■夢をみた 05

 決着がついた。
 拳を交える事によって生じる絆があるといわれるが、ユイにはそういう気持ちはわからない。
 今にして思えば、このときまでの双璧≠ヘ、互いに結び合う心を持っていたのだろう。
 でも、それももうなくなってしまった。
「ここは我々が!」
 そう言った機体が隊長機をハッチへ押し込む。その2機だけでなく、他のNN達も、厳しい条件下での使用の繰り返しによって劣化の進んだ装甲に、多大なダメージを刻んでいる。
「逃がすか!」
 ハッチへ吸い込まれるNNへ、別のエンブレムを付けたNNが長い銃身を向ける。射出されたレーザーのニードルが、ハッチのNNをかばうように飛び込んだ3機を貫通した。最初の1機のコックピットを貫いたニードルは速度を落とし、次のNNの右膝の関節を破り、ユイの機体のバックパックに突き立った。
「!!」
 NNハードの最高峰、ネウロス社製のこの機体は、その名前に違わず、今までよく自分を支えて──というより無理矢理にでも引っ張り上げて──くれたが、衝撃吸収性能はあまり良いとはいい難かった。所詮、傭兵部隊の試作機という事だろうか。ここのところ、NNなくしては立っているのも辛いユイには尚更苦痛だった。それでも、まだ動ける。ユイは申し訳程度の牽制に、ニードルを引き抜き投げ返すと、気力を奮ってロックを掛けた。
 少しほっとして気絶しそうになったが、繋ぎとめたコードが許してくれなかった。
 機動力の低下したディストマの機体を支え、施設の深部へ進む。
 ユイの曖昧な意識は、閉じるハッチから優秀なセンサーが拾った絶叫が、先程コックピットを失ったNNの持ち主の声だった事に気付かなかった。


 何度目かの大きな爆発で、壁のモニタが砕ける。持ち堪えられないかもしれない、とユイは思った。
 男は沈黙を保ったままだ。彼の機体に搭載された自己修復機能が回転する、あまり気持ちの良いとは言えない音がただ、二人を除いて生物のいない空間に流れる。件の修復機能は、このように劣化した機体にも、正常に働くのだろうか。少し、不安になった。正直もう眠ってしまいたかったが、ユイは黙って、NNに引きずられるようにして、男の機体に近付いた。が、接続され引っ張り上げられて、ユイの体力に反比例するように動いてきたNNが、男に近付く毎にその歩みを緩めていった。
 何故か身体が冷たくなって、ユイはそれまでNNに倒れるようにあずけていた身を起こし、モニタを切ってコックピットのハッチを開いた。
 病よりも忌わしいものが、そこにいた。
 それは確かに機械のコードであったが、何かを探すようにひしめき合って、ユイの意志に連動して歩もうとするNNを蝕み、飲み込もうとしていた。
 ユイは一度座席に座り直すと、腕の装甲に隠したダガーをNNに握らせ、這い寄るコードを切断した。だが、コードは切断面から新たな──それはもう触手と呼ぶべきかもしれない──コードを成長させて、ダガーごとNNの腕を巻取った。硬いものが軋む嫌な音がして、セラミックの装甲が砕けた。
「……!」
 ユイは痛む自分の左腕を押さえて、砕かれたNNの腕を見た。むき出しになった機械部分が、コードに侵食され、形を変えつつあった。
 NNの腕が違うものになれば、それだけユイの腕も痛い。それに、完全に床に埋没した脚部ユニットと同じ位置の足首も、削られるように痛かった。けれど、どこか変な感じがした。
「……な……に? ……!」
 あちこち吹き飛ばされるうちに、どこかにぶつけたのだろう、髪の隙間から流れた血が伝う頬が淡く染まる。
 踏み込まれる感触、押し開かれるときのような異物感だ。
「……」
 ユイは自分がこんなときに、あろう事か、名前を呼んだ事に気付いて、少し正気に返った。同じタイミングで、背中にこれまでとは比べ物にならないくらい酷い痛みを感じて、かすれた悲鳴をあげる。狭いコックピットなので、小柄なユイでも飛び上がれば上下左右、どこかに身体をぶつけてしまう。振動で、背もたれに括り付けていた刀が、シートと背中の間に落ちてきた。
 必要以上に、NNと神経が連動している。ユイにダイビングの知識は殆ど無かったが、機体の接続システムに、ダイビングの要素があっても不思議ではなかった。人と機械を繋ぐものという点で、二者に明確な違いなど初めから無かったのだ。
 ダイビングが多大な可能性を示唆しつつも、市井に普及する事なく、世界の奥深くに潜ってしまったのは、人間の精神を仕舞っておく何かを、保護する手段よりも、外へ向けて拡散させてしまう速度の方が、遥かに勝っているからであった。心で動かせる程に接続を深め、機械に入れるテクノロジーは、反対に機械のメカニズムが心とも深く繋がり、その中に入る事が出来る、という事でもある。しかし、一般に機械に心が宿る事はないといわれるように、確かに、コンピュータウィルスやバグのような文字どおり機械的な生態を持ってはいたが、餓えや乾きを感じる事はない。ごく稀に、自我が芽生え理性的な孤独や愛情をうったえる事もあったが、食べ合って殖えていく生物とは違う生態で、彼等の生命は静かに流れていく筈である。
 けれど、今NNを通してユイを侵食しようとする何かは、餓えているようであった。形を定める時間も持てない程に増殖を余儀無くされる、餓えた生命がそこにいた。
 ユイは悪寒を堪えて、OSのチェックを始めた。こんなとき恐怖に感情を委ねられる程、彼の人生は優しくない。システムファイルが、別のものに置き換わっている。幾重にも張り巡らされている筈のセキュリティは、沈黙したままアイコンが崩れかけている。自分程度の知識では、どうにもならない。ユイはキーボードから手を離して、薄いプラスチックを叩き割ると、緊急用の手動操作切り替えのピンを抜いた。
『不正な操作が行われた為、入力をキャンセルします』
『次のアプリケーションを強制終了します』
 いくつかのウィンドウが立ち上がり、崩れ去った。
 一瞬愕然としながらも、諦めずにユイはありったけのショートカットを入力してみた。薄手の手袋が破れて、尖った部品で小さな手が傷付くのも厭わずに回路を引き千切った。
『AUT MODE ONLY』
 モニタにはその一文のみが、表示され続けた。
 割れたプラスチックの中で、基板の上をケーブルが這っている。
 目の当たりにすると、さすがのお人形≠熕ツざめた。吐き気で長いまつげの目に涙がにじむ。
 その瞳が、水滴を弾いて見開かれる。
 識別コードの受信履歴を遡る。
 一番新しいコードは、味方機のコードだった。
「ディストマ……!」
 ユイは彼の名を叫んだ。
 NNには、設定した条件を認識する毎に結果を報告する機能が搭載されている。臨戦体制では、アラームをセットしておくものである。
 こんな事になったのに、アラームが働かなかった。
 NNが認識したのは、敵や不明な対象ではなかったからだ。
 ユイの機体が認識した最新のコードは、隊長機だった。
 身体が震える程、鼓動が速い。
 叫び出したいのを堪えて、ユイはハッチの向こうを確認した。
 持ち主の面影を重ねるような優美なシルエットが、床に沈むように崩れていた。それでも、その機械のようなものがNNである事は、まだ何とか認識できた。ディストマの機体を侵食するコードは、ユイの機体を這うコードよりも生物的で、大きく育っているように感じた。そして、床や壁、天井に到る触手は、そこから生まれたものだとはっきり判る姿で伸びている。
 ユイは自分を繋ぎ止めているコードのロックを外した。しばし忘れていた不快感が蘇り、一瞬身体の力が抜ける。コードは離れなかった。それどころか、抵抗するユイを絡めとった。より深く接続しようとするコードを、ユイは必死で引き抜いた。やっと引き抜いたプラグから、血が滴り落ちる。その雫に、蟲が集るようにコードが群がった。続けてコードを抜こうとする。抜き取る度に血が流れ、痛みに身体が震えた。でも、ユイが一生懸命剥がしても、コードの腕の方が、数が多く、強靱だった。一度引き抜いたコードに再び貫かれ、ユイはうつ伏せに倒された。身体が捩じれて痛い。首を絞められて呼吸ができない。
 ハッチが閉じる音がする。はっとして外を向いたユイの目に、ディストマのNNが映る。NNの装甲が弾けて、中から奇妙な塊が流れ落ちた。それは機械と違う生物の色をしていた。コックピットのハッチが、中からひしゃげるように破れ、同じ塊と一緒に、ここからでもはっきりと分かる量の血が溢れた。
「……!」
 ユイは思わず外に向けて細い腕をのばした。自分の血とコードに絡まれた腕は、何も掴めずに引き戻された。目の前が霞む。呼吸が止まって意識が薄れていくせいだけではない。閉まりかけたハッチが途中で止まった事に気付く。そして、忌わしい事に思い当たる。ハッチの向こうで、何か別のものに変わりつつあるディストマのNNが蠢いている。ユイがそれを見ているから、その視界を閉ざさない。血や神経のように、みえるものだけでなく、この何かは、ユイの絶望を啜っている。押し開かれる後ろめたいあの感触とか、切り刻まれる痛みとか、みえないものまで喰べているのだ。そして、その事に気付いた動揺も、餓えを満たす糧なのだろう。
 力を失ってシートに落ちたユイの手が、刀の鞘に当たり、まるで鯉口を切るかのような、乾いた音をたてた。点滅するモニタの光に、曇りのない刀身が揺れた。
 壁にぶつかるのも厭わず、ユイは身体ごとコードを引っ張り、叩き斬った。逃がすまいと閉じるハッチをすり抜けて、小柄な人影が生き物のように血を流すNNに飛び移った。
 ユイが飛び移った瞬間に、足場になっていた肩の装甲が落ちた。冷静さを取り戻したユイは、バランスを崩す事なく飛び退いた。崩れた装甲から、でたらめな方向に伸びて絡まった神経とか筋繊維のようなものが流れ出た。生き物のような塊が、機械の身体から生まれている。目があるとは思えないが、それはユイに気付いたのか、のばした触手の先端に牙など生やして──本当に今、生み出した──覆い被さろうとした。斬りつけても再生するのは分かっていたが、兎に角少しずつ切り払い、絡み付かれないよう細心の注意を払って、ディストマのコックピットに近付いた。
 傷付いた男が、そこにいた。
 脚部パーツを失って、地面の高さになってしまっているコックピットから、男が這い出してきた。形のいい唇が笑みを浮かべ、しなやかで強い腕が自分を抱き締めるだろう、と、ユイは思った。そして、あの言葉を言うのだろう。
 男がシートを離れるのを待たず、ユイは彼の胸に倒れるように飛び込んだ。
 駆け寄るユイを見つめて、彼は言った。
「……そうだ」
 変わらぬ美貌。
「私には、お前がいる」
 満足げに微笑んだ男の口から、血のようなものが流れ出た。
「……っ!」
 男の身体から飛び出したプラグに貫かれ、ユイは悲鳴をあげた。それでも、両手に構えた柄は離さず、身体が持ち上げられて抜けてしまった刀身を、再び構えて突き立てた。
 彼はもう人の姿を失った腕をのばし、まだ残っている指でユイの頬を愛おし気に撫でた。
「お前らしいな」
 どこにあるかわからない口から、毎日聞いた彼の声が囁いた。
 刀は正確に、シートの裏に設置されたOSのメイン基盤を破壊していた。生き残っていたモニタが、システムの破損を告げて死んでいく。男の美しい顔が、シートにわだかまる肉塊から生えては崩れ、を繰り返し、皮肉な笑みを浮かべた。
「全く大した奴だなお前は」
 垂れ下がったコードが、ユイの腕を持ち上げる。触手がのびてきてその腕に噛み付き、流れ出る血を啜った。胸とか腹とかを貫通しているコードにも、血の雫が伝っていて、血の跡を辿って育った触手が両足を絡めとり、細い腰を浮かせた。
「OSを破壊すれば、終わりだと思ったか」
 どこだか分からない器官を震わせて、彼は笑い出した。
「言ったはずだ。私にはお前がいる」
 彼の、かつてはわざと大股に歩いてユイをからかった長い脚がついていたところに、長くのびた口があった。上顎にも下顎にも隙間なく生えた牙がユイの左脚を噛み砕いた。
「ユイ……」
 彼は優しく名前を呼んだ。
「痛いか」
 震えるユイの身体を抱き締めて、男は言った。
「俺にはもう痛みという感覚はない。それにな、もう分かっているとは思うが、殺しても死なない」
 華奢な身体を押し開いて、こぼれ落ちる血を啜りながら、彼は続けた。
「だが、苦しい。お前にわかるか、この俺の苦痛が。毎日喰われ続けて、殖え続ける、この、苦しみが」
「……っ!」
 痛くて窮屈で身体が破られそうだった。
「苦しいんだ」
 彼は訴え、血が甘いものであるかのように飲み下す。
「だが、私には、お前がいる」
「……」
 苦痛の声を堪えるユイに、ディストマは自分の身体に埋もれた刀を掘り出して差し出した。
「お前に殺しを教えるのは、実に楽しかった。お人形のお前が、生き物を切り刻んでものにしてしまう。それがよかったんだよ」
「あう」
 返してやると差し出した刀で、ディストマはユイの胸を突き刺した。華奢な身体が衝撃で震え、ユイは全てを失ったように沈黙した。背中から突き出た刃から、血が流れていくのがわかる。刀はユイの内臓を傷つけ、脊髄のどこかも断ち斬ったようだ。沈黙から還ったユイは、新しい傷からこぼれる新しい苦痛に堪えた。
「わからないのかユイ」
 ディストマはそう言ってユイの右腕を引き千切った。ぼたぼたと血が落ちて、崩れて元の形を失ったNNの装甲が染まる。
 何か硬くて柔らかなものを噛み砕く音が聞こえる。
 ユイは、ディストマが歓喜の表情で自分を貪り喰う姿を消え入りそうな意識の下で、ただ見ていた。
「お前は、喰われるまで死なないんだ」
 ユイはその言葉に、それほど動揺しなかった。いつか、誰かにそう言われるような気がしていた。
「お前を喰らえば、苦痛から解放される」
 コードの束が、愛おし気にユイの肌を這う。
「お前のあの行儀にうるさい母親が、何故あんな裏路地で暮らしていたと思う? それは、お前を取って喰われないようにする為だった」
「お前の身体と魂を欲しがる連中に、お前を渡さない為に、俺は彼女の後継を引き受けていた。
 だが、この俺が、お前を喰う事になった。不死の苦痛から解放される為に。
 この身体では、分化の世代が存在せずに、無方向に増殖を続けるばかりなのだ。
 お前の魂のない身体を、魂なきものの魂を喰らう……それが、不死の欠陥を補う唯一の術」
 ──魂なきものの魂。
 ユイが覚えているのはそこまでだった。


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