■red-tint 06

 ずっと違和感があった。一度スカッと飛んでしまったのが幸いだったのか、ソレに気が付いた。
「なんで俺の名前、知ってる」
「何でって……今聞くなよムードねえな、まあいいか、アレだよ。履歴書みたんだよ。コンビニのセキュリティなんてザルだからな」
 どこから出したのか、お札をひらひらさせる。ソレを出したときと同じようにどこへか消してニヤリとする。
「ま、蛇の道は蛇だよ」
「そうか」
「怒らねえの?」
「怒ってもしょうがないだろ」
 よくは知らないが、世間の常識みたいなものを超えたトコロを歩く人間がいるらしい。街の外だとか、魔法だとか、ヒトですらないものだとか。そんな超自然的なものでなくとも、違法にカスタマイズしたサイバーウェアや銃だって、マユトにはリアリティのない世界だった。
 きっと彼らがその気になれば、浅い日常から思うまま搾取する事など造作ない。増して自分なんかに止めることなんて、考えるだけで滑稽だ。
「そんな顔すんなよ。アンタのこと、どうしても知りたかった。普段は、仕事以外で他人ん家忍び込んだりしねえから」
「……え」
 何故か一生懸命なサカキに、マユトは首をかしげた。
「店長やマネにも、軽い暗示かけただけだから。マユがどんな奴だったか、知りたかっただけだから」
 サカキは忙しなく瞬きして、目を逸らす。
「そりゃソレで誰かがお前をいじめてたってんならシメたかもしんねけど」
 ホントなんもやってない、とサカキはまるで浮気を弁解する男みたいな素振りだった。
「いいから」
「……」
「別に怒ってないから」
「マジで?」
 サカキは嬉しげに顔を綻ばせ、マユトを抱き締めた。
「良かった俺アンタに嫌われたくない、どうせ玉砕するならやりたいことやってって思ったけど、こうやって近くになったらやっぱり好きだずっと一緒にいたいって」
「待て」
 マユトは窮屈さに身じろぎしながら言った。
「コッチは別だぞ」
 精一杯、怖い顔を作る。
「お……押し倒して、勝手に告って返事も聞かないでやりたいことだけやって、こんなんで人に好かれるワケないだろ」
「じぁあ返事きかせろよ」
「お前俺の言ってるコト理解してるか? 犬とか猫とかじゃないんだから、思ったまんま実行するなよ」
「……なら愛してるって頼んだらヤらしてくれたのかよ」
「ダメに決まってるだろ」
「だったら無理矢理貰うしかねえじゃん。どれだけ抱きたかったか、お前のコト考えて、何回抜いたと思ってんだよ」
「やめろ」
「でも100回の妄想より1回のリアルだな。やっぱり、ホンモノは違う……」
 うなじに顔を埋めて、サカキはうっとり呟いた。
「好きだ」
 夢みたいだ、と抱き締められる。
 暖かくて、力が抜けた。


「繭杜……繭杜……」
 なんて熱いんだろう。
 なんだこれは。
「マユト、マユ」
 息苦しい。ちがう。
 胸が締め付けられる、とかいうヤツだ。
「ちきしょ……」
 切ない、ってヤツか。
 それから快感。多分、男なら大抵やること。
 でも、コイツみたいな男なら、自分の右手に世話にならなくても相手くらい、と思う。それから、気付く。
 コイツって、誰だ。
 誰って決まってる。
「マユ、マユ、すきだ」
 何かのワクチンでもスロットにねじ込んでもらわないと、もう忘れられない。この声をもう、自分で消すことなんてできない。
「マユ……」
 腰が熱い、身体が砕けそうだった。
 苦しくて、泣きたくなった。
「なんでだよ、なんで」
 こんな気持ちになるのか、遠くに手を、のばそうとするのか。
 サカキはもがいていた。
 心まで流れ込んで来たのは初めてだ。初めてだから確信はないけど、これはきっと夢の中でサカキが思った事だ。
 風景は同じ部屋の中だけど、微妙にズレたりブレたりするから時間は飛び飛びだ。気持ち良かったり、痛い――切なかったり忙しない。
 白く濡れた手にティッシュ、違う場面ではストローや箸が見えた。色とデザインから、あのコンビニのものだとわかる。
 そんなに溜めてどうする気だと思う。
 一瞬映ったのは横顔、多分自分。
 品物を袋に詰めて、釣りを渡す姿も見える。
 新製品について聞かれたり、品切れの入荷予定を聞かれたり。マニュアルどおりにフェア中の商品を奨めたりもする。
 どれも全部、自分で思ってる程惨めで酷い出来ではなかった。
 思い上がりでなければ、かなり良い方。無料のスマイルだって、わざとらしくはない。
 だけどどれヒトツも、相手の顔をみていない。
 あんなに箸を貯め込んだサカキだって顔は覚えていなかった。多分、毎日のように、来ていた筈だ。
「好きだ、マユ……マユ」
 切なかった。多分誰に奪られたりもしない。アイツは誰もみてない――うるさい黙れ、思うがその通りだ――だから他の誰かを好きになったりしない。自分しかみてないから、誰も好きにはなれない。
 ──お前になにがわかる、好き放題言うな。
 サカキの頭の中身に毒づくが、痛くて、言われることはその通りだと思った。
 ――なんでそんなにわかるんだよ。
 熱くて、溶け出しそうだった。
「マユ……」
 切なくて、心地良い。甘くて苦かった。
「マユ、そんな顔するなよ……もっと」
 ――マユ。
 呼ばれて目が覚めた。


「マユ、マユ」
「……」
「大丈夫か」
「ごめん、ちょっと寝てた」
「……そんな身体キツかったか?」
 サカキは薄い茶色の瞳を曇らせた。
「それか、そんなに、マジ怖かったのか」
「怖いよ……でもソレじゃない。緊張し過ぎたっていうか……怖いとかびっくりしたときとか以外にも、恥ずかしかったり、その、熱く……頭に血が上ったときなんかもこうなるから」
「ごめんな」
「謝るならやるなよ」
「ソレはソレ」
「勝手な奴だな……」
「でも、つコトはアレか? イっちゃって気持ち良すぎてクラってきたってコト?」
「……なんでそういうコト言うんだよ……」
 また倒れそうな顔をするマユトをみて、サカキはくっくっく、と笑った。
「俺エロい子スキだから、マユ超合格」
「……最低」
 このケダモノ、とマユトは呟いた。
「そうだよ俺[ジュウ]だから。これから毎日、お前をエロエロトロトロにしてやるよ」
「ちょっと待て、なんで勝手にこれからのハナシなんか決めてるんだよ」
「なんでって、面接受かったんだから、採用に決まってんだろ」
「何のだよ」
 アダルト求人になんかエントリーした覚えはない。
「助手だよ助手。俺と組むんだよ。毎日イイ思いさせてやるから」
「組むって、ハメ撮りでもやるつもりか」
 若しくは、アングラでも別の方向か。
「ダミー携帯のオーナーになれとか、それか占有」
「アンタね……そのお上品な顔で下衆なコト言うなよ……ちげーよ。護衛とかさ、人捜しとかさ、何か大事なもんの輸送とかあんだろ?」
「そんなの」
 そんなのはヨソの世界の話だ。
「俺に出来るワケないだろ。運動は苦手だし、資格も持ってないし特技もない」
「ナントカの検査技師なんだろ」
 履歴書みた、と言われる。
「持ってんじゃん資格」
「そんなの切った張ったに使えないだろうが」
「まあそうだけどよ。アンタが卑屈なコト言うから思い出させようとしたんじゃねえか。その資格でさ、3年働いたんならまあまあ食える仕事あるだろ。バイトだって1年続いたら上等だし」
 なんでそう後ろ向きなんだよ、とため息をつくサカキ。
「どんなトキにどんな知識が必要になるか分かんないんだ、使えるかもしれねえじゃん。……あんま思いつかねえけどさ」
 言いつつ、サカキはマユトを後ろから抱き締めた。
「それにさ、特技ならあんだろ。スゲーのが」
「エロいトコ、とか言ってもウケないからな」
 お前のジョークはつまんないんだよ、とマユトはぼやいた。
「うわ、キツ。何か素だと結構ズケズケもの言うな。ま、そこも気に入ったけど」
 にんまりして耳たぶに噛み付く。
「やめろよ」
 軽く歯を立てて舌で揉みしだく。
「んくっ……ぁ」
 歯を離して、狼のように舐める。
「……ふ……」
「気持ちイイ?」
「ばっ……馬鹿野郎」
「やっぱエロい、可愛い、最高」
 サカキは唇を舐めてニヤリと笑った。
 それから、マユトの腰を抱えて座り直す。
「俺はさ、アンタが側にいてくれたら、家でゴロゴロしててくれても構わねえけどさ」
 そっと抱き締めて囁く。
「それじゃアンタのビョーキは直らないだろ」


 はっとするマユトにサカキは言葉を続けた。
「仕事っていうか、何か役割がないと辛いんだろ」
 そっと髪を撫でる。艶のある紺色、しなやかで心地良い。
「だけど自分が思ってる程立派な自分にはなれなくて、ちょっと疲れて磨り減ってるんだろ」
 細い肩だな、と思う。嗜虐心をそそられるというか、この憂いを含んだ姿が堪らない。
 ――だけど。
「休めって言われてムリならさ、ちょっとオモシロいコトやってみね? 俺と危ない橋とか渡ってみね?」
「そんなことしてたら、命いくつあっても足りないよ」
「だからさ、俺が守ってやるから」
「人雇う金なんかないよ」
「ぬあー! もーイラつく! だからな、アンタは俺を助けてくれたらいいんだって、仕事仲間に金なんかいらないだろ!」
 サカキは手を離して立ち上がった。転がりそうになるが何とか持ち直して、マユトも負けじと立ち、サカキの顔を強く見上げた。
「わかんないこというなよ、何回も何回も、言ってること意味ワカラン、俺だってムカついてるよ!」
「怒んなよ、また気絶すんぜ」
「うるさい……お前の」
 体がふわふわする。目の前が暗くなった所で、広い胸に受け止められる。
「お前のせいだろ……」
 もうどうでもいい。眠くて心が動かない。目を閉じて沈むに任せる。
「寝るなよ」
「うるさいな」
「いいけどさ、俺のエロ夢にあてられるだけだぜ」
「……!」


「マユ、ごめん、脅かすつもりはなかったんだ、マジ悪かった」
 揺さぶられている。起きろってことか。
「……起きてるよ」
「ごめん……」
「いいよ……それより、どのくらい寝てた……?」
「5秒くらいかな」
「そか」
「アンタホントに、自分のコトよくわかってねえんだな」
「……?」
「ソレがな、アンタの特技なんだよ」
「どこでも寝られるコトか? 持って行き方によったら話のタネになるけど」
「ソッチじゃねえよ」
 サカキはやれやれとため息をついた。
「他人の夢の中身を覗く力だよ」


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