■出来損ないの聖餐 05

 あの時と同じ笑みで、男が立っている。
 憔悴したような顔は、元々のものなのか、血色はかなり悪い。
 違うのは、着ている物と、態度だった。
 神──まあ何かろくでもないものに決まっている──を祀る衣装に、背表紙の擦り切れた本。
 神官姿の男は、慇懃な仕草で、周りに蠢く人影を下がらせた。
「気分はどうだ」
 こんな月並みなセリフしか言えない奴に、俺は担がれたのか。
 またしても。
 思うと惨めだった。
「そうだな、あんたの顔、形変わるまでボコったら少しは晴れるかな」
 ユイの言い草に、彼はあからさまに顔をしかめた。
「まあいい。お前がこれからどうなるのか、教えてやろう」
 わからずに死んでいくのは、口惜しいだろう。
 彼は本気で思っていた。
「興味ないからいい」
「……」
「それより、他の連中はどうした」
「待っているよ。お前の血で全てが救済される刻をな」
「おめでたいのは俺一人だったって事か」
「そう落ち込む事は無い。あれらはお前を本当に救い主だと思っている」
 但し、その救いは血によって購われるものだが。
「事が叶えば、未来永劫、お前を崇め奉るだろう」
「だったら、他にさらって来た人間はどうした」
「興味ないな」
「どういう意味だ」
 お前がやったんじゃないのか、とユイは言った。
「あんなものは真なる者を引き寄せる為の撒き餌だ。拾ったあとどうしようと私の知るところではない」
 本当に必要な相手を見つける為の手順の一つだった。
「いいニエが入ったと、毎回私に感謝の言葉を述べていたかな、そういう記憶は多少ある」
 彼はうそぶいた。
「病神に犠牲を捧げれば、呪いから開放されると、あれらは本気で思っているようだからな」


「ライル博士はどうした?」
 探さないのかと嘲笑う。
「お前らがどうにかしたんじゃないのか」
「画像とかけ離れているので判らぬのも無理はないか」
 男は満足げにユイを見た。
「贄の使い道に興味があったのだろう? 私だよ」
 言われて初めて、そうかと思い、関連付けられなかった己の拙さを思い知る。
 面影らしきものもないことは、ないか。若い姿のリモート義体か? 違う。ソレならば──男が完全義体などであったなら──エストリタが何らかの解析をした筈だ。
「何故こんな効果の高い手段を躊躇していたのだろう。今ではソレが可笑しくてならん」
「……供え物の上前ハネるとか、どんだけセコいんだ」
「無駄に失われる生のエネルギーにラインを引いて取り込んだのだ、有効活用と言って貰いたいな」
 表情が、違いすぎる。
 人相が、変わった。
 だから結び付かないのかもしれない。
 こいつが、ライル博士の成れの果てだと。
「生き餌を使う魔導のなんと強大なことよな」
 身体の時を遡る、そうした難易度の高い術式も、知的生命体をくべれば精度が遥かに上がる。一気に数十年、見かけ倒しでなく、真に若返ることも可能だろう。
「お前にも期待している」
 かつての彼ならしないような笑顔で、男が言った。


 留守番組の1体、ヘキサルトゥは今、退屈だった。
 コーヒーも淹れおわったし、セリザワ博士──お父ちゃんに構う材料もない。
 彼は今、古びた手帳と、同じように捲りスギで弱った紙の束を前に思案中。苛立ち……でもないし、近いけどなんか違う。彼らの追う世界の謎とかより、このロボ子には人間の機微の方が謎だと思える。どっちかというと、緊迫感? 彼は考えを急いでいるとみえる。
 26日前にエストリタの頭の中にナニカを入れていたライル博士の事が心配なのだろうか。
 厭な気配がする、とお父ちゃんは言っていた。4時間前のこと、ライル博士の日記とやらに折り込まれた別のデータがあると、そんな話題だった。
 だとすればソレは危険なもののシグナルで、ライル博士にピンチが訪れる直球、そのライル博士自身が実は危険そのものでしたー、という変化球もあるかもしれない。
 ライル博士の興味は失われた物質の精製だけでなく超自然的なナニカにもあって、隠されたデータには次第にその興味がソッチに移っていく様がみてとれる。お父ちゃんの呟きから拾った情報。
 神さんを奉る、という人間の不可思議な風習。でも、ソレは素敵な事だと、ヘキサルトゥは思っていた。但し、生け贄とかは良くない。ライル博士の研究してる神さんに、人道的に供えてはいけないナニカを供えているとか、ライル博士はそんなに悪そうじゃなかったけど、違うのか。
 悪そうじゃなかった人が変わってしまうくらい、神さんの研究はエキサイティングなんだろうか。
「何でや……タタラ場は女を嫌う……例外は巫女とかか、アカン」
「どないしたん」
「オッサンや」


 ──聖なる因子だからこそ、ホーリーファクターと呼ぶ。優れた依り代であり供物足りうる存在。
「神さんだけでもアカン、神饌だけでもアカン」
 両方揃って顕現……降りてくる筈だ。
 揃う可能性が極めて低いソレが、揃ったから彼は変質した。いや、人の世で居続ける為には被り続けなければならないものを、捨て去った。
 とち狂った。ぴったりな言葉だ。
『ついに見つけた』
 見つけたものは何か、ソレが必要だったニエだ。
 だからこのいまヒトツ、遺志の預け先としては重みに欠けるロボ子を選んだ。そうすれば、セリザワは必ず呼ぶ。呼ばれれば必ず遂行するだろう。
 ユイは必ず彼に会う。
 彼にはユイが必要だ。
 必要なものは揃う。稀なるニエ。
「あいつも、人がエエさかいな」
 バカだが、それは同じだ。
「俺も大概やけどな」
「ヘキサ、トモリに繋いでくれ」
「……、応答なし。回線は開いてますが届いてません」
「せやろな」
「向こうで何か異常があるみたいですね」
「おう、多分ヤバい事になっとる」
「せやったらー!」
 ヘキサルトゥの叫びに、他の4体も反応する。
「なになにー!」
「隊長がピンチなんー?」
 先を急かすロボ子達を黒手袋の手で制する。焦りを潰してコーヒーを飲み干す。
「オッサンよ、そんな欲しいもんあったんかい」
 墓場には持っていけないのに、とセリザワはつぶやいた。


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