■septet-rain 02
「雨はお嫌いですか」
カーテンの向こうでは水滴がガラスを叩き形を変えて滑っているだろう。
中途半端な暗さと、夜でない看板のサインがまた中途半端。多分時刻は夕方前。
今だって特別に好きな天気はないが、確かに雨は嫌いだ。
「そうだけど、お前俺の話きいてるか」
消耗しているからか、声が思った程響かない。悪いのは自分だろうか。遅々として減らない皿を見る。
「好き嫌いは好ましくありません。栄養的にも申し分ない筈です」
わかっててやってるのか。親父とお母んが妹≠セと思えというだけのことはある。優秀なヤツだ。
「その服装で要求をスルーはナシだろう」
「何か問題でも」
「いやもーいいよ」
ありスギだ。
電車なりタクシーなり乗り継いで、廊下を歩いて来たに違いない。明日何て言われるか。頭がいたい。他に誰もいないなら、多分想像のとおりだ。
「お前が俺をここまで引きずってきたのか」
「はい。旦那様も奥様もお出掛けでしたので、私がユイ様のお勤め先まで参りました」
メイド服のロボ子が迎えに来るなんて、しばらく良いネタだろう。
「ユイ様は働き過ぎだ、と課長様が仰っていました。自分が何も知らないとでも思っているなら侮らないでもらいたいとのことです」
仕事のことか。そんな詰めすぎてるとは思わなかったが、いくらなんでも、人でない何か別のものになりかかっているとか、彼女にわかる筈がない。
「明日から休暇扱いにするので連絡は不要、2日間本社からの通信をカットするとも言付かっています」
確かに部長は人使いが荒いが、今回は彼のせいだけじゃない。年中『アキノ君は真面目だから』と逃げ回っているあの半笑いが気の毒になる。
見境がない自分の悪食が原因だ。もっとも、消耗していなければ餓えは抑えられるので、やっぱり元は定常業務のスキマに、真面目な彼女を怒らせるような訳ありの仕事を押し込める無茶振りにあるのか。
しかし、重役の娘であり、自他共に厳しく、吐く息で凍るとさえ言われるアキノ課長──上司ですら息苦しく感じるのもまあわかる──に強く出られてさえ48時間とは、部長らしい。
こうしてる間にも、不条理は街を脅かしている。寝かせてもらえるだけでありがたいハナシだ。せっかくだからありがたく時間を使おう。と皿を置いて枕にもたれる。
便利な手駒を取り上げられて、たった2日でも部長は落ち着かない筈だ。あの飄々と一見無責任な様子で全く困っていなさそうに困るのは、端でみていておもしろい。たまにはいい。それから、たまにでチラリと思った。
「あの人でも俺を人間扱いするのか」
「ユイ様は人間です」
発言の意図が不明です、と彼女は言った。口に出て独り言になっていたようだ。
「別にそれ以外のなんかとかじゃない」
今のところは、と今度は口に出さない。
「言葉のあやみたいなもんだ。気にするな」
「パワーハラスメントでも受けているのですか」
「いやいやそういうのとはちがうから、仕事のことは別に問題ないから、この話は、おわり」
「わかりました。守秘義務ということですね」
「まあそのへん」
疲れる。
表情が読めないといわれる自分以上の無表情で、悪ふざけどころか駄洒落Lvの言葉さえ通じない。今時珍しい古風なタイプのサイバーリングだ。
少しぼんやりした頭でため息をついて、スプーンの先に少しだけ乗せる。違うとわかっていても気が進まない。
口に入れると、柔らかな味がした。ヨーグルトに何か混ざっている。モタモタと食いあぐねているのに、飲み込んだときの冷たさは、熱で火照った体にちょうどいい。
目をつぶって、もう一口飲み込む。厭な発想をしなければ、なんだろう、ずっと前に試した時と違う。冷たさと甘さに惹かれて皿の底が見える。空になった。
クッションを挟んで斜めにしてもらったベッドにもたれる。ため息ではなく、食べた後のひと息をついて、ユイは傍らの椅子にトレイを置いた。
「ごめん……おいしかった」
「なぜ謝るのですか。苦手が克服できたのなら喜ばしいことです」
「いや、折角作ってくれたのに無駄にする気満々だったから、マズいって決めてかかってたしな」
「そうですか」
そっけなく言って、トレイを回収する。サイドボードなどという気の利いたものはないので、代用の椅子が残る。ソレだってパソコンラックのセットだったりする。
「作るという程の調理は行っていません」
「バニラアイス混ぜただろ」
「はい。ヨーグルトは酸味で敬遠されがちとありましたので、似た系統の食品でまろやかな甘さを持ったものを添加すれば良いかと。冷凍食品であれば躊躇されて時間が経っても冷たさがある程度保たれます」
「十分色々考えてる」
「そうですね。ではお茶とお薬をお持ちします」
解熱剤を飲むと引きずり込まれるような眠気に捕らわれる。
しかし今回は、それまでの間にかなりの時間眠っていたからか、浅くまどろむ程度で済んだ。
眠ろうと思えば眠れるが、折角だから用意してくれた茶をもらう。
「シナモンがお好きでしたね」
そっけなく渡されたカップからは濃い紅茶の香りにシナモンが混ざっている。買った覚えはないから、わざわざ用意してくれたのか。少し心配になる。言動は一歩間違えればポンコツだが、中身のスペックは相当だ。買い物させても問題ないが、この辺は治安がよろしくない。コイツに戦闘能力は付与されていない。
「なにか」
「いや」
味はチャイに近くなる。ユイが何杯も砂糖をいれるせいでもある。
「ありがとう」
「いいえ」
自分の家の周りに寄越すなら、自衛程度でいいから何か──例えばスタン機能とか──もたせろと親父に言ったら大仰に却下された。
──妹だろ守ってやれ。
とか言っていた。
嘘か本当かわからない、呪われているという出自がホントウなら、何かこの女にいかがわしい行為を働こうとすれば酷い目に遭うらしいし。だから武装は必要ないのか。イヤだめだろ。
「ユナ」
「はい」
「夕方過ぎたら外に出るな。ここに来るときは昼までに。もし、何か用があって遅くなるなら俺いなくても勝手に泊まっていけ」
「わかりました」
「何か質問はあるか」
「はい」
じっとユイの顔をみる。瞳の色は違うが、他はほぼ同じだ。やりにくい。ただのロボ子ならまだしも、自分と同じ顔とか。
落ち着かなくて目をそらす。
「ミルクティーなら召し上がられるので、以前から疑問でした」
思わずガックリくる。
「改まるから何かと思ったら……」
「何か問題でも」
「……何で素の牛乳とヨーグルト食わないのか、でいいんだな」
「はい」
「なんか途中で気持ち悪くなる。食い物じゃないみたいな気になってくるっていうか」
「はい」
ユナの目は、自分以上に動かない。少しぼんやりした視界には冬に咲く小さな花みたいに映る。
人間が持つ本能的な生々しいものを、こいつは持っていない。元はアンダーグラウンドなセクサロイドだった筈だが、自分達の家族になって、親父はソレ系の総てを取り外した。
「……なんつーか、アレに、似てる気がするんだ。そしたらもう無理。今じゃテキトーになったけど、最初は1日くらいもの食えなかった。まあ繊細な頃もあったんだ。俺にもな」
赤面する歳でもないから耐えたが、つい余計なおしゃべりを足してしまう。
「ユイ様は多感な方だと認識しております」
「……」
そんなことないから、なんて返そうものなら、また淡々と、こんこんと、根拠を述べられてしまう。そんなことをされたら赤面どころか、なんかもうしねそうだ。
真面目くさった、というか表情のない顔をみる。
「そして大変照「わかったもういいごめん」
「なぜ謝るのですか」
「いやいいから、兎に角アレだ、なんかあの白くてタンパク質で構成されてるっていうのが駄目なんだ」
こいつには性的な回路はない。ナニひとりでテンパってるんだ俺は。遠回しに言って通じないのもわかりきっている。
「精液に似てるからだ」
言って、実際はあまり似ていないと思う。今日作ってもらったアレなんか絶対違うし。
でも、長年引きずってきたイメージからはなかなか離れられない。
「俺は……ああいうのが苦手だ。ホントに気持ち悪くて、毎回吐き出してたし、無理矢理飲み込まされて気絶したこともある」
全く無様なハナシだ。確かあの時はしばらく寝込んだ気がする。
「だからどうしてもなんか白くて水分の多い物は嫌だった。最初は豆腐とかアイスだって食えなかった。あとホワイトソースとか」
予想どおり、ユナの表情には変化がない。
「まあ元が食い意地張ってるから、だんだん食えるってかおいしいと思うようになったんだが、どうしても思いっ切りナマモノっぽい2つだけは無理だった」
「心身共に傷を負われたのが原因ということですね」
「そんな大袈裟なものでもないよ」
ユイは苦笑いした。
「こうして、エアコンがきいてて、屋根のあるところで人に世話してもらって、今更、トラウマもないよな」
全く自分は執念深く情けないと思う。出来ることと言えば、誰かが指さした方を探り、狩ったものを持ち帰るくらいだ。
「過酷な経験から、ユイ様は社会正義の為に献身的であられるのですね」
「違うよ」
「それは、私には測りかねる、ツンデレという概念ですか?」
「……違うからイロイロ。今のは謙遜じゃなくて本当。俺は人助けなんて無意味だって結構長いこと思ってた。弱けりゃ喰われて当たり前だった」
「旦那様に保護される以前のお考えですか」
「……そうなるな」
「幼少の頃のユイ様は、裏路地で荒んだ生活をされていたと聞き及んでいます」
「まあ、最初はお母ん……多分だけど血が繋がってる方のな、いたし、死んでからも保険とか持ち家みたいなのも残ってたからかなり上等な方だと思うけど」
司法の手が届かない、深く広大な裏側がこの街にはある。常に誰かが死んでいて病んでいて、どこかから銃声が聞こえるひび割れた路地だ。
「死なない程度に金はあった」
世界でも有数のスラムを抱える迷宮のような場所だが、貧困の呻きだけで埋まるわけではない。街でありながら無法地帯──民営警察との契約がない場所だ。大規模な災害や暴動が起きるでもなければ、上位組織も動かない。例によって犯罪の温床、隠れる為のスキマ。わけありの、人間、そうでないナニカ、が集まって潜む。
「店がちゃんと開いてなかったりするから、食いっぱぐれることはしょっちゅうあった。最初は調味料もろくに使えなかったし、相場もわからなくてつかまされたりしたし」
「お買い物をされたことがなかったんですか」
「俺は箱入り≠セったんだよ。お母んが死ぬまでしらなかったけど」
とんだ箱入り、とよくからかわれた。
「自分がそんなあっけなく死ぬとは思ってなかったんだろうな。ケンカのやり方教わったときも相当気に入らなかったみたいだし、兎に角俺を人目に触れさせるのを嫌がってた。なんかわけありだったんだろうな」
ソレを知る術はもうない。母はいなくなり、彼女が以前誰であったのかわからなくなった。死んだものは語らない。
──殴れなんてあたしは言ってない、逃げろって言ってんの、その為に鍛えてくれって頼んでる。いいかい、ナイフなんか握らせたら二度と寝ないよ!
ものすごい剣幕で怒っていたのを思い出す。だけど一人になったユイは、本物の下衆でない程度には人が良かった何人かから教わったやり方で、人を殴って過ごした。
「もう犯されんのもウンザリしてたから、ボコったらスッキリした。お母んがいうようにやり返したら倍やり返されるけど、確かに最初はメタメタにされる方が多かったし、それでも男を殴るのはやめられなかった」
「何故殺されなかったのですか」
「運が良かったんだろうな。賭けをすれば殺し合いにはならないって聞いてたし」
例えば、一晩好きにしていいとか、自分が死んだら成立しないものを対象にする。
「……死ぬかと思ったことはある」
「死の淵から蘇る度に強くなるという理論ですか」
「どこでそういう知識を身に付けてくるんだ……」
ユイはまた少しガックリすると、面白くない顔で続けた。
「ムカつくけど、俺一人で強くなったわけじゃない。アルフォンソの所にはプロがウロウロしてるから」
「ユイ様」
「何だよ」
「旦那様が、その方にはもう、決して関わるなと」
「わかってる」
「はい」
「でも、奴がいなかったら今の俺はない」
大人の庇護なしに、子供が生きていくのは至難だ。不可能ではないが、もっと、酷い目に遭っていた筈だ。
「手足が短くてもゴツい相手を殺せる、奴の所の殺し屋は滅茶苦茶教え方が上手かった。俺は──人形っていわれるけど──人並みに調子に乗った。ガキだったし男だったし、バカだし」
「ユイ様は聡明な方です」
「賢かったら、あんな後悔も思い込みもしてないよ」
壊すだけではダメだ。
あの時はその言葉もまだしらなかった。
「大抵のことは思い通りにできる気になってた。子供をチンピラから守ってやれるくらいの力はついてたし、軽い賭けなら負けなくなったし」
ユナはじっとユイの顔をみた。
「人助けなど無意味だとお考えではなかったのですか」
「最初は違った」
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