■party-night 07

「こんばんは」
 どうしてこんなことに。モニタ越しの姿は間違えようがないし、マイクが拾った声も他にない。
 ユイはのろのろとロックを解除しドアを開けた。本当に疲れているときは問答する余裕もない。相手がコイツなら尚更。遠慮はしてない。と思う。
 ていうかなんでいるんだよ、と言ってしまいたいがもういい。
「おこらないの?」
 素早くロックして部屋の隅に戻る。いっそ返事しないでおこうかと思ったけどソレはダメだ。口をきかないなんて、やったらダメな事だ。埃だらけの自分だけど、そういう汚れ方はしたくない。
「お前に怒ることなんかないよ」
「うん……」
 やけに大きな荷物を持ったルナが、不安げな目でみている。側には来ずに、荷物を開け、ポットの湯を確かめ、冷蔵庫に何かをしまう。ペットボトルとヨーグルトかプリン……多分プリン、それかゼリーだろう。
「あっ」
「なに?」
 ルナは離れた所からユイの顔をじっとみた。さくらんぼみたいな目だ。子供みたいに正直で、いつも無意味にキラキラしている。
「えとね、天井さんのことも、おこらないでね」
「わかった」
 長時間何人も招く想定はしていないからか、ソファなどはない。予備に椅子が幾つかあったので、引っ張り出して座る。
「はいお茶」
「ありがとう」
 ルナが持ってきたものなのか、ここに置いてあったものなのかはしらないが、熱くて苦かった。正直おいしいと思えない。体は温まったような気がするが、あったまったからといってどうということもないし。今から遊びに行こうというわけでなし。夜が明けるのを待つだけだし。
 欲しいものはひとつだけで、あとのものは無意味になってしまっている。多分茶だってそんな特別マズい筈がない。甘く感じる別のものに味覚をもっていかれてしまっているだけだ。
 急に吐き気を感じて、うつむき、それから深くため息をつく。
 ルナがいたことを思い出して、顔を上げる。思ったとおり心配そうだ。流しの脇のテーブルに、自分の分のカップを置いて、じっとユイをみている。
「だいじょうぶ、じゃないんだよね……」
 そうだ。苦しくて吐きそうというよりは、変にうわついて、むしろ快感だ。
「……」
 そしてそれが、不快だった。
 カップ越しに茶の温度が伝わるが、いつもみたいにあたたかいと思わない。ルナから目を逸らして、右手で顔に触れる。手の甲の感触はとても冷たい。何か不安な、後ろめたいことがあると、無意識に口元を覆うという説がある。表情を読まれたくないとか、そういうのか。自分もそうなのかと思うが、何を考えているのかよく分からないと日頃はよく言われる。あまり意味はないだろう。ソレでもわかる奴にはバレるし、そいつに多少隠したところで尚更無意味だ。
「そっち行っていい?」
「うん……」
 しおれた返事、何か気持ち悪いなと思う。弱々しくて自分じゃないみたいだった。


「ころしたい……」
 ぼくの肩にもたれて、駐在さんは虚ろにつぶやいた。
「殺したい……それか、滅茶苦茶にされたい」
 そう吐き出すだけで、気だるく甘い精気が漂う。後ろめたさからか、込み上げるものを、抑え切れないからか。ちぎれかけの淡いリボンだ。
「切ったりとか、されたいの?」
 ぼくは駐在さんの背中を撫でながらきいた。
「痛いのはいやだ……でも、血が沢山必要なときとか、マスターは、苦痛を和らげるのに……別の……感覚を割り込ませて」
 駐在さんは血の気のない顔で切なく息を吐いて吸った。苦しそうなのに、魔物の色を隠せない瞳は暗い艶があった。
 ぼくもその場にいたように錯覚してしまう程、甘く香る。
「……腹を割いたり」
 こわくて、かわいそうなのに、どきどきした。
「血をぬく……剣とか、おかしくなりそう、痛いけど……違う感触がして、巧い奴に犯られてるときみたいな……ああいうのでおかしくなったときみたいな」
 冷たい身体のなかで、鼓動だけが熱くはやい。激しさに、ぼくも引きずられそうになる。
「あの人に……されるみたいなやり方なら、ころされたいかも……」
 聞かれたくないよね。どんな風に気持ち良くなりたいかなんて。だから、自分の意志とは関係なくぼくを誘惑しながら、駐在さんは震えてる。
「昨日の人たちも、そうだったの?」
 違うって言われて少しほっとした。
「翼主的には人間の味方する奴は皆敵だからな」
 痛々しく苦笑いする。
「贔屓してるつもりないけど、向こうにしてみたら、殺したいカタキ無傷で寄越せなんてナニソレだろうし。代わりに誰か潰さないと気が済まない」
 何か、絶対に間違ってはいけないものを間違ってしまったんだって、天井さんが言ってた。駐在さんも同じことをぼくに言った。
「細かく言うと違うけど俺も警察の人間だし、ドラゴンって言っても、途中で変わっただけだし」
 自分で思ってるよりずっとずっと真面目な駐在さんの性格だから、きっと、自分を殺して収まるならって決めたんだ。それでいいって。どうせすぐ生き返るからって。だめなのに。そんなやりかた冴えてないのに。
 翼主の人たちは繊細だ。昔傷つけられたから、守る為に気を張って、人間が地に増えるのを警戒してる。気難しいっていうけど、高き者の誇りは持ってる。だから怒っているなら、無意味に人間を狩ってたべようとかじゃない。きっとどうしようもない何かがあったんだ。
 許せないっていう何かを誰かがしたんだ。
 魔物同士なら誠意で済むトコロも、人間が相手なら汚らわしい赦せないって戦おうとしてしまう。


「俺、いやだった。すごくイヤだった。いつも、いつも月が気持ち悪くなってきもちよくなって、誰か殺したくなるの、犯したくなるの嫌だった。血が欲しくて、殺しに出歩いて、怖い……いつもすごく怖いって思ってる気持ち悪い……ムシみたいなのとか、俺を喰うことばかり考えてるのとか、そういうの。でも、おかしくなりそうなときは喰いたい。精気欲しい。喰われたいし、もう……いろんなコトされたい。それが、気持ち良くてしにそうになるのが」
 苦しげに、ひといきに吐き出して、駐在さんは肩を上下させた。小さく何度も呼吸する。ぼくはまた、優しく背中を撫でた。ぼくの手が触れた瞬間ほっとした優しげな顔が、何故か急に、泣きそうに曇る。なんでそんな、届かないところ見るような目でぼくをみるの。泣いちゃうよ。悲しくなっちゃうよ。ひどい。
「喰われるのは……滅茶苦茶怖い。気持ち悪くて、痛くて、おかしくなりそうなのに、あんなに怖いのに、俺は……殺したいって、喰いたいって、血が欲しいって」
 あんなに強く握ったら、痕が残りそう。駐在さんは泣きそうな顔で右腕を握り締めてる。辛いときの癖だ。
「それで、みられたくたくなくて、引かれたくなくて、なんか辛くて……自分勝手で、そういうの最低ってわかってる。世界一不幸みたいに思ってて、グダグダ気持ち悪い男だってわかってる」
 それでも悔しそうで、泣かないんだ。
「お前みたいな……悪い意味じゃなくて、その、なんにもしらない、良い奴に、釣り合わないのに」
 やめてよ。ぼくは涙を堪えた。
「……ル……ナ」
 無理だったから、スライムに戻って抱きしめた。触手で胴に巻き付いて、肩から背中までとろけて覆う。今ぼくが泣いたらだめ。ないちゃったら、駐在さんは、ぼくを泣かせた罪に傷付く。気にしなくていいって言っても、今は、通じない。


 駐在さんは疲れた身体をくたりとあずけて、目を閉じた。柔らかいぼくの表面に頬をくっつける。
 気持ちよさそうで嬉しかった。だけど一瞬で消えてしまう。開いた目は、痛々しく暗い色をしていた。
「お前のこと、汚して……ずっと甘えてて、俺は酷い」
「そんなの、そんなこと」
 この体から涙は出ない。代わりにざわざわ蠢いて、ぼくは泣いた。
 ぼくだって同じなのに。ぼくだってこんな可愛い人を汚してる。切り刻みこそしないけれど、人の身には得ることのできない快感で、縛りつけて堕としてる。
「ぼくも、あなたを汚してる」
「それは……」
 駐在さんは悲しげに顔を上げた。
「俺がお前に教えたから」
 あれは、悦しみの為じゃない。ぼくを助ける為だった。ぼくが首を振るように体を震わせると、駐在さんはこう言った。
「きっかけを作ったのは俺だ」
 精気のやりとりを知って、ぼくは変わった。世界が広くなった。今まで憧れるだけだった街に触れ、会えない筈の人達と知り合って、それから、大好きな人を抱くあたたかさもしった。
「駐在さんはわるくないよ。あなたが、マスターを恨んでないように、ぼくも、あなたを恨んでない」
「ごめん」
「あやまらないで」
 駐在さんは蒼白な顔のまま、腕の力を抜いた。そっと抱きとめる。とても、弱ってるみたいだ。このまま眠るなら、それでもいい。
 意識のきえそうな身体を触手でそろそろと撫でた。やっぱり、ぼくの駐在さんは可愛い。そしてとても愛おしい。


「落ち着いた?」
「うん……」
 心地よさに任せて、半分気絶してしまっていたみたいだ。貧血状態だから、当然か。気が付くとルナは半分を人型にして、自分を支えていてくれた。
「! 大丈夫だから」
 言ったが無視されてしまう。横抱きにされて、軽く運ばれる。触手で器用にブーツを脱がせて脇に揃えると、ユイの身体をベッドに寝かせる。
「着替えられそう?」
「……?」
「そのままの服だと寝苦しいかなって、パジャマ持ってきたの」
 みてていい? と聞かれたので、ダメって言った。


「コレって……」
 ユイは少しぼんやりした頭のまま羽織ったソレに、チョッピリ後悔してしまう。
「なあに」
 にょろりと部屋に入って来るルナは楽しそうだった。
「男物じゃないだろ」
「バレちゃった?」
「ボタンの位置でまる分かりだ」
「でも着ちゃったんだ」
「ぼーっとしててつい……」
 油断も隙もナイとはこのことだ。
 シンプルなパジャマだが、よくみるとウエストが少し絞られていてAラインぽい。しかも、膝が丸出しだ。太股の付け根辺りには少し布が余った感触がある。
「かわいい……」
「お前ね」
「だって似合いそうだと思ったんだもん。あとね着心地良いでしょ」
 確かに悪くない。制服で寝るのとは雲泥の差だ。
「着替え持ってないだろうなって思って……それに、寝間着だとリラックスできるかなって」
 とクネクネ横に座る。
「……ありがとう」
「えへへ、ごちそうさま」
 ユイは少し膨らんだ頬でルナをみた。照れくさいが、気持ちが少し軽くなった。


「ねえ駐在さん」
「なに」
 膝を撫でる触手を追い払う。そうすると手首に巻き付かれたので握り返す。
「恥ずかしいんだよね」
「……簡単にいうと、多分」
 ていうかしにたい。と膝に顔を埋める。
「ハァハァ抜いてるトコみられてるのと同じだからな。それか、ハラ減ってわけわからなくなって詰め込んでるトコみられてるとか……」
 しかもソレが良識のある者がみればトラウマになりそうな悪夢的光景だ。
 ダメに決まってる。
「人にはみせられないな」
 こいつは何だって平気だっていうかもしれないが、今もそういう態度だし。
「あの」
「なに」
 言い辛そうにルナがうつむく。またそんなクネクネと、と思ってしまうが両手の指を組む仕草は可愛かった。
「あのね……誰かに……」
 小さな声だ。とても悲しそうで、自分のこと考えてする表情なのが余計苦しい。だから聞き逃さないようにじっとみる。
「嫌われちゃったこと、ある? そういうので……駐在さんから……離れていった人、いたりしたの」
「……ないよ」
 今はまだない。仲間には多分、恵まれてる。優しかった。だから傷付けたくないと思ったし、越しそうなトコロを何度も堪えられたんだろう。
 いつか抑えられなくなって、許してもらえないかも。当たり前だ。
「そうなってもいいって、割り切ってた。でも最初より今の方が怖い」
 平気だっていわれてもダメなんだ。一人になっていいのに。仕事ができればいいって思ってた。
「……みられたくない」
 お前にはみられたくない。
 感情が伴わないのに、喰うだけで、血が欲しくて、殺したくて、欲しくて、おかしくなりそうな姿なんて。
 こんなに誰にも会いたくないって思ったのは初めてだ。偽りの殺戮でも、あんなにあからさまに苛んだことなかったせいか。アレのせいにしたいけど違う。みられたくないって思ったからだ。浅ましくこわれ啜る自分を。
 こわくて逃げ出したい。それなのに、すぐにでも深く、奥までかきまわされたいとか、最低な自分。
 それなのにルナは、優しかった。


「駐在さん……嫌?」
「嫌、いやだ」
「ダメじゃないよ」
 素敵だよって言ってあげたい。
 今言っても困ってしまって、悲しげに否定するだろう。
 無理矢理抱き締めた身体は、甘いタマシイの香りがした。比喩じゃないくらい感じて、ルナはとろんと赤くなった。
 精一杯働いて、ヘトヘトになることは良いことだ。かっこいいことだ。変な副作用があって恥ずかしくて、隠したくなるかもしれないけど、晒したっていい。自分になら、何だってぶちまけてもいいんだ。
 すごく大切にしてる仕事の、譲れないものを守った代償なら、誇ってもいい。
 だから、そんな怯えた顔しないで。


 頑なにならないで。


「ぼくに……」
 懸命に否定しても、身体は餓えている。注がれるものを求める熱にあてられながら、ルナは哀れな恋人をみつめた。
 妖気で微かに紫がかったピンクの瞳が、輝いて、ひとりでに息があがる。腹から下はスライムの体にしておいてよかった。露骨に男の反応を見せ付けたら余計震えさせてしまうかも。
 激しく撫で回したいのを堪え、柔らかく、優しく流れて不安げな身体を包む。
「言ってくれたよね、苦しいなら自分をたべてって」
 襲わないよう愛撫する。指先と触手で頬を撫でて、キスは辛抱。唇、かわい。したい。したい。まだだめ。
 まだ心臓は残ってるから、ドキドキうるさいのはバレてる。消しちゃおうか。やっぱり、残しておこう。
 こうして一つになったみたいに、どきどき速い、同じなんだ。震えるくらい。
 あの時もこの人は、傷付いた身体で、壊れそうに速い鼓動で、ルナをあつくさせた。
 死にゆく身体を癒やしてくれた。
 夢見心地で大好きな人を押し開き、啜り取って助かった。切なくて、暖かくて、愛してるって思った。
「だから、ぼくをたべて。つらいなら、ぼくを好きなだけたべて」
 ぼくの命はあなたのものなんだよ。
 そういう言い回し嫌いなのしってるから言わない。
 だけどいつだって、癒やしてあげたい。力になりたい。総てを与えてもいい。
「いや?」
 ベッドを軋ませて抱き締めて、唇に触れた。
「……嫌だ」
 指先を唇に押し込み、開かせる。
「や、……」
 少し尖った犬歯、柔らかい舌。あとで、いっぱい吸ってあげる。
「っ……」
 見開いた目から涙がこぼれた。もったいないから舐める。おいしくて、意地悪したくなった。でもしないよ。大好きだから。
 指に触手を絡ませて緩く抜き差しする。涙と唾液が伝っておちる。
「いい音」
 ルナはにこりと微笑んでユイをみた。
 指を吸ってしまう粘膜のざわめき、いたいけで淫らな口の中を煽り撫でる触手。指に絡みつく舌を括り擦りあげる。
 ちゅく、ちゅく、と粘調な音が耳を犯す。ルナは自分の方が狂いそうなのを堪え、濡れた頬に口付けた。
「いや?」
 逃げようとする触手に委ねたまま、ユイは濡れた指先に舌を這わせる。
「……や」
 微かな糸を引いて離れた触手を、潤んだ瞳が追う。はなれないで、とお願いされる。口に出して欲しい。そういうの、ききたい。ルナは甘さに任せて指を抜こうとした。きっとかわいくないて、
「!」
 痛みに一瞬目を閉じる。偽りの血が出たかも。指の腹に小さく鋭い感触。
「んっ……」
 牙が離れると、泣きそうな目と向かい合わせになった。
 しばらく間があって、そろりと唇を離し、ユイは茫然と傷の付いたルナの指をみた。
 離れないでと請うたように、そっと手を添えて、悲しげに言った。
「ごめん……」
 引っ掛かった犬歯が開けた小さな穴から赤くにじみ出る。
「いいよ」
 びっくりしたけど、構わない。
「血が」
 いいんだ。ルナはきゅう、と痛い胸と同じ甘い指先に酔った。愛おしく、得難い痛みだ。それなのに、恋人は酷く動揺して、泣いちゃう。かわいい。
「大丈夫」
 ユイは首を振った。
「ごめん、酷いこと」
「平気だから。血は、怪我して出なかったら怪しいから小さい傷からだけ出るの」
 擬態だから平気。こんなこと出来るようになったのも、あなたのおかげなんだよ。
「痛いことして……ごめん」
 ソレって両方の意味? だったらどっちもいいのに。こんな事するなんて。
 これ以上恋することなんてないと思ってたけど、ルナは、あまく、溶けそうになった。もっともっと好きになれそう。
「……」
 ルナは感触に目を閉じた。柔らかく愛おしい舌に撫でられ、あつくなって目をあける。懸命に指を舐めるユイの姿はいつもより弱々しくて、幼げだ。痛みはもうない。
 薄く閉じた瞳から涙が伝う。なかないで。優しく拭って、顔を上げさせて、額を合わせる。
「治ったよ」
 ありがとうって言って、傷の消えた指を添え頬を包む。
 冷たい頬だった。しろくて。
 なかないで。
 唇を重ねる。最初はホントに重ねるだけ。ほんのり温かい感触を得てから、深くした。
 汚いコトじゃない。
 だからたべてね。染まって欲しい。あつく。


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