■septet-rain 03

 自分は運が良かった。ただ蹂躙されるだけで済むなら、まだマシだ。
 抵抗力の弱い子供が感染症で死ぬのは、旧世界から続く定説だ。食事や睡眠さえろくに取れなければ、健康である筈もないし。本の中でしかしらない定期検診なんてものがあれば、半分くらいの奴らに問題が見つかるだろう。残りの半分は、妙に頑丈な奴だ。どっちかというと、自分もその中に入る。それらしい病気はしたことがない。カゼで熱を出すとか、怖い目に遭わされて這って帰るとかで寝込んだ事はあるが、回復は早い。母はあまり健康ではなかったので、きっともう片方の親に似たんだろう。
 案外ミュータントとかだったりするかもしれない。
「……っが!」
 人間の体って脆い。とか折りながら、コイツらが言うように、なんかそういう得体のしれないものとかかもしれないなんて思ったりした。そんなのどうでもいいか。
「手前っ……このガキ……ここまでするこっちゃねえだろ! 完璧折れてんなクソが」
 それもどうでもいい。
「こっちはまだ咥えさせてもねえんだぜ!」
 ソレを子供の前で見せびらかす時点でしねばいいLvだ。さっさと仕舞えよ、と思う。
「もーいいよ相棒……それよか、早く病院〜」
「うるせえな、俺だって痛ぇんだよ!」
 やや呂律が回っていないのは前歯が砕けているせいだ。
「覚えてろよ!」
 そんなの無理。沢山いすぎて思い出せない。一瞬で忘れた。


「い……いから……はやく、行こうぜ」
 喰いそこなった獲物に、小柄な人影が近付く。その様子を振り返って眺める男に、足を引きずったもう一人が呻く。
「お前……骨折ぐれー急がなくても死なねえだろうがよ。あのガキ殺してやる」
 女だったらその前に犯してやるのに、面白くない。色白の、お人形さんみたいな顔をしていたが、男だった。少女しか抱かない彼にはわかる。小さな体に油断したが、次はこうはならない。
「やめれ……」
「うるせえ」
「ダメだっ……くそーいてー……アンタよか俺のが強えーから脚折ったんだよ」
 言われて腹が立たないくらい、根はヘタレだがこの男はケンカだけは強い。
「……」
「それに……ためらいがないっつーか……うわの空みたいな……」
 機械みたいな感じだった、と青い顔をする。
「人を殺してる」
 何人も、という呟きをききながら、男は相棒を引きずった。


 ユイがみた時、子供っぽいヒラヒラだぶだぶのパンツを下げられそうになって泣き叫んでいた。
 今は路肩に呆然と座り込んでいる。茶色いお下げがほどけている。足元に使い古した飾りゴムが落ちていた。プラスチックの飾りはヒマワリみたいだが、花びらが欠けて塗りが薄くなってきている。ユイはソレを拾うと、慎重に距離を詰めた。
 追い払うより、コッチの方が厄介だ。
 目とかはなるべく、合わさない方がいい。急に我に返って、恐慌状態に陥ることもある。そこまでいかなくても、ガン泣きされたら変な誤解をされかねない。自分くらいの年になれば、お手軽な近所の子供をレイプする奴も出てくる。悔しいくらいひょろりと小さい体でそんな風に思われることはまずないだろうが、これでも大人の機能はONになっている。そんなの、割とどうでもいいけど、自分が男であるなら、しなければいけない配慮はある。
 こういう事の後は、どんな男がいても怖い筈だ。例え未遂に終わっても、幼ければ幼い程、見えないダメージがでかい。
 まあ、みたかんじ、引きつけを起こしそうな年でもない。そろそろかぼちゃパンツは卒業した方がいい。と余計な事を考える。
「痛いところはないか」
 なるべく女の子を見ないで言う。
 怪我があるなら、手当てが必要だ。血が出ているなら、医者にみせた方がいい。ペド趣味でなくても、妙な病気を持っていて通常の手段ではパートナーを得られない奴も、こういうことをよくやる。
 女の子は、黙って立って、首を振った。
「自分で出来るなら、服直せ」
 向こう向いてるから、と離れて座る。例の子供パンツを上げて、ワンピースを直す衣擦れが聞こえる。
 内心ホッとする。保険になんて入ってるハズないから、病院に連れて行くのは別の意味で怖い。大きな出費は痛い。何でもいいなら食う金くらいは残る。
 バイト代がかなりある。
 ステージで歌ったときと、戦闘訓練じゃなくて実戦だったら金が出る。
 それでも、何があるかわからないから、切り詰めて、使わない方がいい。母の残した金にはなるべく手を付けたくない。
 自分でも、貯金とかしたほうがいいと思う。
 だからまあ、金が減らなくてちょっとだけよかった。
 なんて、セコい事を考えながら、ユイは女の子にゆっくり近付く。後ずさる様子も、震えもない。多分大丈夫。
 飾りゴムが見えるように手を出して口を開く。
「落ちてたから拾っておいた」
 女の子は欠けたヒマワリをじっと見つめ、黙ってユイの手から取った。
 一生懸命睨んで、ヒマワリをじっとみて考えて、もう一度ユイを見た。
 大切そうにヒマワリを握りしめ、難しい顔をする。
「……知らない人とは口きいちゃいけない」
 さっき助けてって言っただろ、と思うが指摘はしない。
「じゃあ、俺はこれで」
 背を向けると、上着の裾を引っ張られた。下手なスリとかではないようだ。
「かえらないで」


 汚れた顔を拭いてやりたいが、そんな都合のいいものは持っていない。このへんは、ユイも年相応の男の子だった。
「お前、家はあるのか」
「あるよ」
 女の子は誇らしげに胸を張った。
「近くまで送ってやる」
 ソレにも少しだけホッとする。ないっていわれたらどこで放り出すか考えなくてはならなくなる。
 つまらない所をねぐらにしていては巣ごと喰われかねない。
「ありがとねーちゃ」
「兄ちゃんだよ……」
 女の子は旧いビルの前に立った。
「ここ。家。あの窓のところあたしんちの陣地」
「お前ね」
 ユイは小突きそうになった手で自分の頭を支えた。
「?」
「位置とか教えちゃダメだろ」
「だめなん?」
「絶対駄目だ」
 怖い顔をしてみる。自分の見かけでどのくらいの効果があるのか、大して期待はできない。
「近くまで≠チて言っただろ。ホントはソレだってよくない」
「わかんないけどわかった」
「……」
 女の子はじっとユイを見上げた。
「早く帰れ」
「ありがとにいちゃ」
 なんだ結構はしっこいな、と呆れる。軽い足音が小さくなるのを確認して元来た道を戻る。女ってこういうの好きだな、と頬に触れる。キスなんかしやがって、あんなガキなのに。


 日は高いはずだけど、雲が厚くて夕方みたいだ。気圧が低いと鬱になりやすいと本には書いてあった。だからか。
 とかいうが、ユイはあまり、楽しいと思ったことがない。晴れていても同じことだ。頼まれた訳でもないのに歌いたくなる気持ちって、どんなものなんだろうか。カラオケなんて金まで払って歌いに行くとか、変な趣味だ。
 帰ろう。やることは何もない。帰って本でも読んで寝よう。そうすれば勝手に朝になるだろう。なったからって何もかわらないけど。仕舞い忘れたパンがカビるくらいだ。
 そこで思い出した。なんで外に出たか、ポケットに手を突っ込む。買ったらすぐ戻るつもりで直に放り込んだ。紙と金属の感触があった。コインも無事だ。
 カビたパンなら食えなくもないが、空の缶に中身を召還する事は出来ない。できたら便利だろうな。どこかにいる≠ニいう魔法使いとかが羨ましい。
 食べようと思ったら缶詰のストックが尽きていた。代わりになりそうなものも無かった。
 ツナ缶がいい。残ってなければオイルサーディンとかでもいい。なかったらコンビーフ。スパムは塩気が多すぎるのであまり嬉しくない。あとは何か甘いもの。梨とか桃とか、そういうのがあればいい。
 家から一番近いドラッグストアの棚を思い浮かべながら歩く。もし、缶詰じゃない果物がまだ売れ残っていたら、そっちでもいい。自分で剥くならリンゴとか。
 だからってこんな風に地面に投げられたやつは嫌だ。セーフかアウトかっていうとアウトだ。自分で落としたなら渋々食うけど、コレを買えっていわれたらいやだ。
 みると凹んだ缶も転がっている。パスタのミートソースだ。
「すいませーん」
 走ってきた男が、缶を拾い上げた。
「いや、荷台が壊れちゃってね」
 道路の向かい側に、小さな店舗がある。ユイの行こうとしていたドラッグストアの半分だ。
「あっ、ありがとう」
 ユイがリンゴを渡すと、彼は嬉しそうに抱えた。更に残りを回収しようとするが多分あのエプロンにはもう乗らない。
「パクる気ないんで」
 念の為一言断っておく。道路にはみ出している分は多くない。轢かれる前に拾ってしまおう。
「手伝います」
「えっ、いいの? 急いでない?」
「……暇だから」
「スゴイ助かる、ありがとう!」
 あー今日はラッキーだな、なんて十字を切るから折角集めた商品がまた落ちた。全然ラッキーじゃないだろ、とユイは呆れた。
「箱かなんか……あれば良くないですか」
「あっ、そう、そうだよね」
 男は慌てて道路を渡り、積んであった空き箱を掴む。
「これでいい?」
 アンタが決めろよ、と思いながらうなずく。
「あ〜おじいちゃんレジはコッチですよ、あっ、あーあ行っちゃった……」
 とか言いながら箱を持って来ようとするので、ひと息に駆け寄って受取る。
「向こうは一人で大丈夫なんで、そこにいた方がいいです」
 なんて暢気にやってる間にもご自由にお取りいただかれてる。
「いや〜君しっかりしてるね〜、ホントだね、まったくだ」
 開けっ放しじゃだめだよね、とか言いながら店の前を片付け始める。彼と目が合うと品物を拾った女が諦めた顔で歩み寄る。
「ありがとうございます、ソレはちょっと外観が損なわれていますから、お取り替えいたしますよ」
 などと態度は結構だ。でもパクる気満々の相手にそこまでしなくても、とため息をつく。
 ここからだと無駄に明るくへりくだった店員の声だけが耳に入る。


「ホント、ごめんねありがとう」
 回収した商品の箱を渡すと、男は鼻歌を歌いながら積んだ。
 何がそんなに嬉しいのか、ニコニコと笑んでうたう。
 コイツおかしいんじゃないのか、ユイは本気でそう思った。


「君、男の子だよね」
「そうですけど」
「じゃあコレ」
 余った付録で悪いけど、と小さな紙の袋を渡された。中に何か堅いものが入っている。
「カードゲームとか嫌い?」
「したことないです。これがそうなんですか」
 店員は驚いた顔をした。
「お友達に見せてもらったこととかもないの?」
 遠目にみたことはある。足りないところは適当なハウスルールで補って、好き勝手な遊び方をしている。とユイは感じた。あのカードには決まった仲間があって同じ系統のカードでないと一つのゲームができない。だけど古びた敷石に伏せてあったカードは背中の模様がバラバラだった。
 本来のゲームスタイルがどうなのかは兎も角、まあ、割と楽しそうな感じだった。
「いません」
 ユイに遊び相手はいない。
 子供が喜ぶような遊びはしらないし、今更何をするのが相応なのかもわからない。
 ただ、男の子なら何年も前のヒーローの記事が載った雑誌を大事に持っていたり、捨てられたカードを拾い集めたりして、嬉しい気持ちになるみたいだった。
「えっ」
 店員は呆けた顔で聞き返した。
「何ですか」
「いないって……お友達」
 遠慮がちに口を開く。
「じゃあ、いつも何してるの?」
「別に何も」
 それに、とユイは店員を見上げた。
「俺そんな小さくないです。何歳なのか正確にはわかりませんけど多分、中学生くらいだって」
「えっそうなんだ」
 アルフォンソが言っていた。勝手に検査して勝手に作ったカルテを眺めながら、母が登録した戸籍には、年齢が水増しされているとも。何の為にそうしたかはもういない女の口から聞く事は出来ない。恐らく、少しでも早く学ばせて、一人でも生きていける術を身に付けさせたかったのだろうと、奴は皮肉げに笑っていた。たまに様子をみにくる弁護士が、限度額一杯まで学資保険がかけてあったとか言ってたし、ソレで当たりだとユイも思う。


 店員は申し訳なさそうに頭をかいた。
「ごめんね、もっと……いいものないかなあ〜」
 と棚を漁りはじめる。
「結構です。あと、コレは返します」
「いいよ〜、もうあげたものだから、小さい子と遊んであげて」
 滅茶苦茶やりにくい男だ。
「そういうのもいません」
 店員は顔を上げた。
「え〜、意外だな〜」
 また驚いた顔で、ユイを上から下まで眺める。
「……なんですか」
「君ってさ、すご〜く面倒見が良さそう、それに、子供は正直だから」
 と苦笑する。
「やさしくてかわい……かっこいいお兄ちゃんがいたらみんなついて来るだろうなって思って。君はお願いされたら嫌って言えないタイプみたいだしね」
「そんなことないです」
 どこからそういう発想が出て来るんだ。お人好しの見本みたいな特徴、自分でいうのもなんだけどありえない。
「俺が貰っても使い道ないからいいです。もっと喜ぶ子にあげてください」
「ん〜……わかった」
 なにがおかしいのか、店員は嬉しそうに笑った。
「それじゃ、食べ物とかの方がいい? お家の人に怒られるかな」
「いません。別に見返りが欲しいわけじゃないし……なんですか」
「……君、一人なの?」
 こいつロリコンなのか、と一瞬身構えるが馬鹿馬鹿しくなってやめた。
 深刻な顔をして考え込んでいる。
「あ、いや何でもないよ。そっか。だから君しっかりしてるんだ」
 じゃあこれ、と手頃な箱にさっき拾い集めた品物を入れていく。
「定価じゃ売れないから遠慮しなくて良いよ」
 もう貰ってしまった方が良さそうだ。
「ありがとうございます」
「そんな、お礼言うの僕の方なんだから」
 重くない? 大丈夫? なんてきくから、鍛えてますからと言っておいた。


「あのさ……」
「なんですか」
 あれから何度か、ユイはこの狭い店で買い物をしている。何となく気になって来てしまっていて、何か買ってしまっている。まあ、怪しい商品はなさそうだからいいかと思うことにする。
 養生テープで留めたガラスを眺めるユイに、店員は躊躇しながら聞いた。
「猫すき? ううん、ていうか、飼ってる?」
 相変わらず変な男。藪から棒になんだろう。生き物なんか養う余裕ないし。
「飼ってないです」
「……ソレってさ〜、猫缶なんだよね……」
「そうなんですか」
 細かく表示をみていなかったが、確かにネコの絵だ。
「じゃあ、コレは取消で」
「別にいいです。食べたいし」
 他のツナ缶よりおいしい。いいとこのネコっていいもの食わしてもらってるんだな、とか考える。多分、品数から考えても需要はあまりない。ペット用品なんてこの辺じゃ贅沢品だ。最初に買ったのも別の店で処分品になってたからだ。いざ普通に買おうと思ったら変に高かったからもったいなくて、たまに、ちょっとくらいいいもの食べてもって思った時だけカゴに入れている。
「ちょ、ダメだよペットの餌とか」
 引いた態度で止められる。
「別に何ともないですけど」
「ええぇ〜っ!? ……いつも、食べてるの?」
「毎日ってわけじゃないです。ソレ高いし。ていうか、人間より動物の方が繊細にできてるから厳しい筈です。規格とか」
「いや〜……それは、そうなんだけどさ〜」
 店員は困った顔で呻いた。
「……うーん……やっぱりダメ。君が食べるってわかってて売れないよ」
「……わかりました」
 残念だけど、諦める。食い下がっても多分ムダ。と内心ため息をつきながらまた割れたガラスを観察する。
 前は荷台が壊れたって言ってたけど、今度はコンテナでも倒したんだろうか。重い物を入れていればああなるかもしれない。うっかりなんて、このオッサンにはちょくちょくありそうだ。
「ああそれ? なんかね、当て逃げされちゃって、ははっ」
 バイクなのか? スクーターみたいなものだったとしても、もっと派手に砕けそうな感じだ。
「早く修理しないといけないんだけどね〜」
 と笑う。
「まあー怪我した人もいないし、ぶつけてひびだけなんてなんか器用な車だよねっ」
 何故笑う。
 やっぱり、コイツおかしい。とユイは思った。
 この状況の、何に、喜ぶことがあるのか。


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