■septet-rain 04

 店の前に破れたゴミ袋が散乱しても、カビたオレンジが入ったコンテナが不自然にカウンターへ突っ込んでも、彼はソレ以上の目に遭わない事実に十字を切った。
 小事で済んで良かったなんてまた笑っていた。


「君……」
 入るなり、店員はユイに駆け寄った。他の客はいいのか。
「それどうしたの!?」
 ユイは黙ってレジを指した。
「ああ、申し訳ありません〜お会計、ですねははっ」


 さっき何故逃げなかったんだろう。ユイは自分の行動にため息をついた。
「だ……大丈夫? 狭いけど、奥で休む?」
「いえ、これはそのなんでもないです」
 元気ですから、と早口で答えて後悔する。つい習慣になってしまっていたから寄ったけど、こんなおめでたい希少良い人物質に見せるべきじゃなかった。来ること自体が間違いだった。バカは自分だ。
 勿論、息をするのが苦しいわけでもない。彼にそうみえただけだ。
「本当に、大丈夫なの?」
 ユイにとって当たり前の怪我だって、彼にしてみれば尋常でない出来事なんだ。
 ちょっと、だけだけど、ナニカがこう、温度に感触があるような気がする。
 なんなんだ。


 ユイが思案している間に、彼は店を閉めてしまった。
 クリア素材の準備中の札が揺れている。
「顔色、良くないし」
「元々こういう顔ですから」
「えっそうだったかな」
「そうです」
 ──たまには、こういうのもいい。
 なんて、包帯プレイ? やらされてついさっきまでマフィアのお家で昏倒してました。なんて言えるワケない。言ったらこの人が昏倒しそうだ。
 でも、顔色が悪いのは本当。ボンクラだと思ってたけど、案外目ざとい。まあ、単に世話好きな性格だから、他人の健康状態に気が回るんだろう。腕に覚えなど多分ない。
 だから、どうやって付いた傷なのかなんて、適当に誤魔化せばいい。
「俺は大丈夫ですから、開けて下さい」
 さびれた店だと思ったけど、何か益々人が来てない感じがする。
「だめだよ。こんなになっててほっとけない。いいからこっち来て」


 気がつくと、暗い部屋の中でTVだけが明るく踊っていた。ボリュームを絞っていても、テンポの速いリズムがはっきりわかる。皿からケーキの落ちるSEが結構うるさい。馬鹿みたいな顔をしたブロッコリーが街を蹂躙している。多分このアニメを作った地域の子供はブロッコリーが嫌いなんだろう。嫌いになる程特徴的な味でもないと思うが、文化の違いというものだろう。多分、食えば倒せるとかで解決する展開だ。
 完璧子供扱いされてる。画面の右上隅には、キッズアニメしか流さないチャンネルのロゴがあった。てか、こんなんかけてたら楽しすぎて子供は寝ないだろ、と少し呆れる。彼らしいピントのずれた気遣いだ。
 体を起こしてテーブルをみると、ウサギの絵のついたパンの袋があった。ウサギみたいに真っ白な蒸しパンが入っている。そういえば、昨日から何も食べていない。アルフォンソの所からは黙って出てきた。何か食ってくれば良かったと後悔する。でもあの時は食欲なかったし、ともう一度横になる。寝過ぎて体がだるい。
 ていうか、なんでこんな知らない奴の家で眠ってしまったのか、面白くない。いくらあのオッサンがマヌケっぽくても気を抜き過ぎだ。ポケットに手を入れると財布があった。中身を確かめても減った様子はない。毛布を被ったままの手探りだけどまあ間違いはない。
「あれ、起こしちゃった?」


「バイトです。ただの」
 かなりはしょって、当たり障り無く告げたつもり。
 ユイの言い分に彼は、ソレでもやっぱり倒れそうな顔になった。


「賭け試合だなんて……君みたいな子が」
 彼は驚愕して、手を握りしめた。
「ま、負けたらどんなことになるか、分かってるの?」
「まあ最近はそんなに負ける事ないし」
「そんなにって……それに、最近はって……君は一体いつからこんな生活してるの……」
 今回のは違うんだが、本当の事を言ったらそれこそどんなことになるか。とりあえず解釈にまかせる。あながち外れてもないし。


「こんな事、してちゃいけない」
 とか言ってそんな俺を強引に雇った。
 俺は、生まれて初めてまっとうなバイトをした。
 貰った薄い封筒を、何度も何度も眺めた。意味はないけどそうしたかった。だから引き出しに取っておいた。


「君は今日から僕の店でアルバイトする。そして二度と危ないことはしない」
 以降、しばらく俺の体には新しい傷が出来なかった。
 代わりにオッサンは日増しにどこか痛んでいった。
 俺のせいだ。


「ユイ様が傷付けられたのですか」
「そうじゃない。そういう意味じゃ、俺のせいじゃない。やったのは俺じゃないけど、原因は俺だ」


 ユイのいない隙に、彼は何度も小突かれて、殴られていた。
 泊まり込みでガードするって言っても拒否る。どうにも出来なかった。
「そんな事したら、彼らはきっと、君に手、手を出してるって言うだろう」
 どうでもいいし。
「言わせておけば」
「そんなこと吹聴させられないよ」
 彼は、僕が、とは一度も口にせずユイをみた。
「いかがわしい言葉で、君の尊厳を傷付けたくない」
 ユイはこんなバカな人間を初めて間近でみた。こんなのがこういう裏路地で息してるなんて、今まで何食って生きてきたんだろう。


「ソレであの人は死ぬ事になった」


 何の為に欲しかったのか、そんなのは当時の俺には分からなかった。来る度に断り、追い返し、破壊された備品の分上乗せで撃退してもしても、あいつらは諦めなかった。
 ただあの店がある土地を欲しがってる奴がいて、オッサン……店長は手放すつもりがなかったっていうそれだけだ。


 時給は安かった。
 正直コレで生活しろは無茶振りだと思ったが、相場だし、俺みたいな親無しの野良猫に給料払おうっていう神経の方が奇跡的だ。彼に出来た精一杯だったって事もわかってたし。なんでそう無駄に善行を積もうとするんだろうな。命まで縮めたのに。
 俺は本当に、カミサマが何を考えているのかわからなくなった。
 でも、俺のせいだ。彼がああなったのは、俺が良い事したつもりになったからだ。
 本当は知ってる。彼らには徳を積んでる、っていう発想自体がない。そんなの息をするのと同じことだからだ。
 正しくあろうとすることが既に生きてるのと同義で、身を削って他人の俺に親身になったのだって、彼にとっては奇跡でもなんでもなかった。
 彼は良い人だった。だからあの裏路地で死んだ。
 俺は、みんな消えればいいと思った。なんかどうでもいいって。店長も、俺なんか助けるから自分が苦しむ事になって、彼のカミサマはああいう死に方許さないのに。馬鹿な男って思った。
 だから何をしても無駄だって。


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