『あなたの鼓動が聞こえる』

○第14話○ 桜並木







「じゃあ、本当は、”湯河百合絵”って名前なんだね?」

「・・・そ、う・・・」

 依然青ざめたままで小さく震える百合絵に、優吾は一つ一つ確認するように問いかける。
 自分の名前、住んでいた場所、環境。
 辿々しく話し始めたそれら思い出せる限りのことを、優吾は根気よく聞いていた。




「そっか・・・百合絵さんは、家族に会いたい?」

「えっ?」


 思いもしなかった言葉に金縛りにあったようになってしまい、答えられない。


 家族に、会いたい?
 今の私が?

 子供を身籠もり、関係のない人間を巻き込んだ今の私が?

 みんなを忘れて新しい人生を生きてきてしまった私が?


「・・・会えるわけがないわ・・・・・・もう、今更戻れるわけがない」
「でも、会いたくはないの?」
「・・・それは・・・・・・」


 言葉に詰まる彼女を見て、優吾は小さく頷いて微笑んだ。

 こんな時でも、どうしてこんなに穏やかで冷静でいられるんだろう?

 だけど、混乱して動転していた自分が、そんな彼のおかげで少しずつ平静を取り戻しているのは確かだった。
 もしもそれがわかってやっているのだとしたら、彼は信じられないくらい大人なんじゃないだろうか。

「じゃあ、せめて見に行くだけでもしてみない?」
「・・・え?」
「見るだけ、それだけならどう? みんなどうしてるかなぁって、元気かなぁって見るだけ」
「・・・・・・見るだけ?」



 ・・・・・・見るだけ、


 それだけなら・・・許されるだろうか?


 彼らには見つからないように、そっと陰から見つめるだけなら・・・




 百合絵はポロポロと涙を流し、優吾に抱きついた。
 彼もそれが彼女の答えだとわかり、優しく抱きしめ返した。
 この腕の中で、どれだけの不安が消えていったかわからない。

 どうして彼は、こんなにも人を包み込むことが出来るのだろう?


 変わらず真っ白なままでいられるんだろう?











▽  ▽  ▽  ▽


 次の日曜日、二人は朝から電車に揺られていた。
 シートに座り、優吾の肩に寄り掛かり、その間ずっと繋いだ手を離さず、少しでも彼の温もりを感じていたいとピッタリとくっついていた。


「百合絵さん、甘えんぼだね」
「・・・優吾のせいよ」
「僕の?」
「私を甘やかすから」
「そっかぁ」

 優吾がくすくす笑うと彼の肩も動いて、百合絵の頭もそれに揺られる、それが心地良い。
 まるで、お互いが一つになったみたいで、安心できる。


 暫く電車に揺られ、途中乗り換えもして、百合絵は、自分の生家から程近い最寄りの駅へと到着した。


 あれからどれだけの月日が流れたんだろう?
 駅周辺の町並みが少し変わったような気がする。
 病気がちであまり出歩くことがなかったから、おおきな違いはわからないけれど。


「ここが、百合絵さんの生まれた町だね」
「ん・・・」
「行こうか」

 百合絵が頷くと、彼はすぐにタクシーを止め、目的地まで走らせた。
 その間、緊張で手に震えがきてしまったけれど、ずっと彼が手を握っていてくれたから少しは気を紛らわすことが出来た。

 程なく閑静な住宅地が立ち並ぶのを目にして、それらが百合絵の持っている記憶の中の風景と重なりはじめる。
 緩やかな坂、桜並木。
 ここを通り過ぎると一際大きな門構えがあるはずだった。


 二人はその手前でタクシーから降り、周りの景色を眺めた。


 そう、この場所に間違いない。


 緩やかな坂を上っていくと、段々と見えてきた大きな門構え。
 外からは決して中の様子はわからないけれど・・・


「あそこが、百合絵さんの家?」
「・・・変わってない・・・・・・本当に、あの頃のままだわ・・・・・・」
「・・・・・・凄いところだなぁ・・・・・・」

 優吾は感心したように目を見張らせながら何度も頷いていた。
 百合絵は、懐かしさのあまり、昔に戻ったような気がして、その風景を目を細めながら見つめていた。
 ここで産まれて、ここで育って、そのまま言われたままの人生を生きていくはずだった。


 きっと、あまりにも投げやりな私の生き方に、神様がそんなことではいけないと活を入れたんだわ。


 不思議とそんな考えに囚われ、来るときの緊張は既になくなっていた。


 いつか、もっと自分が幸せになってお腹の中の赤ちゃんが大きくなったとき、優吾と共に3人でもう一度会いに来よう。

 百合絵は、そう思った。



「優吾、帰りましょう」
「もういいの?」
「充分よ、ありがとう」

 微笑んだ彼女の顔はとてもスッキリしていて、優吾は今日来たことがやはり正解だったのだと思い、心の中で安堵した。
 帰りは、タクシーには乗らず、歩いて帰りたいという百合絵の希望で、二人はゆっくりと景色を見ながら歩いていた。


「・・・私、家の近くのこの桜並木が大好きだったの。春になると一面ピンクのソメイヨシノが咲き乱れて、花びらが舞う姿がとても艶やかで大好きだった」
「うん・・・キレイだろうね・・・」
「優吾にも、見せてあげたいな・・・」
「じゃあ、春になったらもう一度来ようか」

 にこやかな笑みにつられて、思わず頷いた。


 春になったら・・・

 その頃にきっと赤ちゃんが産まれる。
 退院して、落ち着いた時、きっともう桜は終わっているかもしれないけれど、来年じゃなくても再来年でも。


「ねぇ、あの女の子、百合絵さんに似てるね」
「え?」

 不意に優吾が指さした先。

 そこには、夫婦で乳母車を押して、その横で楽しそうに微笑んでいる小さな少女。
 彼の言ったとおり、その少女は百合絵の幼少時代を思わせる。

 家族四人の幸せな風景。


 百合絵は、それを見て、目を見開いた後小さく震え、必死で優吾の腕にしがみついた。


 その時、

 ふと、夫婦揃って通り過ぎる二人に視線を向けたが、彼らには、俯き隣の男性の腕にしっかりと抱きついた女性の顔を見ることができなかった。

 通り過ぎたとき、母親の方が娘に呼びかける。

「まりえー、あまり走ると転んじゃうわ」
「だいじょぶよぉ♪」
「全く・・・お転婆で困ったものだな」

 そんな声が聞こえてきた。


 それは、間違いなく母親になった姉の姿。
 姉の隣には、彼女の大好きだった男性がちゃんといた。
 二人は、幸せになっていた・・・・・・



 百合絵は、こみ上げてくる涙をいつまでもとめることが出来なかった。
 隣の優吾が、心配そうに見つめている姿が、幸せでならなかった。



 きっと、彼に包まれながら過ごした今日のことを私は一生忘れない。






最終話前編へ続く

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