■red-tint 02
目が覚めると周りの雰囲気が異様だった。
自分の隣のおっさんも、その隣のネーヤンも寝たフリしている。
まだ半分は力が入ってなくて寝てるときの心地良さのまま、正面を眺める。
電車の場所を確認するフリをして、ドアの横のスペースも視界に入れた。
一瞬自分に向けられた視線かと思ったがそうじゃない。
隣の男の仕草だ。
赤い顔をして唸っている。
冷房が中和されてちょうど良かったが、たじろいだ周囲の目──空気はいたたまれない。
滝のような汗って、本当にあったのか。
座席の前に立つ程じゃないが、席は埋まっている。ドアの前にもそれぞれ陣取っている。
だから彼の側に立った大学生くらいの女の子達も、行き場が無かった。何とか会話を継ぎながら、荒い息を気にしている。
それは夢のせいだ。
あんな夢をみていればこうもなるかもしれない。
醒めてきた頭で、零れた夢を思い出す。
夢の中には半裸の女の子がいた。
感覚までは流れて来ないからわからないが、幸せな夢だった。
彼の視点だから、見たくもない男の裸は見ずに済んだ。
ちょっと羨ましかった。
しかしうさ耳+メイド服とはどういう事情だ。彼女がレイヤーなのか。
電車が止まると、その揺れで男は目を開け、アナウンスを聞いて慌てて立ち上がった。ドアの前の女の子達をかき分けて、ホームへ飛び出す。
そんなに急がなくても降りられる。
気が付くと彼の背中を追っていた。
その先は大きな書店とショップがあるビルだ。あと電気屋、パソ屋、携帯屋。
あの駅で降りて行くところは大体同じ。そう思いながら、表の通りを外れて歩く。
もう明らかに後を付けている。何でこんなことしてるのか、ただなんとなくだった。
マニアックなパーツ屋も、無線の店も、模型屋も、古本屋も通り過ぎる。メイドカフェだって、もう3軒もスルーした。
パーツ屋に、あからさまに人の形が混ざり始めて、見上げた隙間の空が減る。不規則に張り付いた建造物のせい、区画の決まりごとを無視した街並のせいだ。混沌の分だけ、法の手は遠くなる。これ以上はやめた方がいいと思った頃、遂に彼はあるビルの階段を降りた。
店は一見小綺麗なカフェだった。
男は既に、例の彼女と一緒だ。
ここがどんなところかはもう知ってる。
あの夢と、受付の説明で理解できた。
特殊なデートクラブ。ここで食事して、品定めして、外に行くなり上の階のカラオケだとかゲーセンだとかで遊んで、風呂入ったり場合によっては一泊したりする。
メイド服が標準装備。紺の短すぎないワンピースタイプ。衣装チェンジは価格参照。オプションでなりきりモード。とか。起きてみる夢、悪くない。
「坂木繭杜」
マユ、彼は嬉しそうに呟いた。
いつもは鳥みたいに綺麗な枝に止まってるのに、降りてくるなんて。
このカオスな世界は自分のテリトリーだ。折角だから手を伸ばそう。
形のいい手には針。細く、長く、赤く染まる為のもの。反対の手には護符。それをひらりと消して、街の陰から薄く笑う。そして歌でも歌うように歩く。
利用出来ない金額じゃなかった。
多分、安い方。
「サカタさんて、かっこいいですよね。可愛いし、モテません?」
こんなとこで本名を名乗る愚蕪はあまりいない。しかしとっさに思い付かずソレだって適当に名乗っているHNを登録した。まあありがちだからいいだろう。
「そうでもないよ」
程良い胸──掴んでふんわりするくらいが好きだ──を包んだ制服に、みるく、という名札。アイラインとマスカラで囲んだ大きな目に、セミロングの巻き毛が似合っている。ちょっとハスキーな声も好みだし、もっと聞いていたいが、褒め言葉はくすぐったい。
「初めて入る店だし、普通に接客してくれたらソレでいいんで」
相手を不愉快にさせないよう、マユトは言葉を選んだ。
「誉め殺しプレイとかそんな特殊なことはしてもらわなくても」
彼女は本気で笑い出した。
「サカタさんソレおもしろいですウケます」
もっと堅い人と思ってました、と言われる。
テーブルにはお茶とえび煎餅。甘いものは苦手だというと、みるくが選んでくれた。
「いただきます」
手に取ろうとすると、遮られた。
「熱いから気をつけてくださいね」
と顔を近付けてふーふーする。
「どうぞ」
皿を恭しく持ち上げられる。
「自分で食べちゃうんですか」
当たり前だ、と言いそうになるのを堪える。
「よければあーんしてくださいね」
「ありがとう、今日はいいよ」
お茶は多分、きちんと量や時間を測って作ったものだ。いい香りがして少し甘かった。
みるくの視線に気が付いて、何か話そうと考える。とりあえず食い物の話とか。
「この煎餅、もしかしてここで焼いてる?」
「そうですよー」
「何かイロイロあるんだな……」
メニューをめくって感心する。
菓子や軽い食事だけかと思っていたが、ナントカ定食、みたいな重いメニューもある。考えてみたら客は男なんだし、需要もあるだろう。
「あのー、ちょっと、疲れてます?」
「……うん、割とバタバタしてたんで」
ウソをついた。今更何に対して取り繕うのか。滑稽だけど、壁に向かってぼんやりしてたなんて言えない。
「もっと笑うとモテますよ」
「あの子がいいんだけど」
「お客様困ります」
「まあそう言うなよ」
こそっと耳打ちして、その美形顔はこっちへやって来た。
後ろには店長がいる。
彼の話は簡単だった。
そのデートに混ぜてくれ。
店側が構わないなら、マユトは正直どうでもよかった。
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