■出来損ないの聖餐 06

「この地を蝕むのは、覇璃[はり]の毒だ」
「覇璃?」
「属性を問わず、魔力を蓄積する効果がある。通常では不可能な掛け合わせの魔化も可能だ」
 男は壁に立てかけた儀礼用の剣を抜いた。
 ガラスか水晶に似た、透明な刀身。しかし、表面はもっと、生物じみた光沢を持っていた。
「これが、最盛期に作られた覇璃の加工品だ。美しいだろう」
 ユイは小さく眉をひそめた。多分、光沢の正体は、CDやシャボン玉の表面みたいな構造色だ。それが、ほんの少し混ざっている。とても綺麗な剣だったが、好きになれなかった。
「ミスリルやオリハルコンなら、お前も知っているな。これはそういった魔的な物質の一つだ」
 訳も無く禍々しいと思ってしまうその剣をしまいながら、男の話は続いた。
「覇璃は結晶化すると無毒だが、製造過程で多量の歪みを発生させる。かつてこの地には覇璃を生成する技術が伝えられていた」
 もう失われて久しいが、と彼は付け足した。
「私は覇璃の研究をしていた。ここに辿りついたそもそもの理由はソレだ。しかし、あるとき彼らの神についての記録に驚くべきものを発見した」
 彼は手にした魔導書を見せ付けた。
「名を持たない、新しき神についての記述だ。朽ちたる者の神。常に新しく常に古い、呪われた生を持つものの仔」
 神の力を手にする秘術に、彼は魅了された。
「失われた技術を取り戻す誉れよりも、私の望みに、それは遥かに近かった」


「せやったら、助けに行きましょうよ」
「そうしたいトコロやけどな」
 人を借りるには根拠が曖昧すぎる。
 しかも救出しなければならないかもしれない対象が対象である。
 多分、上は人を出さない。
 それだけの力はある。
 それが駐在というもの。
 自分でなんとかしろということだ。
「もー! お父ちゃんのアホ〜!」
「せや。早よあんじょう思い付いてよ」
「やかましなもー」


「ソレはナニかお前神になろうとか考えるアレか」
「……察しがいい。聡明なのは良いがお前は口が悪いな」
 俗っぽい言い方に気を悪くしたらしい。
「お前の聖なる因子と今宵の星辰で、我がタマシイは不滅のものとなる」
 彼は傍らの魔導書を撫で、歌うように告げた。
「聖属性を宿せし無垢なる処女[おとめ]の血肉こそ欠けてはならぬ要素」
「待て」
「……話の腰を折るな」
「いいから聞け」
 何でこの状況でこんなダメ出しせなイカンのかと、ユイは内心ため息をついた。
「その術式なら俺を触媒にしても発動しないぞ」
 自分の口で、贄とか言いたくない。
「小賢しい戯れは似合わんな」
「……いまふざけてどうするよ」
 続けて言ってしまいたい事が溢れそうだったが、そんな時間はない。
「大体一つも当てはまってないだろ、乙女とか」
 無垢っていう年でもない。
「それは比喩だ。若くうららかであれば娘である必要はない。お前は勇気がある。その信念は高潔で純粋だ」
「そらどうも」
 だからこうしてのこのこ出て来て網に掛かってみっともなくもがいてんですがね、とユイはげんなりした。
 時折、柱や天井、壁を弾く。見えてないが、迫ってきている。削れた石の粉が舞っている。不可視のナニカを眺め、彼が満足げに言う。
「みろ、闇も待ち構えているぞ」
「だから、ソレは単純にうまそうなだけなんだって」
「それのどこに問題があるというのだ」
 イロイロあるだろ。
「あるよ。お前何か勘違いしてないか」
「何のハナシだ」
「俺に乙女の資格はないぞ」
「はあ?」
「俺は、確かに聖属性がくっついてるけど、中古なんだよ」
「は……?」
「だから、喰われたりとか、初めてじゃないんだって。それに、こんな仕事だから人も殺めてるし、嘘もつく」
 彼ははユイの言葉を最後まで聞いていなかった。
「どういうつもりだ……そんな嘘で私を惑わすのか」
「ソコは嘘じゃないから」
「何だと! ではお前は清らかなる身で背徳に手を染めたというのか……!」
「背徳って……」
 この年で新品だったら色々アレだ。
 ユイは手が自由なら頭を抱えるトコロだと思った。
 ショックな様子の彼を眺めて、下らない事をひらめいた。
「もしかして、お前、経験ナイのか?」
 更に黙り込む男。
「いや……傷付いたんなら謝るけど」
「愚問だ」
 顔を上げて彼は告げた。
「私は青春の全てを探求に捧げてきた。愛も、悦びも、祈りや道徳さえも、永劫の知識の前には塵に等しい」
「……真面目な」
 でも、そんな生き方は、マズいだろう。前半は兎も角、後ろ半分がダメ過ぎる。ユイは何もかも、疲れてきてどうでもよくなりかけた。
「傷付く事などありはしない」
 目を見開いて言い放つ。
「我が人生に一片の悔い無し!」


「まあお前の人生だからいいけど」
 俺は無意味に喰われて死にたくない。ユイは思った。例え意味があっても、概ね喰われたくない。
「兎に角俺をアレに供えて拝んでも、お前は神とかになれない」
「くどいぞ、往生際の悪い。嘘ばかり並べ立てるとタマシイの価値が下がるだろう」
 少し黙っていろ、と神官はイライラとぼやいた。
「くどいのはお前だ! 俺はアンタが期待してるような乙女じゃないんだって、もー、分かれ!」
 神官は懐に手を入れると、祭壇へ歩み寄った。
「そ、そのよく回る口は必要ない」
 猿ぐつわでも咬ませるつもりか、取り出した布を顔に近付けようとする。
 この男はイロイロ踏み外しているが、ギリギリ頭は大丈夫だ。何とか会話が出来るなら、口を塞がれるのは困る。
 それにしても、なんだコイツ、とユイは思った。
 彼は肌も露わな生贄の姿に怖じ気づいているようだった。性的な経験がないのは、本当らしい。
 これから起きる事に、期待以上に恐怖が混ざっていることにも気付く。
 彼は震える手でユイの首に触れた。
「がはっ」
 男はみぞおちを押さえて転がった。
「な、なにをする……」
 彼は呻いて、うずくまる。
 装飾過剰で細いが、魔化された鎖はやはり頑丈。いっぱいまで引いて、膝を叩き込んでも、軋む事がなかった。素足のくるぶしに枷が食い込んで痛い。まあ、人を殴るのは痛いもんだ。
「何という下品な」
「うるさい、俺の話を聞け」
 ユイはかなり拡がった闇をちらりと見て早口で言った。
「お前らみたいなのが使う魔法とかにあるだろ、生贄を選別するヤツが」
 コイツのLvなら、習得出来る。
「ソレ俺に使ってみろ」
 そうすれば自分の言った事が本当だと判る筈だ。
「見損なうな」
 彼は冷たい声で言った。
 痛む腹を押さえて立ち上がる。
「そんな無粋な術に私が手を出すとでも思っているのか」
「……」


「じゃあ聞くけど、お前今までどうやってラインで横入りする対象を選ってたんだ」
「匂いだ」
「はあ!? ソレ迷信だから」
「お前が考えているような俗な意味ではない。タマシイから、匂いたつものがあるのだ」
 清らかなるものしか持ち得ない、甘い輝きがある。
 ソレは今でも、この憐れなニエから感じられる。
 儚いものだが、確かだった。
「お前にはその資格がある」
「鼻がつまってるって、絶対ありえないから」
「もういい。そこで好きに喚いていろ。今にお前の心は解け、闇の愛撫でその身総てを曝け出す」
 そうなればもう、口をきく事が出来ないのだから。
 憐れであったが、それが聖餐として生まれたもののサダメだ。


 どうしようもない奴だな、とユイは呆れ半分心中でつぶやく。そして他人事のように──まあ他人だし、現時点で供え物である自分には星辰が揃うまで手をつけない筈だ──面妖な気配が濃くなる一方の祭壇からは離れるなり結界か何かを講じた方が良いのでは、と思う。
 不可視のナニカは、確実に威力を上げて、祭壇の周囲で跳ね回っている。
 あるものにみえなくもない。ユイ的には細い長い紐状の──例えば、触手とか。
 イヤ過ぎる。
「畏れるがいい」
 何も言わないユイをみて、少しは堪えたなどと都合の良い解釈をしていそうだ。男は嬉しげに次の言葉を出そうと、もしかしたら出したかもしれないがソレは既に遅く、言葉にはならなかった。


次のページへすすむ
前のページへもどる
Story? 01(小話一覧)へもどる
トップへもどる