■夢をみた 02

 ユイは廃屋を離れて、外≠ナ暮らす事になった。街≠去ったのは、男が廃屋の暮らしに飽きたからで、ユイはやっぱり彼に勝てないままだった。
 外≠ヘユイの知っている路地裏とも違う、裏返った世界だった。それでも、男は自分の思うように生きていた。男が思いどおりに出来るのは、ユイだけではなかった。それだけ、彼は裏返った世界に名前を持っていた。
 廃屋では二人きりだったが、外≠ヨ来てからは大勢と過ごす事もあった。男は大抵、連中を率いて何かと戦い、勝つ事によって利益を得ていた。彼等は特別な約束を交わしているわけでもなかったが、男が動けば、どこからともなく集って来るようだった。
 集う度に少し、顔ぶれが違う彼等が、ユイを見付けると訝しんだ。男が同じ人間をいつも連れているのが目新しかったからだ。しかも、守ってやらなければならないような幼い子供だった。実際はお人形さんのような外見程に弱くもなく、実用に堪えたし、年齢も──何とか大人に手が届くくらい──外見程に幼くはなかった。
 彼等はかつての母の客のように、役に立つ事も立たない事も教えてくれた。
 彼等の教える事もそのやり方も、かなり乱暴だったが、男のようにユイを倒れるまで叩きのめす事はなかった。
 敵以外でユイを切り刻むのは彼だけだった。
 男の仕草や言葉が、自分に向けてだけ、僅かに違っている事にユイが気付いたのは、NN[にゅーろのうと]の操縦を文字どおり叩き込まれた頃だった。でも、あの計算高い男に自覚が無かった事は、ユイにもわからなかった。
 NNを使用した戦略でも、男は隊を率いていた。
 丁度、NNに適した場所で紛争が起きていて、以前よりも頻繁に、男の下に彼等が集うようになった。同時に、集う度に見られなくなる顔や、新しい顔も増えていった。
 傭兵にとって、思想は割と軽い条件である。それよりも、誰に率いられるかの方が重たかった。その名前でより多くの、より優れた兵士を動かせる男の許に、何種類もの規律正しい人間が良い§bを持ってきたが、彼は全てを断った。そんな連中に形だけの茶を出すユイだったが、何度か同じ顔や同じ服を見て、でも彼等が何度来ても、男の態度は永遠に変わらないと思った。
 誰に頼まれたわけでもないのに、まめにお客を見送るユイをみて、男はいつものように皮肉な笑みを浮かべた。戻って来たところを、華奢な腰を手繰り寄せて自分の膝に座らせた。
「……!」
 今更見られて困る相手などここにはいないのに、ユイは一瞬人目を逃れるように抗った。男は構わず空いた手で茶を傾けた。諦めておとなしくなったユイに、男は客人の去った空を見ながら尋ねた。
「今のハナシな、上手くいくと思うか?」
「思わない」
「だろうな」
 風が巻き上げた前髪を梳き、男がユイの額を撫でた。ユイはくすぐったくてやっぱり抗い、そしてまた諦めて目を閉じた。
 今日帰っていった軍隊に手を貸すべきだったのか、そうでないのか、どちらが人道的であるかは分からなかったが、現在の盤に展開される勢力の推移なら、ユイにも答える事ができた。ユイが身に付けたのは、身体を使った殺し合いだけじゃなかった。ユイのさらさらした黒髪を弄びながら、彼が先を促したので、ユイは解答の根拠について暫く述べた。
 パイプ式のテントに軽く並んだ机と椅子の向こうに、整備中のNNが夕焼けに縁取られている。風は少し冷たかったが、日中気温が高かったので心地良い。ユイの優等生っぽい論述の途中で、男が歩き出した。いきなり抱き上げられてユイは話を止めた。降ろしてもらうのは無理そうなので、諦めて身体を胸にあずける。
「続きは?」
「……こんな」
「こんな格好じゃ話しにくいか? ま。いいか。アレも持ってあと半年だろうな」
 男は勝手に話を切り上げ、陽当たりの良い小さな岩山に座った。
「隊長! セッティング昼言ってたヤツで良いんスか? OKなら続けます」
 下からどやぐ隊員と目が合って、また男の膝に乗せられているユイが狼狽する。
「アレでいい。30分経ったらチェックに行くからな」
「了解です」
 男と隊員は当たり前のようにやり取りを済ませた。
 オレンジ色の空気に、オイルとシリコンの匂いが僅かに溶けている。金属の音も小さく流れて来る。
 暖かく包まれる夕焼けに、風が心地良く通っていく。
 ユイの細い肩を抱き締めて華奢な感触を楽しんでいたディストマだったが、ユイが急に立ち上がったので、楽しみが中断されてしまった。
「どこへ行く」
「NN」
「用があれば呼びに来る。それに、お前の機体はもうちょい掛かる。ま、いいからこうしてろ」
 ディストマはまたユイを膝に乗せた。
 ユイはもう抗わなかった。小さな身体を男の胸にあずけて、霞が掛かったような碧緑の瞳に小さく動くNNの影を映していた。
「ま、お前ももう傭兵だからな。他にやってみたい事があればやればいい」
 ユイの額を撫でながら、同じ夕焼けを見ているディストマが言った。
「良い話だと思ったらどこかに付いてみるもの良いだろう」
 男が前髪を弄んでいるので上を向いてしまっているユイの顔をのぞき込む。
「言われなくてもそうする」
 光の乏しい瞳で見据えて、ユイはぽつりと言った。
 夕焼けの温度と男の体温が心地良かった。ユイは何だか眠くなってきた。
 ディストマは、まどろむユイの柔らかな身体を緩く抱き締めた。風にさらさら流れる黒髪を梳いて、あまり広くはない額と、滑らかな頬を撫でた。それから、結わえた金の髪がこぼれる自分の顔を近付け、形の良い唇を重ねた。
 ──好きな事が見付かれば、そこへ行くのもいい。
 淡い朱色のまどろみで、ユイはそんな言葉を聞いた気がした。


 ユイはよく眠った。路地裏で無気力に時間を持て余してコンクリートに寄り掛かった眠りとは違っていた。もっと深い眠りで、心地良いまどろみへ落ちていけた。NN乗りの、傭兵の生活は、ユイの小さな身体には負荷が掛かり過ぎているのだ。空いた時間はほとんど、本物の草の上とか、砂の上──肌が焼けるからやめろとディストマが嫌がった──とか、甲板の上とか、NNの上ででも、ユイは無防備によく眠った。
 隊員として、今でも時には二人で、何か仕事をし、終わったら商売道具達の整備をして、それから眠る。教えてやると言われて、切り刻まれた後も、やっぱりユイは倒れるように眠った。男の腕の中でも。
 そしてこれからも、なんとなくそうだとユイは思っていた。


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