■出来損ないの聖餐 07

 ぺち、という愛想のない音と共に、男の頭は失われた。
 ユイは思わず顔にかかった雫を飲み込んでしまう。
 混ざりものがない、人間のものだった。
「ほったらかしかよ……」
 自分を置いたまま、勝手に死なないで欲しい。
 せめて、解いてからにしてもらいたかった。
 しかし、血の味のとおり、彼が人間であるなら、もう遅い。これ以上ないくらい死んでいる。生き返ることはないだろう。


 それは、聞き覚えのある女の声だった。
 女というより、むしろこちら側にふさわしい、ニエとかにされそうな娘の声。
 だが、その声はこの混沌の向こうから聞こえて来る。
 心当たりは、あった。
 手足を持たない水蛭子神。名を持たない、足りないものと、誤って付き過ぎたものの守護者。
「ユミナか……」
 名前が無いのはこうも不便で呪わしい。仕方無しに、娘が辛うじて人間であった頃の名を呼んでみた。
 返答があればいいが。
「……さ……ん」
 ごぼごぼと、どこか溺れ死んだようなノイズに、彼女の声が混ざる。
「ゆ、ィ……ユイさん、ですか」
 やがて、チャンネルを合わせるように異界の雑音は小さくなり、美しい娘の声が残った。
 それはやはり、今にも闇色の霞から溢れて来そうな、肉塊が発していた。
 正確には、そのもっと奥に蠢く、異形の気配から届いている。
「そうだ。オレオレじゃないけど、俺だ」
「わかります」


「何とかならんのか……いや、していただけないんでしょうかね」
「できればそうしたいのですが無理そうです。このままで行くとあと7分と38秒で実体を伴った触腕部分が到達してしまいますから間もなく喰べられてしまうでしょう」
「お……お前が喰うんだろう」
「そうですが、そうではないのです」
「何じゃそら」
 出来れば神々じゃなくて下々な言葉で話してもらいたい。
 そんな皮肉もすり抜け、カミサマになりつつある娘は続けた。
「あれは、未来でわたくしの血肉として動くもの、この時間に於いては、精神との繋がりがまだないのです。言ってみればあれこそが器のみの虚ろ、魂なき殖えゆくものの具現」
 頭が痛くなってきた。


「私が……」
「何だ」
「何故現れたのか疑問は感じないのですね」
「アレだろ、存在の次元が違うから、未来で生まれる予定の神が過去からあってもおかしくない、とかじゃないのか」
「そうですが」
「だったらそれでいいよ」
 世界が不条理なのは、今に始まった事じゃない。
「はい……」
「他に何かあるのか」
「いえ、でも、そういう疑問は出して誰かが形のある言葉にしないと、不親切な流れになりはしないかと」
「そんなクドクドなメタネタやってる時間ないだろうが、おかしなトコロでボケるな」


 兎に角、自由に動けるように出来ないとならない。どうするか。
 エストリタがいれば魔導的なサポートが得られるのだが。
 試しに電脳通信を試みるが、やはり遮断される。別れ別れになった時の状態から考えると、向こうは向こうで拘束されているのだろう。かつての──今だってそうだろうが──ユミナのようにいくわけないが、エストリタに向けて開いた回線を辿ってみる。
 拙いなりに分かったのは、魔導の気配。一切の通信が無効、であるのは更に外部、恐らく神殿の外との事であり、神殿やソレに付属する空間には網が張れる事と、開いた回路を辿ることが出来る、という事だった。通信自体は生きている。しかしエストリタには届かない。エストリタの存在まで辿り着かないようにナニカが封鎖を行っている。ソレが、魔導による封印だ。
 コレを解除して彼女を閉じた場所から引っ張り出せれば。
 自分がもっと魔導に精通していれば良いのだが、願望に浸っている時間はない。どうにかして手段を納めたい。
 何か手は。
 いけそうだ。
 速攻だ。
「こうして話? せるってことは俺とお前の間に何らかのラインがあるってことだよな」
「そうです」


「お前、今でもダイブは出来るな?」
「はい」
「それなら、あの人のデータベースへアクセスしてくれ。アドレスは変わってない」
「あの方は、退職されたのではないのですか」
「あー……そうだけどあの通りセコい人だからサーバには今も寄生してる」
 ネットを傍若無人に巡る連中は大体そんなもんだ。使える、というか使おうと決めたものは何でも活用する。
 多分、目の前のコイツだってそうだ。高次元なイキモノに存在がシフトしても、ネットにアクセス出来ている以上はどこかに保存領域がある筈だ。しかも大抵、企業や各種機関のほぼ無尽蔵、使い切れないスペースのどこかに紛れている。
 勿論違法だが突っ込んでどうにかなる相手でもない。
「可能ですが、スマートにはいきません」
 防壁が厚すぎる、と彼女は戸惑った。
「少々弾かれてもいい。跡が残っても、いっそ派手に喰い破っても構わない」
 気付いてくれたら、ある意味助かる。
「わかりました。アクセス、開始しました」
「潜ったら戒めを解くスペルを検索してくれ。なるべく単純なのがいい。俺は長い術式は展開出来ない」
「少しかかります」
「いけそうか」
「問題はなくないですが、抜けますわ」
「わかった。それと、あれば増幅呪文を。弱くてもいいから、重ね掛け出来るやつを」
「了解」
「回線、一瞬だけ開くから送ってくれ」
「……! 少し無理が過ぎますわ。今の私と繋がれば、あなたの意志といえど損傷は免れません」
 一切の通信が無効、とされている此処でさえ彼女は出来ない≠ニは言わなかった。それでこそだ。
「構わないからやってくれ、死ななければ何とかなる、どの道賭だから」
「わかりました。検索完了。ダウンロードと同時に転送します」
 どうかご無事で、という言葉と共に、文字列が浮かぶ。でも、圧倒的な存在の何かに、心が空っぽになりそうになった。
 眩しくもないのに、目を灼かれて、熱くも無いのに、灰に変わる。
「……しっかり、してください」
「……」
 ユイは緩慢な仕草で顔を上げた。
「今ので、何秒ロスした」
「47秒です」
 約1分気絶したとして、残り時間は5分。希望はある。
 鼓動が早くなりすぎて息苦しい。
 括られていて、丁度いいくらいだ。多分、支えなしには立つこともままならない。
 息を整えながら、集中する。掛かった封印をイメージして、そして、何度も、何度も増幅する。最後にメインの術式を展開して、解除のスペルを紡ぐ。
 そこだけ、闇が剥がれて落ちる。
 淡い光が弾けて、少女の影が浮かび、跳んだ。


「隊長、只今たちどころにお助けします」
「リタ、お前は大丈夫か?」
「無傷です。それより隊長の方がタイヘンです。じっと、動かないで下さい」
 手足が少し熱かった。
 金属が砕ける音がして、気付くとエストリタに身体を支えられていた。
 薄くついた火傷の跡を見て、サイバーリングは頭を下げた。
「申し訳ありません。焦ってしまって怪我を」
 枷を焼き切ったらしい。
「いいよ気にすんな。それよりこの物体Xを何とかお帰さんと」
 でないと、自分の命どころか、付近一帯の心配をしなければならない。
「兎に角やるだけ切り刻んでみるが、もし駄目だったらお前、動けるうちにここから逃げろ」
 コイツなら、データ領域に退避すれば人格が保存される。本体はこちら側に残ってしまうが、血を流さない、無機物なら喰われない可能性も高い。
「そんなん、隊長を置いて行けません。マスターを捨てるなど、ロボとして恥ずべき行いです」
 それでは、死ねと言われてるのと同じことだ、とエストリタは澄んだ瞳を吊り上げた。その目は、今にも泣き出しそうだった。
「わかった。そんなに言うなら最期まで付き合え」
「了解」
「あの」
 ユミナが遠慮がちに声をかけてきた。
「大丈夫です。お二人共、華々しく散る必要はありません」
「ユミナ様?」
「今から私の言うとおりに法陣を崩して下さい」


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