄暗く、風呂屋には自分以外に先客が1人しかいなかった。
 番台などはなく、無人で運営されているので、静かで、寂しいくらいだった。
 しかしまあ、くつろげるならコレはコレでいいか。と艦長はまどろんだ。
 彼はおとなしいし今時の若い子だから背中流してくれとか言ってこないし助かった。
 後から若い奴が来たら相手は彼に任せてしまおう。提督がここに来るのは珍しいし、皆話しかけるだろう。
 うるさくなったら静かにするよう言ってくれそうだしな。ああ見えてなかなか気が利く若者だし。工廠にあまり良い噂はないが、人を育てるのは上手いのかもしれない。きけば下士官から下積みを重ねたというし、それなりの苦労はしてきているのだろう。
 半分寝ながら取り留めのない事を考えていると、提督の特徴的な声がした。柔らかく少し細いが、耳にはよく入ってくる。恐らく、扇動の訓練を受けている。士気を操る演説は指揮官の武器だ。
「お先に失礼します」
 扉が閉まり人の気配が薄くなった。


 何故こんな所で座っている。
 変な趣味でもあるのか、とは言いづらいので飲み込む。そういう発言は、セクハラとも取られかねない。世の人は絶対こちらに非があると言ってきそうだしな。
 それは兎も角、随分先に出て行った彼がどうしていつまでも脱衣場にいるのか。備え付けの椅子を移動させて、何故こちらを張り込むようにしていたのか。
 誰かが置いていったらしい雑誌を片手に、肩にはバスタオルをかけている。
「風呂で寝ると溺れますから、気になって様子うかがってました」
 それは、感謝するところなのか?
「それは……どうも」
 悪い人間ではないようだが、正直何を考えているのかよくわからない。若い奴は大体そうだが。
 艦長が手間取っていると、薄っぺらな影が近付いてきた。
「お手伝いしましょうか」
 最近腰痛と肩こりが酷い。先だってまでの戦闘でのストレスが一気に押し寄せて来たようだ。医務室に行くと湿布薬をくれた。
 ここは感謝するところだ。
 何せ湿布薬は貼りにくい。
 礼を言って袋を渡す。
「肩ですか」
 場所を教えると丁寧に貼ってくれた。
「結構固まってますね……ご苦労かけます」
 思わず苦笑いする。
「命さえあればの痛みです」
「……そうですね」
 あまり大きくない手を滑らせて、フィルムを剥がしながら貼り付ける。
「さすりましょうか」
「いや、そこまでは」
 階級こそまだこちらが上であるが、提督は提督だ。
「気持ち悪いですか」
 そんな顔をしないでもらいたい。などと思うが、多分表情は薄いままだ。仲の宜しくない派閥からは、人形のようだとけなされたりもする。が、一緒に仕事をしていれば、何となく読めるようになる。部署は違えど人を使う役目なら一日の長であるし。
 新しくやってきた副長はNNを駆り小隊を指揮した経験があるそうだが、自分にはない。士官学校を卒業してから、舟戦で実績を上げてきた。一塊を纏める、散壊させるなら繰り返してきたのだが、物理的に撃ち合ったことはないのだ。
 現場──と彼らは言うので合わせるが──をしらない艦長や指揮官、司令系統の上部にいるものは多く、自分が特殊な例ではない。
 中には、血を見たことのない将官までもいるという話だ。工廠を始めとする企業の台頭だけが原因でなく、育成マニュアルの合理化が招いた事だろう。
 年々兵士のサラリーマン化が進んでいると嘆く退役軍人の愚痴がわかる歳になってきた艦長(47)である。
 兵隊は気楽な稼業ときたもんだ、などと不謹慎な鼻歌を歌う副官がいたが、そんな世界が来てしまうかもしれない。
 現に自分だって道で会ったら学生と間違えてしまいそうな提督に親切にされて、娘たちの顔を思い浮かべたりしているではないか。しかしちゃんと大学は卒業出来るんだろうな。誰に似たのかは知らないが、教授の意に沿わない論文など書いて大丈夫なのか。私に似たのか?
「あー……妙な事言ってスイマセン」
 提督が気まずそうに笑っている。チョットかわいそうになる。噂が本当なら、彼には親も兄弟――同位体という形では存在しているかもしれないが、いや、止そう――もない。小うるさく連絡を入れてきては繰り返す小言にウンザリしたこともないだろう。討論は出来ても口げんかはしたことがないだろうし、血のかかる距離で人を殺したことはあっても殴り合ったことはないかもしれない。
 無意識に、親子の真似事でもしてみたいと想っているのではないか。
 そのくせ話題がないのは、接し方をしらないからだ。


 まあ親切は受けておこう。


「素人が余計なツボ? を圧すといけないので短時間、軽くって、アサギリ少佐が言ってました」
 なるほど。確かに自分も同じ事を言われた。
「どうですか? 少しは楽になりましたか」
「大変結構です」
 巧いじゃないか。工廠脅威のテクノロジーか。などと不謹慎なジョークを言いたくなるくらい、心地良い感触だ。ただ指先で軽く触れているだけとは思えない。しかし目を開けていたときは爪の薄いほっそりした指がみえていた。作りものであることなど、気兼ねする必要はない。内向的そうだが卑屈な質ではないので、卑下はしていないだろう。ただ、義体に拒否感を持つ士官が多いので、こちらを気遣っているだけだ。サイバー化を忌避するのは戦闘の生々しさを目の当たりにしたくない心理の表れだろうが、ならば兵隊になどなるべきではない。
 自分は首をはねたことはないが、その刀をケガレとは思わない。
「気に入っていただけて幸いです」
 心なしか弾んだように聞こえる若々しい声。艦長は自分も嬉しくて目をあけた。ほんの2、3分というところだろう。
 提督が先生にプレゼントを渡した生徒のようにみつめている。罪がない。
 チョットホロリときてしまうのは自分が年をとったからだろうか。
「よかったらお分けしましょうか」
 何故、提督は自分の前にしゃがんでいるんだ。


 背中がほんのりと温かい。
「今のは新品なのでそのままお持ちいただいて結構ですよ」
 何をだ。
 壁に染みがあったら人の顔に見えているところだ。知らぬ間に貯水スペースに死体が溶けているとか。行方不明のクルーがいたりしないか。急に、人気のない浴室が恐くなった。
 短時間にするべし、との言葉通り肩や背中を優しく触る手はもうない。仕事は済んだと自分の体を離れようとしている。
 何故私は一人なんだ。だれか。
 助けなど来ない。きたっていいはずなんだが。なんでだれもひとっ風呂浴びようとか思わねえんだよコンチクショウ! とキレてみてもどうにもならない。
 よく、丁重に断れたなと思う。勲章を貰いたいくらいだ。
「そうですか。気が変わったらいつでも」
 少し残念そうに笑う。ブリッジでは決してみせない柔らかな顔で手をのばす。
 ひとりではないのだ。
 白い手だ。倒錯的だ。まだ少年、いや少女のような。だが恐ろしい。
 さっきまで一緒だったこの若い男が恐ろしいのだ。聖女のように微笑んで──なんでもいいからはやくソレを仕舞ってくれ! 進路をはくちょう座X-1に向けろというなら向けるから!!
 わたしはマトモだ。
 私の肩口を辿って、頬の横を過ぎ、優しげな手に絡み付く。いたいけな一方の手がソレを撫でて、無垢な笑みがふわりと。十字をきりたい。おかしなものに目覚めたくない。
 ぬめぬめと光るもの。
 名状しがたいナニカ。
 ゼリーのような、タコの足のような。そうだ、ゼリーで出来たタコの足のようなものが恐ろしかった。
 わたしはアレがこわかったのだ。


 気が付くと私は一人になっていた。
 私は  がおそろしかった。
 だが彼ははこちらにやさしい笑みをむける。


 提督とはにこやかに別れたと思う。しかし自分がどうやって着替えココまで歩いてきたのか思い出せない、艦長はそう言ってうなだれた。


「副長……彼を叱らないでやってくれ」
 というので私は今日からこの上官を更に尊敬することにした。
 悪気がないのは、まあ、わかるし。
 このことは他言無用であるとも。
 孤独な英雄の心許せる輩なら異形であろうと赦してやろう。彼なりに人に親切にしようとしているんだし。
 あと、下手に指摘して、馴れると結構カワイイなどと披露されては困るからだ。
 さぞかしかわいくないだろう。
 私が被害? に、そして第二第三の恐怖が起こらないよう、艦長は闇に葬る選択をした(大袈裟
 私は口を噤まねばならない。


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