■u-ni 02

「ありがとうございました」
 頭を下げるばあさんに、奴は何かあったらまた声をかけてくれ、みたいな事を言っていた。
 仕事だから、とか言ったらさすがにしばき倒そうか、と思っていたがそこまでアレな人間でもないらしい。
「それじゃ、あなたも、センパイの言うことよく聞いて、頑張ってね」
 ばあさんはにっこり微笑んだ。
 ──よけーなコト言いやがって……。
 と、あの取り澄ました顔を睨んでやろうとしたが、やめる。
 トモリはばあさんから言われたことに、はいとかいいえとかの答えを返していただけで、自分から何か言った訳ではなかった。そういえば俺も、ああ、とかいい加減な返事をしたような気がした。
「あ」
 先を歩いていたトモリが急に立ち止まったので、俺は奴の背中に、というか、どちらかというとトモリが俺の胸にめり込んだ。兎に角、ぶつかった。
「急に止まんなよ」
「ご免」
 よろけて手を付いた壁は、ペンキが錆に剥がされていて、見るからに汚かった。新品の手袋が、イキナリ朽ちたオレンジにくすむ。面白くない。
「何だよ」
 立ち止まるトモリの前に回り込んで、俺は訊いた。
「いや、さっきの地図、返すの忘れた」
 と言いつつ、奴はその紙を折り畳んでポケットにしまった。
「ま、いいか。何かかなり間違ってるっぽいしな」
 目の前の俺を無視して──多分悪気なし……だんだんこいつの行動がみえてきた──モンダイを解決させると奴はさっさと歩き出した。
 それにしても汚い所だ。昼間だというのに街灯はチカチカしているし、車はマトモな外見のやつがない。あるにはあるがそういう車は皆、傷付けることを避けなければならない事情がある。
 ばあさんの向かったマンション辺りでは聞こえていた子供の声なんかも、全く聞こえない。自販機は叩き壊され、ソレを並べている店の主人は俺と目が合うと気弱そうに身をすくめた。
 ──自分の店だっていうのに、何考えてんだか。
 俺はこの街の出身じゃない。
 俺の住んでいた街もそれ程キレイなトコじゃなかったがこんなに汚くはなかった。
 この街の裏側はやたらデカく、死ってヤツの臭いが漂っている。
 昼でもこの辛気臭さ、というか、ここは夜起きて朝眠る。
 2車線の道路──旧式だし、ろくに手入れもされていない──があるだけ、この区画はまだほんの入口という事だが。まあ、俺達に向けられる視線はマジで刺さりそうだったが、こっちがフロコロ、とか腰に手をのばさない限り、本当に刺される事はなさそうだ。今は昼だし。
 俺はそんな事を考えながら、妙な事に気付いた。というか、思い出した。
 さっき入った路地の階段に座る男の半身が、むき出しのサイバーウェア──しかもとびきり丈夫で少々殴られてもヘコまない種類の──だったことが、ようやく、脳みそに考える隙間を開けてくれたのだ。
 ケイタイ番号が手書きで記されたイカれた広告。
 何だったのかよく分からない小さな動物の骨──両側に頭があったのは気のせいだと思いたい──。
 壊れたナイフが刺さった壁、際のゴミ置き場には食べ物の残骸より医療用ブリスターパックや破けた服のほうが多かった。錆びた鉄のような臭いと、甘ったるい果物が腐ったような臭い。それに使い古された注射器がゴムの切れ端がはみ出した新聞紙の丸めたやつの間に転がっている。湯気が立ってきそうに生臭い。
 ──こんな所で? 即効ビョーキになる。
 ここは、下町どころか、本物のスラムだった。
 それでも自分達が事もなく歩いていられるのは、ここがほんの入口で、まだ夜じゃないっていうコトだけだ。
 だからといって、こんな所に何の用もなく警官が制服で入ったりしない。
 パトロールっていうのは、パトロール出来るだけおとなしい所だからこそ可能なのだ。
 俺は全くそのことを考えつかずにひたすら歩いていたワケだ。
 ばあさんを送った後、トモリは全然来た道と違うところを進んでいた。もうバス停へ戻るまでの時間を、倍も過ぎている。
 何を言っても負け惜しみだが、殺気に反応してハマらないように自分に気を配ることに集中しすぎて俺には余裕がなかったんだ。


 兎に角、これ以上意味もなく歩くのは御免だ。
 背後から刺さる視線に耐えながら、トモリを呼び止めた。
「おい、来た道と違うじゃねえか」
 トモリはちらり、と俺を肩越しに見ただけで、また歩き出す。
「あっ手前、ムシすんなよ!」
 俺は文句が言い足りなくて、奴を追いかけた。
 トモリがやっと立ち止まったのは、、突き当りのレンガブロックに囲まれた空き地だった。空き地、というよりは奥が広くなってるただの行き止まりだったが。
 奴は霞がかかったような青緑の目で、ゴミ袋とダンボールに埋もれた死体を見ていた。
「げっ」
 仕事で見るのは初。俺はつい、声を出してしまった。
 ──……まさかこいつ、この死体の為に?
 そいつは外れだった。そのボロくずのような男は、死体ではなかった。
「んあ……もー夜かよ」
 男はよだれを拭うと貧相な胸にそれ一枚きり羽織った皮ベストを手繰り寄せ、ぶるっと震えた。どうやら酔っ払いらしい。おめでたいラリラリぶりだ。ただし、酔ったのは酒に、じゃないだろう。


 ダミーなのかホンモノなのか俺にはわからなかったが、首筋のスロットをぼりぼり掻きむしって、ようやくそいつは俺らに気が付いた。
「ひい」
 男はモヒカンの頭を更に逆立てて、踏んづけたネコのように飛び上がった。
「オ……オレ、ここで寝てただけだっ、からっ」
 文字どおり脱兎のごとく、俺とトモリの顔を交互に見、モヒカン男は路地を走り抜けた。
 何だかあまりに概念的すぎて、俺はあっけにとられる。
 トモリはというと、何事もなかったかのように、モヒカン男のいた壁にもたれて軽くため息などついている。
 もうガマンならない。
 ──俺はこいつをしばき倒す!
 そう決心して奴の顔をみた俺の耳に、さっきの男のものらしい悲鳴が聞こえた。
「ひいっスイヤセン、ダンナ方っ」
 やっぱりすごい勢いでダッシュの音が遠ざかる。
 振り向いた俺の目に、3つ、歪んだ影がのびてきた。
 影の持ち主は、3人の男だった。
 真ん中のヤツが強そうだ。力カンケイは、左のヤツがボスだ。
 さっきのチンピラとは、格が違う。
 彼らは、殺されることを自分の手で退けてきた本物のヤクザだ。
 ヤクザ……というか、まだ余り馴染んでなさそうなスーツのセンスが、マフィアっぽかった。まあ、そんなのはどっちでもいい。こいつらは仲良くしに来たワケじゃない。良くはないが幸い、ココなら義務も権利も俺達の職務を微妙に外している。刺すつもりなら、強引に払うまでだ。
 ファイティングポーズをとりかけた俺と右側の男を、俺は白手袋の華奢な手に、男は真ん中のやたら手のデカい男に止められていた。
 まだ早い、と言って右側の男を硬直させたのは手のデカい男だった。
 トモリは何も言わなかった。ただ、俺を自分の方へ、小さな手で引き寄せただけだ。俺が思い描いたとおり、大した力じゃなかったが、何故か逆らえず、壁の方へ下がった。目は、手のデカい男から離さない。
 どうせ、トモリの目は変わってないに決まっている。
「君達には、何の恨みもないが」
「俺はあるぜ!」
 さっき俺に殴りかかろうとした男──こいつが一番若い──が叫んだ、つか吠えた。
「俺ぁ役人が大っ嫌ぇなんだ! 特にケイカンは大嫌ぇだ! 誰でも殺してやんぜ」
 そいつの髪が逆立ってこめかみに血管が浮き上がると、足元のコンクリートが砕けてへこんだ。弾け跳んだ小石が頬をかすめて後ろの壁にめり込んだ気配が届く。俺は伝った血を拭って舐めとり、ぺっと吐き出してやった。
 ──ESPってヤツか……そのくらいでビビるか。
「こいつは血の気が多くてね。ま、我々がいいと言うまではエサを食わんようにしつけてある。気にしないでくれ」
 左のボスっぽい奴が俺とトモリの顔を──とか、何やらあちこち──眺めると、満足げに笑んでそう言った。
 ──クソッタレ、今すぐにでもしばき倒してーっ!
「お前らが」
 手のデカい男が氷のような目をして口を開いた。
「どうして酷い目に遭わにゃならんのか、分かるか?」
 声色はそれほど冷たくはなかったが、よく響く、重い発音だった。ちょっと訛りがある。
「何で?」
 トモリが軽い口調──俺が聞いた中で一番心がこもってなかった──で聞き返した。
「てめえ! 知らねぇとは、言わせねぇぞクソ野郎! てめえらがっ俺らに手ェ出しやがったんじゃねえかとぼけやがって! てめえら役人どもは嫌ェなヤツとっつかまえてゴーモンかけまくるんだろっ! 女とかマワしまくって、チンポとか引っこ抜いてよーっ!」
「んなコトするか!」
 わめき立てるESP男に思わず言い返す。
 ──サイコ野郎か? 気色悪い。こいつもソッコーでしばきてー。
「すまんな……こいつは無学でな……我々の生まれでは満足な教育も受けられんのだ」
 手のデカい男が苦笑しつつ言った。
 それだけじゃねえだろ。不愉快度が跳ね上がる。
 外≠ニかどっかソレに近い、当たりの悪い所に生まれればなってしまう。だけどESP男の言葉は粗暴だけじゃなく歪だ、何かが拙くて、途中でどこかを捻じ曲げたみたいな。
「誰かが変なキョーカショ、ワザワザ選って渡したんじゃね?」
 誰かが、辺りを強調して言ってみる。
「1カ月程前のことだ」
 さすがに、しょうもない挑発には乗らないか。ESP男を制したまま、ボスは自分らの言い分を述べた。


 別に大して気にもしてませんがね、といった風に切り出す。
「君達の会社に──そう、会社だ」
 会社、というトコロを繰り返す。ESP男にその区別は付いてないっぽいが、俺たちが正確には司法関係の委託を請けた企業で、民営なんだからケイサツでもカクシタって言おうとしてるんだろう。まあ、そうだが。
 俺だって、そんな挑発はスルーだ。
「預けている仲間が、そろそろ退屈している頃だろう」
 いちいち持って回った言い方をする。ノワールかぶれか? 素直にタイホサレマシタって言え。ウザい。あー言ってしまいたい。年長者らしくどっしり構えているようで、どこかざわついた感触がある。なんかイラつくオッサンだ。明らかにイっちゃってるっぽいESP男も、そこだけ温度が10℃は低そうな手のデカい男も、トモダチにはしたくないが明日になったら忘れる。だが、ボスは違う。俺はこいつが嫌いだ。
「手数にならないように、迎えに上がりたい」


 で、俺たちは、そいつと引き換えの人質か。
「ふざけろ」
 俺は言った。人質なんてヌルいもんじゃないだろう。大体、いくらFORESTがリーマン警察でも、マフィアにはいそうですかとあっさり人質にされるような社員の為に動くワケがない。
 これはリベンジだ。
 うまくいけば件の仲間は返ってくるかもしれない。でも、返ってこなくてもいい。
「要はアンタたちのくだらねーメンツの為に死ねってコトだろ」
「具合がよければ生かしておいてやろう」
 ──クソッタレ。
 俺はこういう奴が大嫌いだった。
 コレが俺をイラつかせる原因だ。こっちを見る目が、最高にムカつく。俺のストレスはリミットブレイク寸前だ。今、そいつを踏みとどまっているのは、相手の力量が不明なこと、どんな形であれ立場上先に手は出せないこと、そして、自分がいま一人じゃないってコトにあった。
 俺がAクラスだろうがもうすぐA´クラスに手が届きそうだろうが、一度に3人とは戦えない。
 万が一──そんな事は死んでもイヤだが──奴らの手にかかって酷い目に遭わされても、俺は自分の思い通りにやった結果だ。それでもいいかもしれない。但し、全力で戦ったあとの話だ。
 でも、トモリは自分じゃない。俺が然るべき結末を迎えてもいいと思っていても、奴がどんな気持ちかはわからない。巻き込むのは寝覚めが悪すぎる。
 あと、トモリなら生き延びてしまいそうな気がする。ああいうお人形さんみたいなタイプをどうにかできたら死んでもいい、みたいな連中は、フツーの人間にもゴマンといるだろう。
 今でもしばき倒したい気持ちに変わりはないが、それでも俺はやっぱりトモリを見捨てられなかった。
 ここへやってきたのは奴なんだが。
 ──思えば、俺は本当にお人好しだ。
 ……本当に。
 とか思いつつ、イマイチやり場のない怒りを、そんな俺の葛藤も知らないでおとなしく壁にもたれるトモリにぶつけた。
「手前も何か言えよ」
 隊長さんよー、と足したかったが、そいつはいくらなんでもヤバいと思った。それでは、トモリの立場が危うくなる一方だ。
「ボス戦前のイベントはスキップ出来ないし、聞くしかないだろ」
 俺は肩が下がりそうになるのを堪える。こいつが何を考えているのか、サッパリわからなくなった。
「俺たちは悪モンじゃねぇ! てめぇぶっ殺してやる……」
 失礼なものの例えに、ESP男がまくし立てたが、ボスが続こうとする咆哮をさえぎった。
 ESP男はそれでもトモリを燃やしそうな目で見据えたが、ぴたりと黙り込んだ。
 ──なるほど、腐ってもボスか。
 さすがに、少し気を悪くしたらしいボスは言う。
「それは何か。我々の話を聞いたら戦う、とみなしていいのかな?」
「スクロール連打するのもう飽きた」
 トモリは、心底つまらなそうにつぶやいた。
「まあ、今どきイベントスキップなしじゃ、だりーわな」
 俺はそう言って肩をすくめて力を抜き、一瞬身体をほぐし、覚悟を決めた。
「ちきしょー、ばかにしやがって! オマエら、グチャグチャに犯してやるよ!」
 ESP男は、髪と衣服を巻き上げて、パワー全開したっぽい。
 跳ねる破片を浴びてもぴくりともせず、手のデカい男は言った。
「壊すなよ」


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